■ 「ドル」と金兌換制度 ■
第二次世界大戦後のブレトンウッズ会議で、世界の基軸通貨がドルと決められました。それまではポンドが基軸通貨の座に有りました。
これは、現代で言うば、新興国の中国がアメリカを凌ぐ国力を持ち、アメリカが戦争で国力を失ったから、中国の元をこれからの基軸通貨にしようと決める事に等しい行為だったと言えます。
ただ、そう決めるだけでは「信用」が無いので、ドルは金兌換通貨として「1オンス35ドルで金に交換できる」という「金の価値」で「物質的な価値」を裏打ちをされ、各国通貨はいつでもドルに換える事で、金に兌換出来るという間接的な金兌換で「通過という価値」が与えられました。
この為にはアメリカが金兌換に耐えうる金準備を保有している必要が有り、世界の金はアメリカに集められたのでしょう。日本やフランス、ドイツなどの金準備はアメリカのフォートノックスにある地下金庫に集められましたが、フランス最近、自国の金準備を戦艦でフランス国内に移送しています。
ドイツ国会も自国の金準備を国内に取り戻す法案を可決しましたが、実際にアメリカから奪還した金はほとんど無く、彼らは金準備を取り戻す事を放棄しました。
先般、スイスはスイスフランの20%の金準備を中央銀行に義務付ける法案を国民投票に賭けましたが(スイスは直接民主制)、これは否決されています。
この様に、単なる紙切れである通貨が信用を得る為には「金兌換」という方法が用いられて来ました。戦後のドルとてその例外では有りませんでした。
■ 経済発展を阻害する金兌換制度 ■
金は有限の資源であり、金兌換通貨であるドルは、金の量によって発行に上限が設定されます。これこそが、紙切れの通貨の価値を支えている理由でした。たとえ紙切れであっても、発行量が規制されていれば、不必要に増えて価値を失う事が無いからです。(さらにいつでも金に交換出来ますし)。
しかし、基軸通貨であるドルが金にペックしていると困る事が生じます。それは、世界の経済が戦後から復興して拡大する為に必要な資金の量が制限されてしまうのです。
ブレトンウッズ体制下では、各国の通貨は固定相場制でドルにペックしていましたから、ドルの量が増えなければ各国の通貨も増える事が出来ません。ドルが金の量で上限が決められていると、各国は勝手に通貨を増刷する事が出来ずに経済発展が妨げられます。
■ 金準備が減り続けてたアメリカ ■
戦後しばらくすると、ドイツや日本が工業国として発展します。これらの国はアメリカを始めとする世界に大量に輸出を行い、その対価としてドルを手に入れました。このドルは当時金に交換する事が出来たので、アメリカの金準備は減り始めます。
アメリカの金準備が減ればドルの量も減らざるを得ないのですが、経済発展を続ける世界は、大量のドルを始めとした通貨を欲する様になります。
1971年8月15日にアメリカ大統領リチャード・ニクソンは、一方的にドルの金兌換を停止する事を宣言します。これを「ニクソンショック」と呼びます。同時に従来の固定相場制を廃止してドルを各国通貨に対して切り下げる事も発表されます。
今まで金兌換によって価値が裏打ちされていたドルが、いきなり「紙切れ」になった瞬間でした。この発表を事前に知っていたのはニクソンの側近の4人だけだと言われています。(そういう事にしておこう・・・という意味でしょう)
ニクソンの発表を受けて世界は震撼します。当然ドルは売られ強い値下がり傾向を示しまいた。日銀はニクソンショックから10日間で40億ドルのドル買い円売り介入をしますが、結局1ドル360円というレートを維持する事が出来ずに、円は変動相場に移行します。その後、固定相場への復帰が検討されますが、結局世界は変動相場に移行してゆきました。
■ 戦後のアメリカの金融抑圧政策 ■
日本やドイツを始めとした輸出国は、貿易で得たドルを米国債で運用していまいした。現金のドルで保有するよりも金利が得られるからです。これは現在も変わりません。
ただ、ドルが変動相場で切り下がると、米国債の価値も同時に切り下がります。要はドル安はアメリカにとって過去の債務の負担が減る事を意味するのです。
アメリカは第二次世界大戦後に大量の国債を発行して、戦時国債を償還します。1951年の「財務省・連邦準備アコード」が発表されるまで、アメリカの国債金利はFRBの買いオペによって2.5%程度にほぼ固定されていました。しかし、1951年以降は、米国債金利は市場に委ねられました。
米国債金利推移
http://indexfund.nomura-am.co.jp/viewpoint/school/07/01_02.html より
米国債の対GDP比
http://indexfund.nomura-am.co.jp/viewpoint/school/07/01_02.html より
アメリカは第二次世界大戦で国内の生産設備が破壊されていなかったので、戦後復興で経済が急速に拡大します。戦後のインフレ率も10%近くに達します。一方で国債金利は2.5%に固定されていたので、結果的に国債負担は軽減します。(金融抑圧政策)
1950年頃からアメリカのインフレ率は低下します。戦後復興で各国の国内生産力が上がり、世界的に供給力が回復した事が原因と思われます。インフレ率が低下したので、米国債金利を市場原理にゆだねても金利は低く押さえられます。そこで、1951年にアメリカは金利を自由化したのでしょう。
米国債はドルと並ぶアメリカの主要輸出品目です。日本はドイツの輸出の増加は、ドルや米国債の需要を押し上げました。米国債需要の高まりは、米国債金利を低く抑制します。
アメリカは戦後大量に発行した国債の償還を順次迎えますが、旺盛な海外の米国債需要が償還を支えたと言って良いでしょう。一方でアメリカの経済発展は高いインフレ率と税収の増加を支えました。
http://amesei.exblog.jp/7696913/
■ 米国経済の陰りとベトナム戦争 ■
アメリカのインフレ率は1960年事に低下しています。この時ベトナム戦争が発生します。
実は上のインフレ率のグラフを見ると、こんな関係が見えて来ます。
1940年・・・デフレ傾向・・・・1941-45 第二次世界大戦
1950年・・・デフレ傾向・・・・1950-53 朝鮮戦争
1960年・・・デフレ傾向・・・・1960-75 ベトナム戦争
どうもこの時期アメリカはデフレ傾向が発生する度に戦争をしている様に見えます。戦争による軍需産業の活況は、アメリカ経済を回復させます。要は、アメリカにおける戦争は公共事業に等しいのです。
一方で公共事業は国債の大量発行とセットになっています。アメリカは10年毎に10年債の大量償還時期を迎える事になります。
■ ベトナム戦争の国債償還をドルの切り下げで乗り切る ■
ベトナム戦争で発行した10年債が順次償還を迎える1970年以降、アメリカは米国債の償還コストを削減する方法を取ります。
それがニクソンショックという強引な通貨の切り下げです。これによりアメリカ国外が保有する米国債の価値は実質的に目減りします。
同時にアメリカ国内は輸入コストが増大するのでインフレが進行します。
■ ドルを支えた中東戦争 ■
ニクソンショックによってドルは「紙切れ」になりますが、しかし、ドルは基軸通貨の座を滑り落ちる事はありませんでした。
これに貢献したのが中東戦争に端を発する「石油ショック」です。
当時石油はドルで取引されていましたが、1973年の第一次石油ショックで2ドルか
ら20ドルと、原油価格は10倍に跳ね上がっています。さらに、1979年の第二次石油ショックで20ドルから50ドルに跳ね上がりました。
これにより旺盛なドル需要が生まれ、ドルは基軸通貨の座を守る事になります。ドルは金』兌換紙幣から、石油兌換紙幣になったのです。
これを「修正ブレトンウッズ体制」と言います。
中東戦争が軍前発生したのか、それとも石油価格の操作の為に発生したのかは定かでは有りませんが、結果を重視する陰謀論的には、イスラエルの存在は・・・。
■ スタグフレーションの発生とレーガノミクス ■
原油価格の高騰は、世界中でインフレを進行させました。一方で原油価格の上昇は生産コストを高めるので経済は停滞します。
この時期、日本は高度成長期だったので、オイルショックでも経済は拡大していましたが、アメリカやヨーロッパでは景気後退とインフレが同時進行するスタグフレーションに陥ります。
アメリカは不況を克服する為に財政を拡大します。ケインズ政策です。
しかし、ここでジレンマが発生します。不景気対策として金利を抑制すると、原油高によるインフレが加速します。金利を上げてインフレ率を抑えようとすると国債発行コストが増大します。
1980年にロナルド・レーガンが大統領に就任します。
レーガン大統領就任の時期に最も重要な経済の課題は、インフレの抑制でした。ベトナム戦争からオイルショックと続く不景気で米国政府は財政を拡大し続けましたが、これは同時にインフレを拡大する事になります。この時期、アメリカのインフレ率は12%にも達し、米国債金利は3カ月物で20.2%に達していました。
レーガンは最初歳出削減に手を付けますが、不景気下での歳出削減でむしろ米国の不景気は深刻化します。
そこで彼が取った政策は・・・
1) 福祉支出の削減(小さな政府)
2) 軍事費の拡大(強いアメリカ政策)
3) ドル高政策(利上げによる米国投資の促進)
4) 富裕層の減税(投資ブームの育成)
■ ニクソンショック以降の弱いドル政策からの転換 ■
ニクソンショック以降、ドルは減価し続け、同時にインフレが進行します。この過程で戦後発行されたアメリカ国債は、安いコストで償還された事になります。
一方で弱いドルの弊害が高インフレとして米国経済を苦しめていました。
そこで、レーガンは金利を引き上げてインフレ率を抑制すると同時に、高金利によって海外のマネーを米国投資に向かわせたのです。当然、米国債金利も高くなり、米国債の商品としての魅力も高まります。
一方で、富裕層を減税する事で、米国内の投資ブームを煽ります。資産市場に資金が流入して米国では商業不動産を中心にバブルが発生します。
■ バブル経済の始まりと、ドル高・ドル安 ■
米国経済は不死鳥の様に復活しますが、その原動力は「バブル」です。
80年代後半は商業不動産バブルが発生します。
これが弾けると、今度は90年代初頭にITバブルが発生します。
ITバブルの後は、住宅不動産バブルが発生し、リーマンショックに繋がります。
この様にレーガン政権以降、アメリカ経済はバブルとその崩壊を繰り返す様になります。
バブル崩壊後はドル安になり、アメリカへの投資は割安感が生まれます。そこで資金がアメリカに集まり出すとドルが値上がりを始め、さらに世界の資金を引き付けて次なるバブルが成長します。
しかし、このバブルは2年程度で崩壊し、世界のマネーは米国内で棄損して消えてしまいます。ドルも下落するので、投資資金はアメリカから逃避しますが、やがては底を打ち、米経済の回復と共に、ドルが上昇し始め、世界の投資が再びアメリカに集まります。
こうして、レーガノミクス以降、アメリカ経済は周期的にバブルとその崩壊を繰り返し、ドルはその度に上がったり、下がったりする用になります。
■ 「ドル」という「フィクション」 ■
ニクソンショックによって金から切り離されたドルは、レーガノミクス以降の金融の自由化で、従来の「物を買う」という通貨の役割から離れ、金融市場の中でゲームのスコアーの様な存在に変化しました。
これは「ドル」が「フィクション化」していると言えるのかも知れません。
様々な危機が起きれては消えて行く過程で、ダイナミックに市場が動き、その中でドルが一部の人達に都合の良いツールとして使われています。
一方で、ツールとしての通貨の発行コストは金利の消失で限りなく低くなっています。
これは一種のパラダイムシフトなのかも知れません。
通貨は既に実体経済を離れ、金融市場というフィクションの中の幻にお金になってしまったのかも知れません。そして、フィクションの中から滲み出たお金が実体化して、実体経済を支えている・・・。
戦後、ブレトンウッズ協定によってドル基軸体制が発足して70年余り。その短い間にも通貨の概念やそれを支えるシステムはどんどん変化しています。
実は通貨という物自体、世界の人々の共同幻想であり、フィクションなのかも知れません・・・。