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経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

台頭する「ヘリコプターマネー論」・・・実は日本では実施されている?

2016-03-29 10:29:00 | 時事/金融危機
 
■ お金を空からばら撒けば、景気は回復する?! ■

「需要が足りないのなら作ればいいじゃない」とマリー・アントワネットなら言いそうですが、最近急激に台頭しているヘリコプターマネー論。

1) 世界経済の低迷の原因は「需要不足」
2) リフレ政策では需要を喚起するには十分では無かった
3) 政府が財政を拡大して直接国民にお金をばら撒き需要を創出すべき

なんだか、リーマンショック直後に三橋貴明氏の周辺で盛り上がった議論を思い出します。

金融緩和と需要不足の分野では日本は世界の10年先を独走しています。アベノミクスの初期が順調な滑り出しだった背景には、期待の拡大や、株価の上昇、円安の進行などの効果と共に、大型補正予算と東北の震災復興の影響は無視できません。

その意味では「財政拡大は景気対策として有効」と言えますが、一方で財政を永続的に拡大出来なければ、需要が落ち込んでいる先進国では財政拡大の効果は一時的に過ぎません。この分野においても日本は世界のトップランナーです。

鳴り物入りでスタートした北海道新幹線の乗車率を見れば、インフラの整備された国家において公共事業の乗数効果が低い事は、今更議論する余地も有りません。

■ 行政はお金の使い方が下手 ■

「ふるさと創生資金」の使われ方を見れば、行政がまともにお金を使えない事は明白ですが、「所得再分配」と割り切れば一概に否定は出来ません。

ただ、往々にこれらの資金は本当に困っている人達の手元には届きません。利権に連なる人達の間で再分配され、増えた貯蓄は金融システムを通じて金利の高い海外へ流出してしまいます。結局、ふるさとを創生する効果は薄い。

■ 中産階級の復活だけが景気を回復させる ■

日本にしても、アメリカにしても需要不足の原因は「中産階級の没落」です。

グローバル企業は労働者に利益を還元する事を嫌い、さらに利益を税金として国家に納める事を嫌います。そのしわ寄せは中産階級の没落という形で表れています。

安倍政権は企業に「所得改善」を呼びかけていますが、東芝やシャープの例を見るまでも無く企業間のグローバル競争は熾烈で、労働分配率を高めると企業が負けるというジレンマも生まれます。

特に、最近の消費傾向は「一時のブーム」に流され易いので、アップルとて3年後にどうなっているかは誰にも分かりません。そんな時代に企業が内部保留を厚くするのは当然とも言えます。

さらに本業よりも内部保留の運用による利益の方が高ければ尚更です・・・。

■ 需要が足りないのでは無く、「買えない」のでは ■

ところで最近世界的に話題の需要不足ですが、冷静に考えれば「欲しい物は無限に存在します」

ただ、所得低下や将来不安が原因で、思うように消費出来ないのが現代の日本人の悩みです。その裏返しで「ダンシャリ」や「シンプルライフ」なんて「買わない」という選択肢が美化されていますが、これは単に「買えない」自分を誤魔化しているに過ぎません。

これは先進国に限らず中国などの新興国も共通で、「庶民は買いたいけどお金が足りない」。

だから「政府がお金をばら撒くべきだ」という主張が出て来るのも頷けます。

■ 企業の負担を政府、将来的な国民負担に据え換えるヘリコプターマネー論 ■

ここまで考えて、「アレ、変じゃね?」とお気付きでしょう。

1) 企業は賃金を十分に払わない
2) 所得の低下を政府に負担させる
3) 財政の拡大は将来的な増税やインフレ税(通貨の価値に棄損)という形で国民に

クルーグマンが来日してエラそうな事を言っていますが、彼などはグローバル企業や世界の経営者の走狗に過ぎないのでしょう。ノーベル経済学賞なんて便利な肩書に過ぎません。

じゃあ、労働者がストライキで対抗出来るかと言われると・・・・企業は簡単に海外に移転してしまいます。

日本を始めとする先進国の成長が鈍化した分は新興国や途上国が豊になっている訳で、世界全体としてはバランスしており、パイも拡大しています。

結局先進国は「低金利やマイナス金利の国債発行」という好条件で財政を拡大して、新興国や途上国の成長を待つしか無いのかも知れません。これも、リーマンショック前から「デカップリング」と呼ばれていましたが、新興国の内需はなかなか拡大しない・・・。これも、新興国の労働配分率が低く抑えられてい事が原因です。要は賃金が抑制されている事が原因。


これが「資本主義における成長の限界」なのかも知れません。一種の「合成の誤謬」で、企業が利益を最大化させればさせる程、全体としての需要を抑制してしまう・・・。



■ 実はヘリコプターマネーを可能にしている低金利やマイナス金利が景気を悪化させる ■

金融緩和や一般的な財政政策の行き詰り感から、俄かに注目され始め、メリットばかりが強調され始めたリコプターマネー。これを成立させる為には中央銀行が国債を直接買い入れて市場売却しないとコミットするか、或いは現在の日本やドイツの様に国債金利がマイナスになって、国債を発行すれば政府が儲かる様な状況が不可欠です。

「なーんだ、なら日本はヘリコプターマネーをやり放題じゃないか?」って声が聞こえてきそいですが、極端な低金利やマイナス金利の弊害に人々は容易には気付きません。

「住宅ローン金利が下がってラッキー」と思うかも知れませんが、貸す方の金融機関は融資をしても利益は僅かです。「金融機関の収益が下がる」という直接的な影響も然ることながら、「リスクに見合う金利が得られない」という点が最大の問題となります。

中小企業などは低金利で銀行から融資を受けようと必死ですが、貸す側からすれば、日本経済がV字回復する見込みでも無い限り、融資が回収出来なくなるリスクは金利が高かろうが安かろうがあまり変わりません。

金利が下がり続ける間はそれでも、下がった金利で借り換えて生き延びる事も出来ますが、金利がリスクに対して下限に近付くと借り換えも難しくなります。

大バブルの崩壊以降、日銀の極端な緩和政策でも日本経済が回復しなかた原因は、金利とリスクのバランスが崩れる事で銀行が企業に融資し難くなるという「低金利の罠」が発生している事に人々は無頓着です。銀行が融資しないから悪いのでは無く、銀行は融資出来ないのです。

■ 余剰資金は金利に吊られて海外に流出するか、国外でバブルを生み出す ■


この様に、ヘリコプターマネーを可能たらしめるハズの国債の低金利やマイナス金利ですが、銀行の金融仲介機能を阻害する事で、実体経済を刺激する事が出来ません。

それでも、「国民に直接(或いは間接的に)資金をバラマケば景気が回復しないはずは無い」というのがかつての三橋貴明氏らの主張です。

これは間違いでは無いのですが・・・「財政拡大」に危機感を国民は持った場合には十分に消費を刺激する事が出来ずに、資金は投資を通じて少しでも金利の高い海外に流出する可能性が高いと思われます。

又、国内の株式や不動産に資金が流れ込めばバブルが生じます。アベノミクスや異次元緩和の結果を見れば結論は出ているでしょう。そしてこれらのバブルは崩壊によって実体経済をさらに痛めつけます。

■ 財務省はヘリコプターマネーを密かに実行しているでは無いか ■

尤も、目立たない様にやればヘリコプターマネーの弊害を小さくする事は可能です。

現在の日本は日銀が新発国債の9割に相当する額を市場を通じて買い入れ、さらに国債金利も10年債までマイナスになっていますから、ヘリコプターマネーをこっそりと導入しているに等しい状況です。

老人を中心にした社会福祉費や、地方へ配られるお金はヘリコプターマネーと同じだとも言えます。ただそれをそう呼ぶか呼ばないかの違いしか有りません。

■ 既得権者と若者の格差が拡大し過ぎて崩壊するだろう ■

日銀と財務省が実行するステルス・ヘリコプターマネーですが、その継続性には疑問が有ります。

1)国債のマイナス金利にも下限が存在するであろう
2)高齢者や既得権者に優先的に配られるヘリコプターマネーによる格差が拡大する

実は今後の日本で問題となるのは格差拡大では無いのか?
自民党の政治を見ていれば、選挙対策で「高齢者と既得権者」を優遇うている事は明らかであり。「保育園落ちた」に代表される若年層への対策は後手に回ります。

既に日本の若者は結婚や育児を諦めてしまった人達も大勢います。既に取り返しの着かない人口動態になっている日本の将来には、クルーグマンも「匙を投げて」います。

今後、社会保保障費や税金の負担の不平等として隠し切れなくなり、「若者と高齢者の対立」が先鋭化するかも知れません。

「若者の老人狩り」なんてヒャッハーでバイオレンスな社会がやって来るかも知れません。そうならない為にも、高齢者の方も「逃げ切り」では無く「日本の将来」を真剣に考えるべきなのですが・・・。

人は個人の利益を最大化する為に全体の利益を顧みません。これは高齢者も若者も同様で、それ故に民主主義は間違った選択を繰り返します。

日本の官僚は優秀ですが、民主主義や資本主義が根源的に抱える「合成の誤謬」を克服する事は容易では無いのでしょう。

シングルスピードで麻綿原リベンジ・・・ならず・・

2016-03-29 09:23:00 | 自転車/マラソン
 



この時期の養老渓谷周辺は、水仙、菜の花、こぶし、モモが咲き競います。今週末には桜もそろそろ見頃を迎えそうで、お花見ライドには最高のシーズンです。

本日もシングルスピードのcanonndleのcapoとお出かけです。先週のヤビツ峠チャレンジでスピナジーのreveXが横剛性不足で10%以上の斜度で使えない(ブレーキシューにリムが接触してします)事が判明したので、後輪をグランコンペに交換しての出撃です。

それにしても、スピナジーって本当に「チート」なホイールですよね。平地での空気抵抗が全然違います。スポーク数の多いグランコンペだと、空気がスポークに粘りつく感じがします。自転車の走りも全くの別物に。あんなにキビキビしていたのがウソの様に、普通の自転車になってしまいまいた。良く自転車のインプレ記事がありますが、あれ半分以上はホイールの乗り心地をレポートしている様なものですね。




やや向かい風ながら養老渓谷には順調に到着。今年の菜の花は寂しいなと思っていましたが、3月に入ってから寒い日が続いたので例年よりもピークが遅れていた様です。養老渓谷の駅では見頃を迎えていました。



先日はFELTで痛恨の足付2回を経験した老川十字路側からの麻綿原の登り、本日は是非足付無しで登り切りたい。

最初の劇坂区間をゆっくりと登っていると後ろからコルナゴさんが追い抜いて行かれました。「シングルですか?!」とやや驚いた様子。緩斜面になってからコルナゴさんを追いぬきます。シングルは勢いを付けないと登りませんから、緩斜面で足を溜めるなんて芸当は出来ません。いつでも全力です。

前回の序盤の足付ポイントは無難にクリアーしましたが、中盤から両腿の裏側が攣り始めました。騙しだまし登りますが、前回2度目の足付ポイントで盛大に攣って、ギリギリでビンディングを外します。

ポカリで電解質を補って、ガードレールでストレッチしながら足攣りが治るのを待ちます。5分位してコルナゴさんが通過して行きました。足攣りが治まってから追走したが、結局再びお会いする事は出来ませんでした。

ところで、ホイールですが・・・やはりリムとブレーキが干渉します。ホイールに横方向に余分な力が掛らない様にダンシングして乗り切りましたが、斜度が緩くてもグイッと踏み込むとサドルからブルブルという振動が伝わって来ます。ブレーキが擦れる感触です。ブレーキのシューの幅を広めにセッティングし直す必要が有りそうです。



一気にダウンヒルして鴨川へ。曇り予報でしたが、晴れていました。適当に波も立っていてサーフィン日和。

それにしてもCAPOは私にはピッタリのフレームです。所謂ピストバイクでは無くロードバイクのジオメトリーでロングライドも楽ちん。ボトルケージも取付られます。最近は街乗りピスト全盛の時代になって、オーダーしなければ手に入らなくなってしまったフレーム。

尤も、チェーン引きを調整できるBBも世の中には存在していて、リアエンドがロード用の逆爪のフレームでもその気になればシングル化は出来てしまいます。ただ、BBの剛性やBB中心の位置は犠牲になりますが・・・。




帰りは鴨川有料道路の登りをこなして、久留里に出ます。本日の目的は「福祝」の藤平酒造さんに立ち寄る事。その為にデイパックを背負って来ました。



江戸時代から続く造り酒屋の中は、「福祝」でイッパイ。日本酒好きの間では「千葉県ナンバー1」と言われる酒蔵です。ちなみに藤平酒造の「福祝」、東灘酒造の「鳴海」、鍋店(なべたな)の「不動」を千葉の地酒御三家に挙げる方が多いかと。(先日、鍋店の方もこの3銘柄を挙げていました。)




という事で、本日の1本は・・・播州山田錦50%磨きの無濾過生原酒、「福祝 厳選袋吊雫酒」です。うす濁りです。アパートから3か月ぶりにやって来る息子と楽しみました。これ、開けたてよりも少し時間が経った方が「キリリ」とした飲み口に代わります。飲み終わる頃に気付いたのでちょっと残念。

名水の町として有名な久留里ですが、地下400m位から上総堀で吹き出す地下水は、かつての海底堆積物の成分を多く含有しており、硬度がやや高めの水です。硫黄臭がするのですが、醸造前に水は濾過されるそうです。

ちなみに藤平酒造さんの店の前にも地下水が湧きだしていますが、醸造に使われる井戸は別のもっと深い井戸だそうです。




本日はカミサンにもお土産です。日本酒5年物の古酒で漬けた梅酒。癖が有るかと思いましたが、先日の「腰古井」の「大吟醸日本酒うめ酒」よりも酸度が高めでスッキリした飲み口。家内も娘もこちらの方が好みの様です。

他にも色々有りましたが、又機会があれば。(夏の間は無理かな、背中に背負って走ったら暑さで劣化しちゃうから・・・)


そんなこんなで、本日も自転車と日本酒の旅でした。



・・・最近、経済記事少ないんじゃないの?って声が聞こえて来そうですが、欧米はFRBの利上げが遠のいて安定ムード。根本的な危機が去った訳では有りませんが、しばらくは波乱は無いでしょう。

日本株は期末に向けて日銀と公的、準公的資金が買い支えているので、17,000円を行ったり来たり。海外勢はリーマンショック直後を超える勢いで日本株を売り抜けていますが、売り崩すつもりはないでしょう。まだ当分、日本株で儲けが出ますから。

大人の為のラノベ講座・・・世界と繋がる為に

2016-03-23 04:38:00 | 
 




■ 外人留学生が西尾維新のファンだった!? ■

以前の記事遊びとしての文学・・・西尾維新・「化物語」にコメントを頂きました。

国文科を卒業されている主婦の方が、日本文学に興味の有るアメリカ人留学生をホームステイで受け入れた所、「村上春樹が好きだ」と言っていた彼は西尾維新の『化物語』の素晴らしさを力説した。彼女もとりあえず原作を読んでみたが、どこが良いのか分からずに困惑している・・・

そんなコメントでした。

■ 外国人が日本語を勉強する時点で、その動機は「アニメやマンガやラノベを原語で理解したい!!」 ■

前出の場合、「村上春樹が好き」というのはポーズでしょう。彼の本音は「アニメやマンガやラノベの原作を日本語で理解したい」では? これは、リアルタイムで日本のオタク文化を共有する世界の多くの若者に共通した願望で、それが高じて日本語を勉強して日本を訪れる方も少なくありません。

「村上春樹」というのは、彼がとりあえず世界では日本文学の代表作家であり、彼の名前を出しておけばカモフラージュに成る程度の「存在」に過ぎないかと(憶測ですが)。

■ そもそも村上春樹って何で人気が有るの? ■

そもそも日本人の私は村上春樹を全く理解出来ません。『ノルウェーの森』は過去に読みましたが、冒頭の飛行機の中のシーン以外は一片たりとも思い出す事が出来ません。短編なども母親の書棚から拝借して読んでみますが、「上手な書き手」という以外の感想は持ちません。

彼のテーマは「喪失」とか「虚無」と言われていますが、彼はその抜けた穴を描く事に執着している様に見え、穴を塞ぐ事を放棄している様に思えます。

この様な作品は世界でも80年代のポストモダンの小説に多く見られました。ポール・オースターの『GOST(幽霊)』が端的な例でしょう。探偵の主人公は「誰か」を探していますが、その誰かが不在(幽霊)だというお話。(ただ、その後の彼は穴を丹念に埋める作業を続け、『ムーンパレス』などの作品に結実します。)

「虚無」や「喪失」をテーマにした作品が出て来た背景には、現代小説が描くべき題材を失った事と無関係では有りません。近代以降、小説というジャンルは人間の内面に迫るべく急速に進化しました。ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』やマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』などを生み出しますが、これらの作品は大衆性とは対極に存在し、私も何度も読もうとして座性しました。

この様に人間の内面をひたすら追求した作品の対極として、社会との結びつきを強めた作品も存在します。ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』や、ウィリアム・フォークナーの『サンクチュアリ』などが思い浮かびます。フォークナは「意識の流れ」の手法を身に着けているので、中間的存在かも知れません。

これら真剣な探究心の文学と同時に、ロストジェネレーションやビートジェネレーションといった破壊的な作家達も現れます。前者はヘミング・ウェイ、フィッツジェラルド、ヘンリー・ミラーらが代表的です。

ビート・ジェネレーション(ビートにクス)の代表作家はウィリアム・バローズやジャック・ケルアック、そして詩人のアレン・ギーンゼバーグらです。彼らは若者達に絶大な人気を得ますが、ケルアックの『路上』なんて「ヒッピーがヒッチハイクしてアメリカを彷徨ってクソして寝る」みたいな作品ですから・・・。

村上春樹が属すると思われる80年代以降のポストモダンの作家は、ビートニクスの狂乱の後に登場します。日本では全共闘を経験した世代です。政治的にも文化的にも熱かった60年代、70年代が終り、「微熱的」な時代の到来が生み出した作家達です。

実は彼らの世代の抱えた大きな問題は「書くべきテーマが無い」事でした。アメリカのヒッピーにしろ日本の全共闘にせよ、若者の政治参加が不毛である事に気付いた「虚無感」に支配されていたのです。さらには生活が豊かになり、価値観が多様化する中で、「描くべき物語」は見えなくなって行きます。

前出のポール・オースターは全く書けなくなり、「目の前に置いた水の入ったコップをどう表現するのか」から再びスタートしたと語っています。確か高橋源一郎も同様の事を言っていた様に記憶しています。

その様な時代性にマッチしたのが村上春樹だったのだと私は考えています。彼は「かつて存在した物の残した微熱」を上手に表現する作家です。「自分は大事な何かを失っているけれど、それが何か思い出せない」といったテーマをスマートに表現して見せます。要はオシャレなのです。

同時代、アメリカで最も支持されていた作家はジョン・アービングでしょう。『ホテル・ニューハンプシャー』や『ガープの世界』が有名ですが私はデビュー作の『熊を放つ』が好きです。彼のテーマも喪失ですが、メランコリックで大衆には分かり易く、これが支持された要因かと思われます。ちょっと俗っぽい。

この様に現代文学は、人間の内面を描きながらも時代の流れと無関係では居られません。そして、その作家を真に理解する為には、その作家と同時代の空気を共有していなければなりません。

「村上春樹って、そんなに凄いの?」と私が感じてしまうのは、私が彼と同時代の空気を共有していない事に原因が有るのかも知れません。

ましてや、アメリカ人の若者が村上春樹を理解するには相当ハードルが高い。ただ、日本の作家で欧米で一番有名なのは彼で、翻訳されていて評価も確定している・・・。だから、日本文学を語る時に「村上春樹が好きです」と言っておけば間違いが無い。これが逆輸入された形で「私、村上春着のファンです」という日本人が増殖しています。村上春樹の凄い所は、こういうファンを離さない様に「オシャレ」であり続ける事でしょうか・・・。

個人的には小川洋子の方が凄い作家だと思うのですが・・・。

ゆっくり読みたい・・・「猫を抱いて象と泳ぐ」

さらに三崎亜記とか、三崎亜紀・・・役所言葉のリリシズム

『ミサキラヂオ』の瀬川 深といった作家の方が好きなのですが・・。「ミサキラヂオ」・・・終わらない物語



■ SF小説のインフレーションとしてのアニメとラノベ ■

くどくどと現代小説について知った様な事を書いて来ましたが、実は最近はほとんど読んでいません。・・・と言うよりラノベしか読んでいない自分に驚愕します・・・。

何故私はラノベばかり読む様になってしまったのか・・・・。それはラノベがアイデアの宝庫だからです。

かつて面白い小説は『SF小説』というジャンルに沢山存在しました。アシモフ、ハイライン、デュプトリーJr、ルグイン、ディック、バラード・・・名前を思い浮かべただけで顔に恍惚の表情が浮かんでしまいます。

現代小説が「自分って何?」なんて狭量なテーマを捏ねくりまわしている間に、SF小説は「宇宙と生命と知性の深遠」を探求し続けて来ました。SF小説は元々「コト」を描くジャンルだったので、「僕って何?」という袋小路に陥る事が無かったのです。そして、科学の数々の発見や新理論が、新たなSF的アイディアを拡張し続けたので進歩の足を止める事が無かったのでしょう。

尤も、SF小説が大衆に人気があったのも70年代までだったお様に思われます。70年代の「ニューウェーブ」と呼ばれる作家達はビートニクスの影響を大きく受けて、精神世界への興味を深めて行きます。フィリップ・K・ディックが代表でしょう。(私はバラードの方が好きですが)

80年代に入るとSF小説は売れなくなります。何故か・・・。それは難しくなり過ぎたのです。科学や物理学の進歩によってSF小説の扱うテーマも複雑化します。グレッグ・ベアーの諸作品などはとても面白いのですが、理系の若者でも理解が難しい内容になってしまいました。(単に理系の若者の能力が低下しただけとも言えますが・・)

SF小説が売れなくなる一方で、実は世間はSF的な物で溢れ返ります。『スターウォーズ』の成功がカギとなるのですが、ルーカスやスピルバーグの諸作、映画化されたディックの作品(ブレードランナー)など、小説とういジャンルから映像に変換されたSFは、瞬く間にインフレーションを起こします。

日本では『宇宙戦艦ヤマト』が切っ掛けとあんり『機動戦士ガンダム』という金字塔に至ります。

この影響はライトノベルにも反映されます。私の少年時代のライトノベルと言えば朝日ソノラマですが、これは子供向けのSFの宝庫でした。代表的な作家は高千穂遥だったと思います。『クラッシャージョー』シリーズや『ダーティーペアー』シリーズは、ガンダムの作画担当だった安彦良和の挿絵もあって大人気でした。これらは後にアニメ化しています。

もう一方の人気作品は『バンパイアハンターD』で決まりでは無いでしょうか。菊池秀行は奇譚小説の名手で大人向けのエログロな作品が多いのですが、子供向け作品にもその片鱗が見られ、なんともダークで怪しい世界にゾクゾクした事を覚えています。こちらの挿絵はガッチャマンで有名になったて天野喜孝で、彼は今では世界的なアーティストの一人です。

バンパイアというテーマはSF小説の源流となった「ゴシック小説」の一ジャンルで、実はSF小説の亜流と思われがちなファンタジーというジャンルはSF小説の保守本流です。剣がビームサーベルに、魔法が科学に、馬や甲冑がロボットになったのが、現代のSFだとも言えます。

■ アイデアと才能の宝庫としてのラノベ ■

朝日ソノラマの時代は、大人の書き手が子供の為に面白い話を書いていまいした。これは一種の「児童文学」みたいなものでした。

一方、時代を経て「ライトノベル」という呼び方をされる様になると、書き手の年齢がどんどん読者と同じになって行きます。これは一種の「同人化」で、文章もどんどん稚拙になって行きます。

これをして、「ライトノベル=小説以下」と決めつける人が多いのですが、本来なら作家デビュー出来ない「原石」を発掘する効果は絶大です。そうした中から、桜庭一樹や有川浩が見出されて来ました。SF小説のジャンルからは冲方丁が掘り出されました。

■ 日本文学の正当な継承者としての『化物語』 ■

さて、ようやく話が『化物語』に到達しました。

西尾維新という作家は曲者です。年齢的にはライトノベルの作家達よりも上なのですが、彼は敢えてライトノベルというジャンルを好んでいる様です。それは、「遊びが許容される」という自由度が確保されている事が大きいかと・・・。

大衆文学における『遊び』は重要な要素で『枕草子』や『源氏物語』は今で言う所の少女マンガみたいな物でしょう。貴族達は「勉強」としてでは無く「娯楽」としてこれらの作品を楽しんでいたはずです。『~草紙』などという作品は概ね娯楽作品です。

江戸時代に入ると大衆文化は多岐に渡る様になります。井原西鶴などは現代で言えば「戯曲家」でしょう。人形浄瑠璃自体が当時の娯楽で、西鶴は現代で言う所のトレンディードラマの売れっ子脚本家と言った所でしょうか。

ライトノベルの原点としては『南総里見八犬伝』の滝沢馬琴が筆頭に上がります。八犬伝は「読本」と呼ばれるジャンルでしたが、馬琴は「黄表紙」というより通俗的な貸本も多く書いていた様です。「黄表紙」などまさに現代のライトノベルやハーレクインロマンスと言った所では無いでしょうか。

十返舎一九の『東海道中膝栗毛』も当時としては「ギャグ」として楽しまれたいました。ほとんどマンガと同じ扱いです。

夏目漱石の『坊ちゃん』や『吾輩は猫である』なんてモロにラノベですし・・・。

この様に現代では「文学」とされてしまっている作品の多くは、当時は「大衆の娯楽」として書かれています。ライトノベルは「言葉と文字を使って人を喜ばせ、自分も遊ぶ」という大衆文学の原点に非常に忠実なジャンルであると言えます。そして、その最右翼の作家が西尾維新です。

■ 主役は変化し続ける言葉 ■

西尾維新の作品の特徴は「内容が無い」事でしょう。まさに「ポップアート」の文字版です。

消費されて消える事を前提に書かれた小説とも言えます。その点で赤川次郎などとも共通する点が有りますが、その才能には天と地との差が有ります。赤川次郎の諸作(実は一冊も読んだ事が有りませんが)は、お手軽に推理小説を提供して人々を楽しませる事(ひいては売れる事)に目的が置かれていますが、西尾維新の作品の目的は「自分自身の為の言葉遊び」です。

そしてその言葉遊びは「高度」です。だらだらとした会話を垂れ流す登場人物達の「言葉」は変幻に変化しながら、カラフルで複雑な模様を紡いで行きます。最早、彼の作品においてストーリーやプロットは従属的で、主役は「変幻に変化する言葉」そのものなのです。

このダラダラとした感じは、実は現代文学の「意識の流れ」の手法に近いのでは無いか?彼がそれを意識しているとは思えませんが、読者の脳をトリップさせる効果は似ています。

■ 先ずはアニメから入るべきだ ■

いろいろ書いた所で、ライトノベルを大人に理解させる事は至難の業です。

そこで手っ取り早いのが、「アニメを観る」事です。

西尾維新の『化物語』は、現代を代表するアニメ作品になっていますから、先ずこちらを鑑賞して原作を読まれると、作品世界に入り易いかも知れません。そもそも、ライトノベルとアニメは不可分の存在なので、両方を鑑賞して完結するのかも知れません。


とまあ、長々と書いてしまいましたが、最後は「好きか嫌いか」という問題に成ります。私の家内などは「オタク的」なアニメは全く受け入れませんが、少女マンガ原作のアニメは私の後ろでチラミして、時々プーー!!なんて笑っています。

「面白い」と感じる事にはジェンダーの差も大きいので、「少年向け」に作られた作品は女性にはツマラナク感じるのかも知れません。大きなオッパイも、時折見えるパンツにも女性はドキドキしませんから・・。


さて、件の留学生君、せっかく日本に来たのだから日本のアニメとラノベと是非堪能して日本文化をアメリカに伝えて欲しい。そんな彼にお勧めなのは・・・当ブログのアニメと本の欄を是非お勧め下さい。

そして、大人の皆さんには今季放送されている『昭和元禄落語心中』と『僕だけが居ない街』というアニメをご覧になって頂きたい。アニメやマンガというジャンルが、ドラマや映画というジャンルに全く引けを取らない事が良く分かるかと思います。


本日は異文化交流のお話でした。

無限国債の限界・・・現実的なシナリオ

2016-03-22 05:34:00 | 時事/金融危機
 
 
■ マイナス金利でも益出しが出来る日本国債 ■

普通に買えば損をするマイナス金利の国債を金融機関が敢えて買うのは何故か・・・それは将来的に国債金利がもっと下がる事を予想しているから。ここら辺は財務省・日銀と金融機関が阿吽の呼吸で間接的な日銀の国債買い入れを継続しているので、金融機関も安心してマイナス金利の国債を買う事が出来るのでしょう。

要は日銀が、もっと高い価格(低い金利)で国債を買い取る事が暗黙のルールとなっているという事。これが無限に続けは政府は国債発行益を得られる訳で、それこそ無税国家だって出来てしまいます。

■ 国債金利の下限は存在しないのか? ■

金利に下限が存在するならば、マイナス国債を民間金融機関が買う事が出来なくなる時が必ずややって来ます。では金利の下限は何処にあるのか・・・?

国債金利は本来市中金利を反映する物ですが、市中金利は間違ってもマイナスにはなりません。お金を借りたら利息が貰えるなんて事は絶対に起こり得ないからです。

このまま国債金利のマイナス幅が拡大すると、市中金利と国債金利の差が徐々に開いて行く事になります。この状態で景気回復が発生した場合、金融機関が国債購入で稼げる金利よりも、市中の貸し出しで稼げる金利の方が大きくなるので、金融機関は手持ち国債を売却しますし、当然新発国債の入札も手控えるでしょう。そうなると国債金利がピョンと跳ねあがて国債を大量に保有する金融機関が経営危機になります。

これを防ぐ為には「不景気の継続」が必要で、日本は少子高齢化で構造的にマイナス成長がて長期的に続くので、金利上昇をあまり心配せずに財務省・日銀は国債のマイナス金利を継続する事が可能となります。

■ 国債金利が不用意に低下し過ぎた時が危険 ■

現在は市中に資金は溢れていますから、これが効率的に海外にポンピングされなければ国内で資産バブルが発生します。円高によって国外投資の逆転が発生している現在、国内でバブルが発生し易い状況ですが、世界経済に黄色信号が点灯している事と、年初来の株安がバブルの発生を防いでいます。

なんだか、しばらくはマイナス国債の恩恵が続きそうな気がして来ましたが、問題は残されています。

仮に海外で再び金融危機が発生すれば、海外の資金が引き上げられ、短期的には資金の逃げ場は日本国債となるので、国債金利はさらに低下します。国債への資金流入が続く間は金利は下がり続けます。

この状態が危険だと私は考えています。日銀と金融機関の阿吽の呼吸で管理されていた国債金利が下がり過ぎると、その次は金利上昇がかならず発生します。ここで、金融機関が驚いて国債売却に走ると、一見完璧に見えた「財政ファイナンス」の方程式が崩れます。

「無限国債」や「無税国家」などは当然実現し得ないのですが、世界経済の状況如何によっては現在のマイナス金利国債の限界も意外に近いのでは無いでしょうか?


<追記>

日銀が当座預金の超過準備のマイナス金利適応規模を拡大しなければ、資金の逃げ込み先は日銀の当座預金となる事も考えられます。ここら辺の匙下限と、金融機関との連携が日銀の腕の見せ所となるのでしょう。



リベンジ!!ヤビツ峠・・・シングルスピードでGO!!

2016-03-20 19:21:00 | 自転車/マラソン
 

■ 男に二言は無い?! ■


昨日の妙な予告記事に4つも拍手を頂いてしまって、もうこれは男としてヤビツ峠をシングルスピードで登るしか無い状況に追い込まれました。


朝、7時前に浦安駅で電車に乗り、小田急線の伊勢原駅には9時頃に到着。しかし・・・あいにくの雨です。予報は10時頃から雨は上がると告げています。

10時半頃には予報通り雨は上がり、仕方なく?国道246を秦野方面に走り出します。途中、善波トンネルまでの長い登り坂で、ヤビツに向かうローディー達の後ろに付きます。



長い冬がようやく終わり、ヒルクライマー達が搖動し始めた様です。名古木(ながぬき)の交差点のコンビニには既に数組の自転車乗り達がスタンバイししています。

このコンビニをスタートして、ヤビツ峠(761m)まで40分以内で駆け上がったら、ロードバイクの初心者卒業認定だと言われています。


■ 序盤にいきなりラスボスが出て来るって、このコースおかしくねぇ? ■

ヤビツ峠ヒルクライムの最強の敵は、序盤に待ち構える斜度10%超え、距離1Km程の蓑毛の坂道です。直線で見通しが効くだけに、心がへし折られそうになります。これ、ほとんど初心者にとってはムリゲーで、ゲームを始めてスライムを2匹倒したら、いきなりラスボスに遭遇しちゃったレベル・・・。

そこを46t-16t、クランク長165mmで挑むなど無謀とも思えますが・・・時速7~9Km/h程度でジワリジワリと登ります。足の力を緩めると、自転車が止まってしまいそうです。前回はここで痛恨の足着きをしましたが、今回は何とかクリア。

蓑毛バス停から先は斜度が緩やかになります。ここでペースを上げないとタイムは出ません。そこで、ペースを・・・・上がりません。既に足が終ってます。さらに、ジョギング用のタイツがずり下がって、気になって仕方ありません。ヒルクライムの最中にタイツを何回もズリ上げると言う、何ともトホホな状況に陥りました。(薄手のビブタイツ欲しい・・)

菜の花台の手前あたりからは後輪が何だか重い・・。パンクかと思いましたが、どうやらスピナジ-のREV4は横剛性が足りないらしく、トルクを掛けるとブレーキシューにリムが擦れてしまう様です。これ、ブレーキを掛けながら登っているのと同じ状況で、心が粉砕されそうになりました。(多分、そうなるだとうとは薄々予想はしていまいたが)

菜の花台はコースの中盤です。ここから先は斜度も若干緩くなるので、スパートを掛けなければなりません・・・しかし、足は既に売り切れです。17Km/h台で登りたいのですが、12km/h程度しか出ません。

ここから先は、失速しない様に我慢のペダリング。幾つものコーナーを過ぎると、残雪が路肩に残っている高さまで登って来ました。すると、いきなり「ヤビツ峠」の看板が目に飛び込みます。あれ、ラストスパートの前に着いちゃったよ・・・。


そんなこんなで、お約束の写真。






タイムは51分41秒。途中、二回信号に捕まっていますから、これに2分程度加算しなればなりません。

・・・40分切は・・・まだまだ先の話です。

とは言うものの、ギアー比2.875のシングルスピードで脚着き無しでヤビツ峠を制覇しました。50歳のオヤジとしては頑張った方では無いでしょうか。


■ 裏ヤビツは春の息吹 ■

2年前は崩落で宮ヶ瀬まで行けませんでしたが、どうやら道は復旧している様子。天気も裏ヤビツは晴れ間が見える予報になっています。



暖かな南房総の山と違い、3月の丹沢は、まだ冬の名残を残しています。空気も春のざわめきというよりは、冬の凛とした感じが残っています。



下り初めてしばらくすると、路肩に車が何台も止まっています。ここは「護摩屋敷の水」と呼ばれる湧水です。ペットボトルを何十本も持参した人達が水を汲んでいます。私もボトルに水を満たします。(ちょっとポカリの匂いがしますが)

実はヤビツ峠の麓の秦野市は数々の湧水が有り「秦野の水」なるペットボトルが私の大学生の頃から売り出されています。市街化が進み湧水の量は減って来た様で、秦野駅近くにある「弘法の清水」は一時は水質基準を満たさなくなりました。(現在は一度組み上げて浄化した水を地中に再び戻している様です・・・)



前回お邪魔した「きまぐれ喫茶」は閉まっていました。多分、冬の間は休業なのでしょう。



ここから道は川沿いを下って行きます。水量はほとんどありませんが、これが中津川の源流になります。河原に点在する木はブナでしょうか?



この辺りの斜面一面に白い花が咲いています。ちょっと沈丁花(じんちょうげ)の花に似ていますが、これが和紙の原料になる「ミツマタ」です。枝が「三又」に分岐している事からこの名が付い板と言われています。実はヒマラヤ原産で古い時代に日本に持ち込まれたものです。ですから、この斜面の群生も人為的に植えられたものかも知れません。


■ 雪解け水?を集めて流れる中津川 ■




山を下るに従って、多くの沢が合流して川幅が増して行きます。雪解け水なのか沢の水は豊富です。砂防堰を瀧の様に滔々と流れ落ちています。



唐沢キャンプ場を過ぎると川幅もだいぶ広がります。透明な水の中を30cm位のマスが沢山泳いでいるのが見えます。

■ 宮ヶ瀬ダム ■



しばらくすると中津川は湖へと流れ込みます。これ、宮ヶ瀬ダムと言う人造湖です。総貯水容量約2億トンの首都圏最大のダムですが、1971年に着工されたものの補償交渉の難航で完成は2000年となりました。

私の学生時代は「虹の大橋」のはるか下を中津川が流れていましたが(橋の下を見ただけで股間が縮む眺めで、心霊スポットでも有名です)、現在はダムの水面が橋の直ぐ下に迫っています。



大きな吊り橋の先に公園が見えたので、自転車を押して吊り橋を渡ります。公園の入り口には土産物屋や定食屋が並んでいます。





その内の一軒を選んで入ります。山菜蕎麦を注文すると、サービスで山菜の天ぷらが付いて来ました。「うるい(オオバギボウシの若葉)」などがカラリと揚げられいます。

ヤビツ峠付近は雲が重く垂れこめていましたが、宮ヶ瀬は日差しが出ています。丹沢の表側は太平洋からの湿った空気が急に上昇するので雨が降り易いのです。特に丹沢山系の東端に位置する大山は独立峰に近く、「雨降り山」とも呼ばれる位い雨が多い。その豊富な雨水が宮が瀬ダムに貯められているのです。

30分程、まったりしてから、再び自転車に跨ります。相模湖方面に抜けても良かったのすが、裏ヤビツの川沿いの眺めが素晴らしかったので、裏からヤビツ峠を登ります。こちらは、緩斜面からスタートして徐々に斜度が増すコースです。山道らしくて私は好きなコースです。

「きまぐれ喫茶」から先に少しキツイ坂が有りますが、それを過ぎればスパートが掛けられる斜度になります。本日2度目のヤビツ峠は、あいかわらず自転車乗りで賑わっていますが、雨がパラパラと降って来たので、早々に下る事に。路面がウェットなのでスリップと対向車に注意して慎重に下ります。

時刻は2時を過ぎていますが、沢山のローディーの方が峠の頂を目指して登って来ます。相当早い人も居れば、既に自転車を押している人も居る。さすがは関東のヒルクライムの聖地です。

蓑毛から下は道幅も広がるので、飛ばし放題。ジェットコースターを下る様なスリルが味わえます。

■ 本日の一本は「泉橋酒造」 ■



秦野駅の近くで酒屋さんに寄ります。店の中を見回していると奥から御婆さんが出て来ました。「秦野のお酒をお探しですか」と察しの良い事を言われます。「秦野に限らず神奈川でお勧めは?」とうかがったところ勧められたのが「泉橋酒造」。

海老名の酒蔵ですが、代替わりして息子さんが頑張っているのだとか。自家製の山田錦を原料にされているとかで、近隣の農家も契約栽培で山田錦を生産し始めている様です。

ラベルがモダンで日本酒らしくないのですが、これも若い人に日本酒をカジュアルに楽しんでもらう工夫でしょう。色々ある中から「純米吟醸うす濁り」を選びます。「とんぼの越冬卵(えっとうたまご)雪だるまラベル~粉雪にごり~」と長々しい名前が付いていますが・・・・。


されお味は・・・・フルティーで切れも有り、さらに最後に苦味が有る。泉橋酒造さん、人気は本物ですね。1600円のワインでは太刀打ち出来ないでしょう。



本日はヤビツ峠にシングルバイクでリベンジしてみましたが、40分の壁は高い!!



頑張った自分にファイトーーー!!





元「野狐禅」の竹原ピストルのバージョンも心に響きます。