■ 不幸にも死蔵されていた『ビブリア古堂店の事件帖』 ■
私の母が1年程前に私の娘に本を買ってくれました。
「本屋さんにお奨めって書いてあったからどうかしら?」と言いながら渡されたのは
『ビブリア古書堂の事件手帖』という本です。
ちょっとライトノベル風の表紙。
メディアワークス文庫という事は、ライトノベルに分類されるのでしょうか?
あるいは、今はやりの、ライトノベルの表紙に似せた一般小説でしょうか?
娘が早速読み始めましたが、最初の1章だけ読んで、読むのを止めてしまいました。
彼女曰く・・・
「あまり面白く無い、だって文学少女の真似してるもん。」
彼女が引き合いに出した作品はライトノベルの『文学少女』シリーズ。
■ ライトノベルの傑作『文学少女』 ■
文芸部部長の遠子先輩は文学少女。
文芸部の部員は、他には「ぼく」だけ。
遠子先輩は毎日「ぼく」に短い文章の課題を出します。
彼女の課題は、甘たるい恋愛ものだたり、様々です。
書き上がった課題を一読すると、遠子先輩はそれを口に運びます。
そして、むしゃむしゃとヤギの様にそれを食べてしまします。
「恋愛ものは甘いスイーツの様な味がするわ」みたいな評論をします。
そう、文芸部長の遠子さんの食事は本。
彼女は、他の食事は一切摂らずに、ひたすら本を食べて生きています。
「ギャリコの物語は、火照った心をさまし、癒してくれる最上級のソルベの味よ。」
・・・・えーと・・・・。
ライトノベルも色々と読んできましたが、
本を食べる主人公は初めてです。
冒頭から意表を突かれる作品です。
遠子先輩は事件に飢えています。
校庭の片隅に「あなたの恋を叶えます」と書かれたポストを立てて、
誰かが恋の相談を持ち込むのを待っています。
そんなポストに誰が投書をするものかと思うのですが、
恋の悩みを相談しに女の子が現れます。
こうして、ぼくと遠子先輩は、事件に巻き込まれて行きます。
各巻の事件は、有名な文学作品に似た構造を持っています。
第一巻は、太宰治の『人間失格』、
第二巻はエミリー・ブロンテの『嵐が丘』といった感じです。
さらに、中学時代、女性ペンネームでデビューして注目を浴びた
「ぼく」と当時の彼女の謎が通奏低音の様に全編に漂っています。
この作品、本好きの女子達には結構人気のシリーズです。
私が読んでも結構面白く、ライトノベルとバカに出来ない作品です。
そして、少なからぬ子供達が、題材となっている原作本を読むであろう事を考えると
たいへん教育的作品とも言えます。
そんな『文学少女』シリーズと何となく似ているので、
娘は「真似してる」と感じて『ビブリア古書堂の事件手帖』に反感を持ったのでしょう。
■ 実は大変面白い『ビブリア古書堂の事件手帖』 ■
私も娘の言葉を信じて、何となく目を通していなかった『ビブリア古書堂の事件手帖』ですが、
先日、「六号通り」の先生がブログで取り上げていらっしゃいました。
ミステリーに詳しい先生が「面白い」と太鼓判を押されているので、
あわてて、本棚の奥から取り出して読んでみました・・・。
いやーー、この作品、最高に面白いじゃないですか!!
『文学少女』との類似点は、本好きの女性と男性の組み合わせが事件を解決する事。
女性の膨大な本に対する知識が、事件の解決のカギになる事も似ています。
一方、『文学少女』の事件が、あたかも有名な小説の内容をなぞるものであるのに対して
『ビブリア』の事件は、あくまでも「古書」を巡る人間模様。
この二つの作品は、似ている様でいて、実は全く別の構造を持っています。
■ 本の悦楽 ■
ふとした切っ掛けから、大学を卒業しても就職出来ない五浦大輔は、
北鎌倉駅近くの「ビブリア古書堂」を手伝う事になります。
古書店の店長の篠川 栞子は実は入院しています。
彼女はとある事故で足を怪我しています。
ですから、プータローの大輔に店の手伝いを依頼します。
ところが大輔は本が読めない・・・。
小さい頃のトラウマで、長い文章を読むとクラクラしてしまいます。
ところが、彼は本が好きです。
読めないからこそ、むしろ本に惹かれていあます。
学生時代も図書委員でした。
一方、「本の虫」という形容なぴったりな栞子は極度の内気。
ところが、本の話をする時だけ、彼女は饒舌に語り始めます。
そのあまりのKYさに、バイトが長続きせずに店には手伝いが居ません。
本が読めないのに本の事を誰よりも知りたがる大輔と、
本の事となれば見境を亡くす栞子は奇妙な関係で結ばれます。
本について語る人と、本について聞く人の関係です。
様々な古本が積み上げられた「ビブリア古書堂」は栞子にとっては天国。
そして、多くの本を愛する読者達にも一種のユートピアです。
■ 膨大な本に対する知識と、優れた洞察力で事件を解決 ■
大輔は古書店を手伝いながら、些細な日常の事件に遭遇します。
その事件の多くは、古本にまつわる事です。
古本が盗まれたり、店に売られた本を返して欲しいと言われたり、
そんな些細な事件ですが、その裏にある事件の真相を栞子はベットの上で解決します。
大輔がワトソン、そして栞子がホームズだとすれば、
ロッキングチェアー・ディテクティブというミステーリーの王道の構造を持った作品です。
ただ、この作品が新鮮なのは、とにかく事件が全て古書に関する事。
そして、それらの古書の多くが、私達が名前も知らないような作品であったりします。
それらの、有名無名の作品は意外にもプレミアムが付いていて、
数十万円を超える古本も珍しくありません。
私達にとっては「単なる古い本」でしか無い古本ですが、
栞子にとってみれば、本と作家が潜り抜けて来た長大な時間が集約されています。
そして、本の持ち主達も、本と一緒に色々な歴史を刻んでいるのです。
栞子が洞察するのは、本と人との関係です。
その本に拘る人達の思考を綿密に読み取って行くのです。
これは、本を利用したプロファイリングです。
■ 「ライトミステリー」というジャンルらしい ■
『ビブリア古書堂の事件手帖』がライトノベルではありません。
「ライトミステリー」というジャンルに分類される様ですが、
人が死んだりといった従来のミステリーと異なり、
ちょっとした日常の謎を解くといったジャンルになると思います。
五浦大輔の一人称で物語は展開し、
登場人物の心理状態を大輔が細かく説明する当たり、ライトノベルの影響もあります。
しかし、しっかりとした大人向けの作品です。
この作品を読んで脳内に結ぶ映像は実写的です。
ライトノベルは一般小説よりお低俗とおう世間の常識からすれば、
この作品を『文学少女』比べるのはナンセンスとなるのでしょう。
しかし、『文学少女』が『ビブリア古書堂の事件帖』劣っている訳ではありません。
むしろ『文学少女』はライトノベルならではの自由な表現が魅力的です。
時々挿入される「ボク」のモノローグは、幻想文学の影響を感じさせ、
現代小説的な実験性も強く感じます。
『ビブリア』がオーソドックスな小説様式であるのに対して、
意外にも『文学少女』は、現代小説にも通じる意欲作です。
この2作品、どちらが難解かと聞かれたら、実は『文学少女』だったりします。
原作を読んでから、作品を読むべきなのも、実は『文学少女』です。
原作を知らないと、面白さが半減するとも言えます。
表現としては未熟で、実験的要素も強いのですが、
ライトノベルというジャンルは表現形態や内容に対して十分に寛容です。
「何でもアリ」なのです。
だから遠子先輩が、本を主食にしていても読者は
「そんなバカナ」という無粋な突っ込みはしません。
ガルシア・マルケスに代表される南米の幻想文学や、
マジックリアリズムに分類される諸作は、「そんなばかな」のオンパレードです。
「そんなばかな」と思える設定が本の品位を落とす事は決してありません。
多くのラノベ作品の様に、「異能の力」が溢れている作品は文字で書かれたマンガですが、
桜庭一樹の初期作品などは、ライトノベルのフォーマットでも立派に小説です。
■ 『嵐が丘』を面白いと読みだした高2の娘 ■
子供はその年齢と読解力に相応しい様々な本を読んで成長します。
去年は読めなかった本が、今年は面白いと感じられたりもします。
『ビブリア古書店の事件帖』も、面白いからもう一度読んでごらんと勧めたら
娘は、「面白い」と言って読み始めました。
そして『時計仕掛けのオレンジ』って持ってる?などと聞いてきます。
(昔は持ってたなんだけどね。図書館に寄付しちゃった)
私が2巻でぐずぐずしていたので、
娘は再度『嵐が丘』を読み始めました。
中学3年生の時は、1ページも読めなかったのに、
今回はヒース・クリフのダークな魅力に嵌ったみたいです。
この余りにも早すぎた名作は、発表当初は無視されましたが、
現代の女子高生が読んでも十分にエキサイティングな作品です。
エミリー・ブロンテも天国で喜んでいる事でしょう。
『ビブリア古書堂の事件手帖』や『文学少女』といった作品は、
「本の悦楽」の入門書として、どちらも優れた作品であると言えます。
長いゴールデン・ウィークを持て余し気味のアナタ。
ご一読をお勧めします。