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経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

日銀砲発射準備ヨーシ・・・米9月利上げの可能性

2015-07-31 02:26:00 | 時事/金融危機
 

■ IMFのレポートが推奨した日銀の追加緩和 ■

【ワシントン=川合智之】国際通貨基金(IMF)は23日、日本経済に関する年次審査報告書で少子高齢化に伴う労働力減少などで、日本の中長期的な経済成長が0.7%前後で安定するとの予測を示した。日銀に対し、2%の物価目標の達成に向けた強い姿勢を示すため、追加金融緩和を準備するよう要請した

ご存じの方も多いと思われますが、IMFが日本に追加緩和を勧める内容のレポートを発表しています。中国を始めとする海外の需要低下による輸出の減少や、アジア通貨に対する円安の停滞の影響を指摘しています。

■ リスクオフの流れは利上げの準備運動 ■

米利上げに世界の注目が集まっており、それが9月に発表されるのか、12月に発表されるのかで市場は戦々恐々としています。リスク市場から相当な規模で資金流出が起きている様で、原油価格、金価格などが下落し、新興国市場も下落が止まりません。ダウもここに来て少し持ち直しましたが、だいぶ調整が入りました。

まさにバーナンキショックに似た様な状況になっていますが、利上げ前にリスクを低減する事は各中央銀行が推奨していた事なので、リスクオフの動き自体は「過剰なリスクの整理
」として、利上げをスムースに行う為の準備運動の様な物で問題とは言えません。

■ 米9月利上げのリトマス試験紙は日銀の追加緩和 ■

利上げの時期を占うものとして日銀の追加緩和に注目が集まるものと思われます。テーパリングの開始半年前に日銀は異次元緩和に突入しています。QE3終了直前には追加緩和を発表しました。

私はバーナンキは日銀の異次元緩和の直後にテーパリングに踏み込もうとした所、バーナンキショックの規模が比較的大きかった為にテーパリングを先延ばししたと妄想しています。

日銀の追加緩和の市場への好影響という観点からは、米利上げから追加緩和があまり先行すると効果が薄れます。市場を安心させる意味からは、日銀の利上げの直後に米利上げが行われる方が安全です。

そういう視点から見ればIMFのレポートは色々と意味深です。

■ GDPがマイナス成長に陥る日本 ■

日本の4-6月期のGDPは年率1─2%台の大幅マイナス成長になっています。海外の需要軟化が影響していますが、9月以降も弱気な予測が出ています。

もともと異次元緩和は偽薬みたいなもので、ゼロ金利の罠に落ちている経済ではその効果は円安以外には限定的です。原油価格が下落傾向にあり、さらには世界的に需要が低下する中では日銀の目標とする2%のインフレ率達成はとても無理と言えます。

ただ、IMFのレポートは「2%の物価目標の達成に向けた強い姿勢を示すため、追加金融緩和を準備するよう要請」しています。これ、イヤらしい見方をすると、「異次元緩和に効果があるかどうかは分からないが、効果がある事を前提にもっと緩和規模を拡大しなさい」と言っているに等しい。

要は「米利上げの援護射撃をしろ」とは言えないから、「異次元緩和の効果が思わしくないのは規模が足りないからだ」と言っているのです。

ここら辺、「緩和が足りない」と主張する一部の安易なリフレ論者とは異なり、かなり生臭い匂いを感じます。

■ ECBはバックアップかな・・・ ■

ギリシャ問題でバタバタするヨーロッパですが、ECBの量的緩和の規模拡大は日銀のバックアップかと思われます。

ギリシャ問題を解決しない事でいつでも追加緩和のセーフテーロックは解除していますから、米利上げで不測の状況が発生した場合は、ECBの出番となるのでしょう。


いずれにしても、世界経済が弱含みの中で9月にFRBが利上げに踏み切るならば、その前に「実弾の補給」は不可欠でしょう。



東芝問題の陰謀論的楽しみ方・・・日立も同じ問題を抱えているのだけれど

2015-07-27 09:06:00 | 時事/金融危機
 

■ 東芝の「不適切な会計処理」 ■

福島第一原発事故以来、遅かれ早かれ表面化するであろうと思われた東芝の「不適切な会計処理」問題。リーマンショックで業績が悪化した東芝がV字回復している事に疑問を抱いていた投資家は多いはずです。半導体部門も、原発部門も良い話は聞かない、さらに家電事業はズタボロ・・・こんな東芝がどうして業績が良いのか・・・。

会計に思いきりウマを履かせていた訳で、世間ではこれを「粉飾」と呼び、悪質な場合は(たいがい悪質ですが)上場廃止や経営責任者の逮捕などのキツーイお仕置きが待っています。

しかし今回の東芝の場合は「不適切な会計処理」という報道のされ方をされており、なんだかクリントン元大統領の「不適切な関係」みたいでニヤニヤしてしまいます。

■ 日本の国策企業としての東芝と日立 ■


東芝が買収したウェスティンハウスは元々はイギリスの原発メーカーで、対する日立が買収したGEはアメリカの会社。

東芝は三井グループ(ロスチャ)、日立は芙蓉グループ(ロックフェラー)なんて典型的な陰謀論のグループ分けがされたりします。

東芝は以前5軸NC旋盤をソ連に輸出してCOCOM違反に問われましたが、ソ連がソナーに探知されない潜水艦のスクリューを開発する事で、東西の軍事的均衡が保たれ、潜水艦発射型弾道ミサイルの抑止力も保たれました。

東芝や日立といった国策企業はいろいろとはたけば埃お出る身ですが、「粉飾会計を不適切な会計処理」などと報道してまで会社を存続させる意味が色々とあるのでしょう。シャープやソニーではこうは行きません。

■ GEの原発部門を買収した日立は大丈夫か? ■

今回の東芝問題で当然GEの原子力部門を買収した日立にも注目が集まるはずです。日立は日本ではトヨタに次ぐ規模を持つ製造業ですが、リーマンショック後に過去最大の赤字を計上します。

その後、不採算部門のメモリーや液晶部門を切り離すなどリストラを進め、関連会社の中でも業績の良い企業を本社に吸収するなどして業績はV字回復を見せています。日立のライバルである東芝は、日立の回復に対抗するかの様に不正会計で業績をV字回復させたとも言えます。

しかし、日立の業績を良く観察すると売り上げは伸びておらず、業績だけが回復しています。これは効率的なリストラの成果とも言えますが、ウェスティングハウスの買収ののれん代の損失が最終的には1兆円を超えると見られる東芝の内状から推測するに、日立がGE買収で被ったであろう損失も相当膨らんでいると邪推してしまいます。

日立は火力発電部門で三菱重工と事業統合をしていますが、もし日立が東芝同様にグラつく事があれば、一気に三菱重工と合併なんて荒業も繰り出して来るかも知れません。

東芝問題がクローズアップされる中で、同じ問題を抱えているであろう日立に対する報道が一切無い事が不思議です。ここら辺から、日本のマスコミが誰の方を向いて報道しているかが透けて見えてきます。

もっと単純に考えたら、スポンサー企業の悪口を書けないのがマスコミの限界なのですが。


まあ、陰謀論的な「こじつけ」なので笑い話のネタ程度だと思って下さい。


個人の利益と相反する全体の利益・・・民主主義の根源的矛盾

2015-07-22 10:28:00 | 分類なし
 

ガッチャマンの記事から抜粋します。アニメ記事だと華麗にスルーされる方も多いと思いますので。


■ 「国民の選択」を反映出来ない民主主義 ■

民主主義は尊いものだと学校で教わります。国家の主権者は国民一人ひとりであり、国家の意思決定は国民に委ねられているのだと。

ところが民主衆議は現代の世界で上手く機能していません。例えば「安保関連法案」問題で揺れる日本で、もし国民投票でこの法案の是非を問うたならば、過半数の国民が「NO」という選択をします。民主主義的には「安保関連法案」は否決されるのです。

ところが、先の選挙で国民は圧倒的な支持を自民党に寄せましたので、国会において自民党が安定過半数を確保しています。この状態では、自民党が強硬採決を選んだならば、国民はこれを止める手立てがありません。国民が選んだ代表が、国民の意思に反する決定をするという議会制民主主義の矛盾が露呈しているのです。

何故、この様な事が起きるのでしょうか?

■ 共通の利害の一致を亡くした世界で民主主義は正しく機能しない ■

昔のムラ社会という小さな共同体においては、黄道帯内の人々の利害は一致しています。たとえ個人的に意見対立が有ったとしても、共同体の利益が個人の利益に優先されます。村人同士の話し合いで決着しない場合は、村長(むらおさ)がムラの利益を最優先で決定を下しました。この決断に異を唱える者はムラを出て行くか、村八分にされるかしか選択肢が残されていませんでした。

時代と共に共同体はどんどん大きくなり、国のレベルにまで拡大します。

ところが共同体が巨大化すると「共通の利害」の関係で共同体を纏める事が難しくなります。どこかの村に資金を投入すれば、別のどこかの村が困るのです。ある世代を優遇すれば、別の世代が損を被ります。

共通の利害を失った民主主義において人々が取った行動は、自分の利益を最大化させるという行動です。この変化の中で、人々は義務を嫌い、権利のみを主張する様になります。義務を負った結果の利益が、自分や身近な共同体に還元されるとは限らないからです。

共同体の拡大と共に、負担とトレードオフの関係にある利益は見えにくい物になっていったのです。

ネトウヨを始めとする保守の一部の人達は、「日本の為に」という言葉を好みます。これは一見個人の利益よりも国家の利益を優先している様に聞こえます。しかし、彼らは「日本の為に財政を拡大せよ。」とか「日本の為に量的緩和を拡大せよ」と主張する一方で、自分達の負担が拡大する「消費税増税には反対」します。結局は個人の利益追求のカモフラージュ、あるいは自己欺瞞に過ぎないのです。それに気づいていない所が彼らのイタい所であり、恐い所でもあります。

■ 議会制に民主主義という調整機構 ■

民主主義には「直接民主制」と「間接民主制」という二つの手法が存在します。

あるテーマに対して有権者一人一人が投票を行い多数決で決める方法が直接民主制。これは古代ギリシャで行われていました。現代のスイスでも伝統的に直接民主制による採決が行われています。国民投票も直接民主制です。最近話題に上る事の多い「ネット投票」もこの一形態です。

直接民主制には、共同体の規模が大きくなると集計に時間と労力が掛るという物理的な問題点が存在しました。細かな議題で毎回国民投票をしていたのでは国家運営が滞ります。しかし、ネット投票を用いればこのハードルはクリアー出来ます。スイスの直接民主制に世界が注目し始めている理由は、ネットの発展で直接民主制が可能になった事と無関係では有りません。

一方、直接民主制は物理的制約の他に、制度的な問題も抱えていました。小さなムラ社会ででは議題は直接有権者全てに関係のある事がほとんどです。有権者の皆が当事者なのです。ところが共同体が大きくなると、全ての有権者に関係の有る議題は減ってきます。さらには、先にも述べた様に「全体の利益」と「個人の利益」の相反が生まれます。例えば、増税しなければ財政が破綻するケースにおいて、国民の多くは増税を拒否します。

この様に直接民主制は共同体が大きくなると機能不全を起こします。そこで代わりに用いられるが「間接民主制」です。これは、選挙によって代表を選び、その代表の話し合いと投票によって決定するシステムです。

代表者は少なくとも一般の有権者よりも見識の優れた者が選ばれます。結果的に全体の利益と個人の利益のバランスを判断できるので、大きな共同体を維持する為には「間接民主制」が適していると考えられています。日本が採用している「議会制民主主義」は「間接民主制」の代表的ばものです。

■ 強い物がが支配する議会制民主主義 ■

一見合理的に思える「議会制民主主義」にも欠点が有ります。

それは議員が特定の者の利益を代表する存在であるが故に、結局は公正性が保てないのです。議員に影響を与える最たる存在が有権者です。選挙で勝たなければ議員にはなれませんから、議員は有権者の利益を最大化する様にふるまいます。地方政治などが良い例で、市議会議員などは、「道路に信号を設置して欲しい」などという有権者の利益を実現する為に活動します。

国政クラスになると状況が少し変わって来ます。確かに有権者は国民一人ひとりなのですが、選挙区が広いので、バラバラな個人の利益は相殺されます。一方、企業や労働団体など政治献金などで議員に直接的利益を提供できる存在の要求に議員は応える様になります。

結局、国民に選ばれながらも議員は、自分に利益を供与してくれる企業や団体の利益を最大化するようにふるまうのです。

現代の「議会制民主主義」には根本的に公正性など存在しないのです。この問題を解決する為に政治資金を禁止する動きなども有りますが、法案を作るのが政治資金を貰う立場の議員なので、法律に抜け穴が有ったり、あるいは法律が緩く改正されたりします。

この様な議会制民主主義の根本的も問題を解決する手段として、「直接民主制」に注目が集まっているのです。

■ 「官僚主権」や「政党主権」という実態 ■

日本の法律は立法府である国会が作ります。しかし、多くの国民が「日本は官僚支配の国だ」とか、「自民党の一部の政治家が国家の方針を決めている」と言います。これは間違った認識では無く、むしろ日本の現状を正しく捉えていると言えます。ただ、これらの言動の中には「民主主義の原則が踏みにじられている」という否定的な感情が込められています。

では日本において官僚機構は私利私欲に染まった悪なのでしょうか?財務省は私達の財産をかすめ取ろうとしているのでしょうか・・・。答えはNOでしょう。

安倍首相を始めとする一部の政治家が、日本を私物化してアメリカに利益を誘導し、その見返りに私服を肥やしているのでしょうか・・・答えはNOでしょう。(多分・・・)

日本の官僚の方々の先祖を辿ると、平安時代の公家まで遡れるという話はネットで散見します。(闇株新聞さんなども)太平洋戦争へと日本を導いてしまった近衛文麿首相の近衛家と言えまば「藤原四家」の一つ藤原北家の末裔です。

明治維新成立史では幕末の志士達ちがフューチャーされますが、一方で岩倉具視ら公家も倒幕の内乱に深く関わっています。長く続いた武士の政権で公家達は権力の座から遠のいていましたが、明治政府が樹立した後は公家達は天皇を旗印に立て、政治の表舞台に復活して来たと考える事が自然です。派手な政府の要職を薩長が独占する中で、公家達は官僚組織に浸透する事で、暗然と日本の行政に支配力を伸ばしていったのでしょう。

では、官僚達は私利私欲の集団か?昌益の為なら日本の利益を軽んじる存在か・・・答えはNOでしょう。

ECを仕切るのはユーロクラートと呼ばれる高級官僚ですが、彼らの中にもヨーロッパの貴族の子弟達が多いという噂が有ります。EUを見て分かる様に、彼らは50年、100年というスパンで世界を見ており、これは日本の官僚とて例外では無いでしょう。恵まれた彼らは、国民の様に目先の損得に振り回さえっる事無く、一つ高い視点から日本の未来を展望しているはずです。

同様に政治家も多少利益に敏感であったとしても、大物に成れば成る程、日本の未来を見据えて行動していると思います。それがたとえ安倍総理だとしても・・・。

■ 国家よりも世界が重視される時代 ■

官僚や政治家が国家や国民の為の政治や行政を行っているのならば、何故、日本はアメリカの属国的な立場に甘んじれいるのか?

これは当然の疑問です。

しかし、現代のグローバル化が進んだ正解においては、一国の利益は世界の利益に相反するケースが増えています。例えば、アメリカの単独覇権が行き過ぎると、世界の富はアメリカに集中してしまい、世界全体の成長力を低下させてしまいます。

アメリカは世界経済を拡大する為に資本家達が作った人造国家です。いわばアメリカ合衆国というのは世界システムの中核なのです。基軸通貨であるドルを発行して、世界的な経済の循環を作る事がアメリカに与えられあ使命です。

ですから、リーマンショック以降、日本が全力でドル基軸体制を守ろうとする事は、日本だけを見れば損失になりますが、世界全体で見ればプラスに働きます。そして、その恩恵は日本に戻って来ます。

この様に、現代においては国民国家の権利が制約される事で、世界経済の成長が促進される時代になりました。国家よりも世界が優先されるのです。

日本の官僚も政治家もこのルールに則って行動していますから、国民から見れば「裏切者」に見える場合も発生します。


■ 「国民の味方」を演じる事で国民をリードするマスコミ ■

マスコミは往々にして国民の味方を気取ります。「安保法制」でも、安倍政権に批判的報道を繰り返しています。しかし、これに実効性は有りません。強硬採決は止められませんが、マスコミ各社は「自分達は国民の側に立って反対した」というアリバイだけが残ります。

そもそもアベノミクスを熱烈に煽って自民党独裁を作り上げたのはマスコミ各社です。彼らは安倍首相が「安保法案の改正」に積極的な事は知っていますから、現在の状況は2012年には見越せていたはずです。でも、それを記事にする事は有りません。

私はマスコミは官僚や政府のプロパガンダ機関だと思っていますから、マスコミの役割は国民世論をある目的に沿ってリードする事と、国民のガス抜きにあると考えています。

一部「マスゴミ」呼ばわりする人達も多いですが、彼らはマスコミの手の平の上に居る事に気づく事は有りません。

■ 空気に支配される民主主義 ■

私達は自分の信念を持って投票を行っていると考えています。しかし、意外にも報道や時代の空気に大きく影響を受けている事には無自覚です。

民主党政権が成立した時の選挙では、「民主党が日本を変えてくれるに違いない」という期待という「空気」が世の中を支配していました。

一方、自民党が政権を奪還した選挙では「やはり民主党には任せておけない」という失望という「空気」に支配されていました。

この空気は国民が何となく醸し出している様に得ますが、実はマスコミが上手に作り出したものです。

ジャニーズやAKBが何故人気が出るかと言えばマスコミの露出が高いからです。庶民はTVに出れる事はスゴイ事だという思い込が有ります。だからTVに沢山出ているタレントは人気が有ると錯覚します。ダメダメのタレントでもTV出演の頻度が高くなれば次第に人気が出て来ます。プロダクションは所属するタレントを雑誌の表紙にタダで貸し出してもオツリが来るのです。

同様の事が政治の世界でも起きています。ワイドショーが政治に大きな影響力を持つ様になっていますが、ワイドショーが映し出されるTVの前に居るのは中高年の女性達でしょう。彼らは若者よりも投票率が高いので、彼らの投票行動は無視できない力を持ちます。ワイドショーで小沢一郎はケシカランとやれば、知らず知らずの内に小沢一郎は悪人だと思い込みます。

同様のトリックはニュースや夜の報道番組などでも使われます。それなりの社会経験を持つ男性でも、ニュースがウソをついているとは考えません。実際にニュースは嘘をつきませんが、その報道に仕方が少しずつ偏向しています。それによって良識或る大人もだんだんと洗脳されてしまいます。

この様にマスコミはアカラサマに何かを主張するというよりは、ちょっとずず情報を操作する事で上手に「空気」を熟成させて行きます。

結局はこの空気が選挙結果を左右し、そして日本の政治をコントロールしているのです。


民主主義は、力を持つ者にとっては最良の政治形態です。国民は「選ばされている」事に気づかずに「自分達が選んでいる」と思い込んでいるのです。結果的に自分達の不利益になる決定も、「仕方無い」と受け入れてしまいます。


これが現代の民主主義の実態ですが、「個人が権利を主張するだけの完全なる民主主義」よりも余程マシなので、偽りの民主主義は続いて行くのでしょう。


『ガッチャマンクラウズ・インサイト』・・・民主主義の本質を問う意欲作

2015-07-21 00:45:00 | アニメ
書きなぐりの記事なので、後できちんと文章を直します。




muffさん、アニメネタだと思って切らないでね。民主主義についての考察です。
 
■ 今季最高のアニメは『ガッチャマンクラウズ・インサイト』に決定 ■

「今季アニメベスト10には速いだろう!!」と突っ込まれそうですが、テーマ設定のタイムリーさから今季は『ガッチャマンクラウズ・インサイト』がベスト1確定。

そもそも私は2期目の作品を評価しない傾向にあるのですが、進化(深化)する作品は例外っです。『ガッチャ・・』と『のんのんびより』はこのハードルを軽々と越えています。

■ 金融市場の取引を視覚化するというウルトラ『C』 ■

『ガッチャ・・』の素晴らしい所は、「コミュニケーション」や「民主主義」といった「概念」を視覚化して描くという挑戦的な手法です。

監督を務める中村健治は、『ハウルの動く城』で細田守監督の監督補を務めた人物だそうです。(『ハウル・・』は後に宮崎駿が監督を引き継ぎ、ジブリは細田組を追い出してしまいました。この時点で現在のジブリの落日は決まっていたのかも知れません)

中村健治は『怪 〜ayakashi〜『化猫』』(2006年)、『モノノ怪』(2007年)、『空中ブランコ』(2009年)など異色の作品を手がけて一部の好事家の注目を集めますが、この頃の作品を私はあまり好きでは有りません。表現の為の表現と言うか・・・視覚表現の実験的な作品でした。

私が中村監督に注目したのは『C』(2011年)からでした。



この作品で中村監督は金融市場に振り回されて破綻する人達をスタイリッシュに描こうと試みます。とうていエンタテーメントに成りえない題材を、中村監督はウルトラCで強引に娯楽作品に仕立てています。

金融市場をバーチャルワールドとして視覚化し、そこで行われる取引をデュエル形式のバトルとして描いたのです。投資手法を「使い摩」として擬人化し、使い摩同士のバトルの決着が投資の勝敗を決めるという、かなり斬新な評点を試みています。

残念ながら、作品は成功したとは言い難く、金融市場の複雑なデリバティブ取引を「単なるバトル」としてしまった事で、この作品に興味を持つ様な視聴者には物足りなく、逆にバトルや美少女キャラを期待する視聴者には難解で理解出来なかったのです。

ただ、「抽象的な概念を視覚化する」「市場取引の様な数学の世界を視覚化する」といった挑戦は非常にインパクトが有りました。これはアニメならではの表現手法で、実写作品でこの手の経済物を描くオーソドックスな手法との違いが際立っていました。

■ 実体化したネット言論・・『ガッチャマン・クラウズ』 ■


続く『つり球』(2012年)は『C』からはガラリと雰囲気を変えて、風変りな青春グラフティーでした。ただ、私的には表現的実験が鼻につく作品で1話くらいしままともに見ていません。

『ガッチャマン・クラウズ』(2013年)が始まった時も、中村監督独特の「集中しない演出」が最初は気になりましたが、その描こうとする内容の面白さに惹かれて行きました。

中村監督は『ガッチャマン・クラウズ』でSNSを始めとするネットコミュニケーションの社会を視覚化します。この手の作品は過去に無かった訳ではありませんが、それらの作品が比較的閉じたコミュニティーの中での出来事を扱ってきたのに対して、中村監督はより現実的な開かれたコミュニテーを対象にしています。

特筆すべきは、この様な大きなコミュニティーを対象とする世界を描こうとする時、多くのSF作品は管理社会やAIによる支配など、大きな枠組みを先ず設定しようとします。しかし、中村監督は、現在のSNSの進化の上にある、パーソナルの集合としてのネット社会を想定している点が非常に現代的だと言えます。

「無責任なネット言論」というのは良く有るテーマですが、もう少し踏み込んで、「ネット言論が現実的な影響力を社会に行使できるとするならば、人々はどう行動するのか?」をシミュレーションしています。



中村監督は「クラウズ」というシステムでネット言論を実体化して描いてみせます。このシステムではネット言論は実体して物理的作用を現実世界に与えます。人々が誰かを救いたいと思えば、クラウズが実体化して実際的な行動が起こせるのです。

実際のネット言論の例に漏れず、クラウズを扱うのは良識ある人達ばかりではありません。案の定、悪意を持った者の煽動よってクラウズは大混乱を起こす事になります。

現代版ガッチャマンの戦う相手は、ネット社会が生み出した怪物なのです。

■ 現代的はガッチャマンの設定 ■

オリジナルのガチャマンは悪の秘密組織ギャラクターと戦う為に科学技術庁が組織した「科学忍者隊」という設定でした。この設定は現代のアニメとしては無理が有ります。

そこで新たなガチャマン達は、地球の平和を守る為、宇宙人に選ばれし存在とされます。地球は高度な文明を持つ宇宙人から見れば赤ん坊の様な文明レベルの星で、宇宙人の管理者が、悪意を持った宇宙人から地球を守る為に地球人に力を与えたという設定となっています。(ウルトラマンみたいですね)この新たな設定も、ちょっとプロトタイプではあるのですが、作品全体を非常にポップでキャッチーに描く事で、まあ、それもアリかなと思わせてしまう所は中村監督特有の力技です。

何よりも、新しいガッチャマンの造形がどれも独創的で美しくカッコいいので全て許せてしまいます。ベルクカッチェもコスプレ変態オカマでは無く、ドラッグクィーンの様な毒々しさを振りまく宇宙人です。

動画工房の手になるOPもキレッキレです。これこそ現代的なガッチャマン。



[[youtube:T-iSQFFXz6w]]

『ガッチャマン』という竜の子プロ最大のヒット作を、こうまでダイナミックにリメイクした事でガッチャマンは新しい時代のヒーローとなったのです。


■ 現代における民主主義の本質に迫ろうとする『ガッチャマン・クラウズ・インサイト』 ■

前作は「暴力化する、或いは暴徒化するネット言論」をテーマにしていました。

今期スタートした『ガッチャマンクラウズ・インサイト』は、現代における民主主義の本質に迫ろうとする意欲作になると予想されます。(勝手に)

前回の事件の発端となったクラウズですが、その後は禁止される事無く社会に定着しています。2chなどが疎んじられながらも市民権を得て来た経緯を彷彿とさせます。

クラウズというツールを普段は人々は有効に使っています。しかし「赤いクラウズ」を操る一団が現ます。「赤いクラウズ」は街中のちょっとした悪ふざけから、首相襲撃まで幅広いテロ行為を繰り返します。

赤いクラウズを率いる青年は、クラウズの製作者であるルイにこう警告します。「君が力を与えた相手は進化などしないサルだとういう事を」「クラウズを使う事、それが如何に危険かと言う事をサル達に分からせる事が目的だ」と。ルイは人々の良心を信じてクラウズを公開していますが、青年はその良心が危険だと言うのです。

これはネット社会に対する警告であると同時に、民主主義が本質的に持つ危険性への警告です。

■ 「国民の選択」を反映出来ない民主主義 ■

民主主義は尊いものだと学校で教わります。国家の主権者は国民一人ひとりであり、国家の意思決定は国民に委ねられているのだと。

ところが民主衆議は現代の世界で上手く機能していません。例えば「安保関連法案」問題で揺れる日本で、もし国民投票でこの法案の是非を問うたならば、過半数の国民が「NO」という選択をします。民主主義的には「安保関連法案」は否決されるのです。

ところが、先の選挙で国民は圧倒的な支持を自民党に寄せましたので、国会において自民党が安定過半数を確保しています。この状態では、自民党が強硬採決を選んだならば、国民はこれを止める手立てがありません。国民が選んだ代表が、国民の意思に反する決定をするという議会制民主主義の矛盾が露呈しているのです。

何故、この様な事が起きるのでしょうか?

■ 共通の利害の一致を亡くした世界で民主主義は正しく機能しない ■

昔のムラ社会という小さな共同体においては、黄道帯内の人々の利害は一致しています。たとえ個人的に意見対立が有ったとしても、共同体の利益が個人の利益に優先されます。村人同士の話し合いで決着しない場合は、村長(むらおさ)がムラの利益を最優先で決定を下しました。この決断に異を唱える者はムラを出て行くか、村八分にされるかしか選択肢が残されていませんでした。

時代と共に共同体はどんどん大きくなり、国のレベルにまで拡大します。

ところが共同体が巨大化すると「共通の利害」の関係で共同体を纏める事が難しくなります。どこかの村に資金を投入すれば、別のどこかの村が困るのです。ある世代を優遇すれば、別の世代が損を被ります。

共通の利害を失った民主主義において人々が取った行動は、自分の利益を最大化させるという行動です。この変化の中で、人々は義務を嫌い、権利のみを主張する様になります。義務を負った結果の利益が、自分や身近な共同体に還元されるとは限らないからです。

共同体の拡大と共に、負担とトレードオフの関係にある利益は見えにくい物になっていったのです。

ネトウヨを始めとする保守の一部の人達は、「日本の為に」という言葉を好みます。これは一見個人の利益よりも国家の利益を優先している様に聞こえます。しかし、彼らは「日本の為に財政を拡大せよ。」とか「日本の為に量的緩和を拡大せよ」と主張する一方で、自分達の負担が拡大する「消費税増税には反対」します。結局は個人の利益追求のカモフラージュ、あるいは自己欺瞞に過ぎないのです。それに気づいていない所が彼らのイタい所であり、恐い所でもあります。

■ 議会制に民主主義という調整機構 ■

民主主義には「直接民主制」と「間接民主制」という二つの手法が存在します。

あるテーマに対して有権者一人一人が投票を行い多数決で決める方法が直接民主制。これは古代ギリシャで行われていました。現代のスイスでも伝統的に直接民主制による採決が行われています。国民投票も直接民主制です。最近話題に上る事の多い「ネット投票」もこの一形態です。

直接民主制には、共同体の規模が大きくなると集計に時間と労力が掛るという物理的な問題点が存在しました。細かな議題で毎回国民投票をしていたのでは国家運営が滞ります。しかし、ネット投票を用いればこのハードルはクリアー出来ます。スイスの直接民主制に世界が注目し始めている理由は、ネットの発展で直接民主制が可能になった事と無関係では有りません。

一方、直接民主制は物理的制約の他に、制度的な問題も抱えていました。小さなムラ社会ででは議題は直接有権者全てに関係のある事がほとんどです。有権者の皆が当事者なのです。ところが共同体が大きくなると、全ての有権者に関係の有る議題は減ってきます。さらには、先にも述べた様に「全体の利益」と「個人の利益」の相反が生まれます。例えば、増税しなければ財政が破綻するケースにおいて、国民の多くは増税を拒否します。

この様に直接民主制は共同体が大きくなると機能不全を起こします。そこで代わりに用いられるが「間接民主制」です。これは、選挙によって代表を選び、その代表の話し合いと投票によって決定するシステムです。

代表者は少なくとも一般の有権者よりも見識の優れた者が選ばれます。結果的に全体の利益と個人の利益のバランスを判断できるので、大きな共同体を維持する為には「間接民主制」が適していると考えられています。日本が採用している「議会制民主主義」は「間接民主制」の代表的ばものです。

■ 強い物がが支配する議会制民主主義 ■

一見合理的に思える「議会制民主主義」にも欠点が有ります。

それは議員が特定の者の利益を代表する存在であるが故に、結局は公正性が保てないのです。議員に影響を与える最たる存在が有権者です。選挙で勝たなければ議員にはなれませんから、議員は有権者の利益を最大化する様にふるまいます。地方政治などが良い例で、市議会議員などは、「道路に信号を設置して欲しい」などという有権者の利益を実現する為に活動します。

国政クラスになると状況が少し変わって来ます。確かに有権者は国民一人ひとりなのですが、選挙区が広いので、バラバラな個人の利益は相殺されます。一方、企業や労働団体など政治献金などで議員に直接的利益を提供できる存在の要求に議員は応える様になります。

結局、国民に選ばれながらも議員は、自分に利益を供与してくれる企業や団体の利益を最大化するようにふるまうのです。

現代の「議会制民主主義」には根本的に公正性など存在しないのです。この問題を解決する為に政治資金を禁止する動きなども有りますが、法案を作るのが政治資金を貰う立場の議員なので、法律に抜け穴が有ったり、あるいは法律が緩く改正されたりします。

この様な議会制民主主義の根本的も問題を解決する手段として、「直接民主制」に注目が集まっているのです。

■ 「官僚主権」や「政党主権」という実態 ■

日本の法律は立法府である国会が作ります。しかし、多くの国民が「日本は官僚支配の国だ」とか、「自民党の一部の政治家が国家の方針を決めている」と言います。これは間違った認識では無く、むしろ日本の現状を正しく捉えていると言えます。ただ、これらの言動の中には「民主主義の原則が踏みにじられている」という否定的な感情が込められています。

では日本において官僚機構は私利私欲に染まった悪なのでしょうか?財務省は私達の財産をかすめ取ろうとしているのでしょうか・・・。答えはNOでしょう。

安倍首相を始めとする一部の政治家が、日本を私物化してアメリカに利益を誘導し、その見返りに私服を肥やしているのでしょうか・・・答えはNOでしょう。(多分・・・)

日本の官僚の方々の先祖を辿ると、平安時代の公家まで遡れるという話はネットで散見します。(闇株新聞さんなども)太平洋戦争へと日本を導いてしまった近衛文麿首相の近衛家と言えまば「藤原四家」の一つ藤原北家の末裔です。

明治維新成立史では幕末の志士達ちがフューチャーされますが、一方で岩倉具視ら公家も倒幕の内乱に深く関わっています。長く続いた武士の政権で公家達は権力の座から遠のいていましたが、明治政府が樹立した後は公家達は天皇を旗印に立て、政治の表舞台に復活して来たと考える事が自然です。派手な政府の要職を薩長が独占する中で、公家達は官僚組織に浸透する事で、暗然と日本の行政に支配力を伸ばしていったのでしょう。

では、官僚達は私利私欲の集団か?昌益の為なら日本の利益を軽んじる存在か・・・答えはNOでしょう。

ECを仕切るのはユーロクラートと呼ばれる高級官僚ですが、彼らの中にもヨーロッパの貴族の子弟達が多いという噂が有ります。EUを見て分かる様に、彼らは50年、100年というスパンで世界を見ており、これは日本の官僚とて例外では無いでしょう。恵まれた彼らは、国民の様に目先の損得に振り回さえっる事無く、一つ高い視点から日本の未来を展望しているはずです。

同様に政治家も多少利益に敏感であったとしても、大物に成れば成る程、日本の未来を見据えて行動していると思います。それがたとえ安倍総理だとしても・・・。

■ 国家よりも世界が重視される時代 ■

官僚や政治家が国家や国民の為の政治や行政を行っているのならば、何故、日本はアメリカの属国的な立場に甘んじれいるのか?

これは当然の疑問です。

しかし、現代のグローバル化が進んだ正解においては、一国の利益は世界の利益に相反するケースが増えています。例えば、アメリカの単独覇権が行き過ぎると、世界の富はアメリカに集中してしまい、世界全体の成長力を低下させてしまいます。

アメリカは世界経済を拡大する為に資本家達が作った人造国家です。いわばアメリカ合衆国というのは世界システムの中核なのです。基軸通貨であるドルを発行して、世界的な経済の循環を作る事がアメリカに与えられあ使命です。

ですから、リーマンショック以降、日本が全力でドル基軸体制を守ろうとする事は、日本だけを見れば損失になりますが、世界全体で見ればプラスに働きます。そして、その恩恵は日本に戻って来ます。

この様に、現代においては国民国家の権利が制約される事で、世界経済の成長が促進される時代になりました。国家よりも世界が優先されるのです。

日本の官僚も政治家もこのルールに則って行動していますから、国民から見れば「裏切者」に見える場合も発生します。


■ 「国民の味方」を演じる事で国民をリードするマスコミ ■

マスコミは往々にして国民の味方を気取ります。「安保法制」でも、安倍政権に批判的報道を繰り返しています。しかし、これに実効性は有りません。強硬採決は止められませんが、マスコミ各社は「自分達は国民の側に立って反対した」というアリバイだけが残ります。

そもそもアベノミクスを熱烈に煽って自民党独裁を作り上げたのはマスコミ各社です。彼らは安倍首相が「安保法案の改正」に積極的な事は知っていますから、現在の状況は2012年には見越せていたはずです。でも、それを記事にする事は有りません。

私はマスコミは官僚や政府のプロパガンダ機関だと思っていますから、マスコミの役割は国民世論をある目的に沿ってリードする事と、国民のガス抜きにあると考えています。

一部「マスゴミ」呼ばわりする人達も多いですが、彼らはマスコミの手の平の上に居る事に気づく事は有りません。

■ 空気による支配 ■

マスコミの約割は「空気を作る」ことでしょう。



『ガッチャマンクラウズ・インサイト』では、この「空気による支配」にも言及するはずです。

ゲルちゃんと呼ばれる宇宙人は人畜無害の外見をしていますが、人々の心の中を吹き出しの様に頭の上に表示する能力を持っています。人々は普段、様々な色の吹き出しを頭の上に載せていますが、ある切っ掛けが有ると吹き出しの色は一色に染まる傾向が有ります。

皆が面白いと思えば緑色に、怒りを覚えれば赤色にといった感じです。ただ、主人公のハジメちゃんの吹き出しは灰色から変化しません。多分、彼女は周りの状況や煽動に動じる事無く、いつも物事をニュートラルに観察できる能力を持っているのでしょう。

ゲルちゃんの飛来した星では争い事は無くなると説明されます。ただ、ベルクカッツェはベルちゃんに否定的は眼差しを向けています。

多分、ベルちゃんが表出させる「吹き出し様」は世論などを形成する「空気」を表しているのでしょう。そして空気を自在に操る事が出来れば世論も自在に操る事が出来ます。

その最も極端な例がナチズムでしょう。ヒットラーという天才的なアジテーターはドイツ国民の空気の統一に成功します。戦前日本では朝日新聞がこの役割を担います。

私達は日頃、合理的判断を下していると思い込んでいますが、実は空気を読んで空気の同調して生活しています。これが出来ないと「空気が読めない」などと批判の対象になります。

政治的問題も同様に、私達はマスコミが作り出す「空気」に敏感に反応してしまいます。こうして私達は自民党から民主党への政権交代を経験し、その失望の反動で大きな期待を安倍政権に寄せ、自民党の安定多数を実現させてしまったのです。


■ 正義とは何処にあるのか ■

『ガッチャマンクラウズ・インサイト』は「正義とは何処にあるのか」「個人の正義と集団の正義は一致するのか」という、ヒーロー物の革新に迫ると思われます。

ただ、この作品の面白い所は、今までのヒーロー物の正義がゴッザムシティーなど地域や先品世界の中に限定されていたのに対して、『ガチャマン・・』の正義は、現在の私達の生きる世界に限りなくリンクしています。

社会派と呼ばれる小説や映画やドラマは過去にも沢山存在しましたが、多くは一つの事件をきっかけにその周辺の人物の言動で何かを追求するという手法が取られました。

その点、ガッチャマンの世界は非常に解放的で、オープンリソースのプラットフォームを有している様に感じられます。

アニメというバーチャルな世界だからこそ表現できる物が有るのかも知れません。中村健治監督から目が離せません。








ちなみに現代版ガッチャマンの聖地と言えば東京都立川。今、街中にはこんなバナーが!!

「日本はこんなもんじゃない」という思いが失敗を生んだ・・・新国立競技場

2015-07-17 09:34:00 | 時事/金融危機
 

■ 例え3000億円であっても政治家にとっては屁みないな金額 ■

迷走する新国立競技場問題ですが、2520億円、将来的には3000億円になるかも知れない建設費が問題の中心となっています。まあ、日銀の為替介入で小泉時代の40兆円、民主党時代に一回で7兆円をアメリカにプレゼントした事を思えば屁みたいな金額です。

「ナニナニ、アメリカが金をくれってって?3兆くらい渡してやれば黙るだろう?」

こんな感覚で居る政治家だけに、「3000億円のどこがいけないんだ。日本の国威を世界に示すオリンピックなのだから、特別税でも作って国民に広く浅く負担させたらどうって事ないじゃないか!!」って感じで建設費はどんどん増大していったのでしょう。

「先生、建設費がいくらになったっていいじゃないか。大きければ大きい程、ゼネコンも俺らも潤うんだからウィンウィンの関係だよ。一番高そうで立派なプランにしてくれたまえ。君だってお世話になっているゼネコンに恩返しが出来る。」

こんな会話が頭の中にモワモワと浮かんできてしまいます。

「先生、このキールアーチは金が掛りますよ。大丈夫ですかね?やって出来なくは有りませんが、合理的ではないですよ・・・。エ!?金ならいくらでも有るって言われてるんですか?足りなければ増額しても良いって言われた・・・。本当ですかね・・・まあ最初は適当に見積もっときますが、後から膨らむ事は覚悟しておいてくださいね。まあ、我々もこれに決まれば儲けは大きいですから、先生、ここは一つ頑張って下さい」

いかん、妄想の歯止めが効かなくなってきた・・。

■ 「コンパクト五輪」のコンセプトは何処へ? ■

今回のオリンピックのテーマの一つが「コンパクト・オリンピック」でした。晴海や都心中心の狭いエリアに競技施設を集中させ、既存施設を上手に活用しながら、低コストながらも観客の利便性も追求する事がテーマでした。

東京都は五輪を利用して晴海を中心とする臨海部の開発や、都心種変の再開発や道路整備で大都市東京の魅力を高める狙いがあったと思われます。

しかし、いざ実際的な検討に入ると、晴海は風が強くてメインスタジアムでの競技には使えない事が分かります。

ヨットは空撮のヘリコプターが航空路と干渉する為に、トライアスロンは水質問題で他地域への変更を余儀なくされ、地理的なコンパクトには破綻が生じていますが、これは大した問題ではありません。

問題は、既存施設をなるべく活用して低コストなコンパクト五輪を目指すという指針が、途中から消えてしまった事です。

五輪決定時期の政権は民主党政権で、財政再建を掲げていました。五輪も東京都が誘致したイベントなので国費をそれ程投入する予定は有りませんでした。

晴海に建設予定のメインスタジアムも建設費は都が捻出する予定だったと思います。

■ アベノミクスでタガが外れたコンパクト五輪 ?■

晴海の代替え地として候補に挙がったのが代々木の国立競技場です。老朽化が進み、耐震補強もされていなかったので、いずれは建て替えられる予定でした。この旧競技場は収容人数や施設の点から、既に陸上の国際大会やサッカーのワールドカップの会場では使用できない施設でした。

ザハ・ハディドの案が決定したのは民主党政権時代でしたかが2次審査は2012年11月7日。衆議院の解散が11月16日でしたので、次の自民党政権が確実視されていた時期になります。

関係者の心中では、自民党政権になったら予算増額は容易だから、なるべくコストの掛るプランを選ぼうという息しが働いたかも知れません。(妄想)

■ アベノミクスという集団暗示 ■

アベノミクスの暗示効果もあったかも知れません。311地震以降、委縮していた日本人の心にアベノミクスは希望の灯をともしました。

「日本はこんなもんじゃない」「日本はまだまだ世界と戦える」「日本の力を世界に見せつけてやる」少なからぬ日本人はアベノミクスの雰囲気の呑まれた事は確かです。

「アンビルドの女王」と呼ばれ、実現が困難とされるザハ・ハディドのプランを日本の建設業界の技術力と人材の総力を挙げて実現して世界をあっと言わせたい

槇文彦氏らが、神宮外苑の景観を壊すとして巨大なザハ案に反対した時、私は「どうせやるならザハ案の様にモニメンタルの案の方が、今後の東京のランドマークとして相応しい」のでは無いかと思いました。

建築業界の末席に居る私としては、ザハの提案した線路をも跨ぐような巨大は構造物が出来上がるのならば、それは是非見てみたいと思いました。

■ 計画縮小で価値を失ったザハ案 ■

しかし、基本設計の段階で著しく予算がオーバーし、さらに線路を超えるなどコンペの要件を規模的に逸脱していたザハ案は縮小を余儀なくされます。

小山の様な、ランドスケープ的な規模を持っていた計画案は、自転車のヘルメットを伏せた様な、あるいは海底に眠るガメラの様な形がポンと置かれた「単なる建築物」に成り下がってしまいました。この時点でザハ案は次点以下の案にも劣るものに劣化していまます。

■ 不完全な物を高いお金で作る意味は無い ■

私は建築物は美しくあるべきだと思います。その点、東京都が1600億円を投じて都庁跡地に建設した東京国際フォーラムは、「建築物のフェラーリ」とも言える価値を持っています。

ザハ案が当初のプランのまま建設されたら、「建築物のランボルギーニ」になったかも知れません。ちょっと成金主義的な所もランボルギーニ的かもしれません。

しかし、プラン変更されたザハ案に高額の資金を投入する魅力は有りません。不完全なものは美しく無いからです。



■ スパン400mの橋梁を陸上に建造するナンセンス ■

ザハ案はスパン400mの巨大橋梁=キールアーチを陸上に建造するだけで1000億円近くのコストが掛ると見積もられています。これは土木建築のスケールなので、橋梁工事などに長けているゼネコンが落札すると思われましたが、意外にも竹中が受注しています。他のゼネコンがもっと高い額で入札したとすると、キールアーチの施工費はもっと膨らむ可能性も有ります。

ところでこの巨大アーチ、どうして必要なのでしょうか?

一般的にスタジアムの屋根は軽量に作られます。グランドの中に柱を建てられないので、屋根はスタジアム周囲の構造によって支えらます。体育館の屋根の様にアーチ構造にする事で、大スパンの屋根を、屋根事態の強度で支える事が出来ます。

丹下健三氏の東京オリンピックプールの屋根は面白い構造で、長辺方向に貼られた太いワイヤーによって屋根の荷重を支えています。吊り橋にテントが張られている構造を創造して下さい。

ハディドのプランでは、屋根は二本の巨大なキールアーチで支えらています。橋梁の様な頑丈の構造でなかりの荷重に耐えると思われますが・・・そもそも論としてスタジアムの屋根が重たい必要があるのか・・・。むしろ屋根を軽く設計する事こそがスタジアム建設の醍醐味では無いのか・・。

もっともキールアーチがスタジアムの屋根を支える構造として問題があるわけではありません。



アテネのオリンピックスタジアムでも採用されています。



シドニーのオリンピックスタジアムもキールアーチ構造です。様なキールアーチはスタジアム建築の屋根を支える構造としてそれ程特異な構造では無いのです。

では何故ザハ案のキールアーチは建設コストが高いのか・・・それはキールアーチが鋼管やトラス構造では無く複雑な形状を持った立体だからでしょう。多分鋼板と鋼材を溶接して作って行くので、橋梁の鉄骨部と似た構造になるのでしょうが、複雑なだいに値も張る。さらにオリンピック・プレミアムでゼネコンも思いっきり乗っけているカプコン、カプコン・・。
私個人としては、「何故2600億円になったか分からない」という安藤忠雄氏の記者会見での発言は彼の本心に近いのでは無いかと思います。どうしてこんな高いの?って。

■ 合理性の対局にあるムダの美学 ■

建築という物は構造的、コスト的制約と、デザイン的な自由度の制約の上に成立します。

モダニズムの建築では合理性や経済性が優先され、無機質で幾何学的な形状がほとんどでしした。

その反動で生まれたポストモダンですが、従来の構造や形態を折衷する事で、表層的にモダニズムに対応しようとした事で、建築の本質を揺るがす様なムーブメントとはなりませんでした。

一方、ザハ・ハディドを代表とする「脱構造出」の建築家達は、建築物の既成の構造や形態を破壊する事に存在意義を求めています。柱が真っ直ぐ立っていたり、壁が真っ直ぐ立っている事に疑問を呈しているのです。

柱が真っ直ぐだったり、壁がまっすぐなのは、経済的である事と同時に構造の強度計算がやり易い事にも起因した形状です。しかし、コンピューターの進化により構造シミュレーションの技術が向上した結果、様々な建築形態を実現出来る様になります。

日本でも伊藤豊雄氏や妹島和代氏らを始めとする建築家たちは、自由な構造の生み出す新しい建築デザインを追求しています。しかしザハ・ハディドなどの脱構造派と一線を画すのは、自由な中にも合理性の追求を忘れてはいない事です。ミニマムな構造のモジュールの連続と組み合わせで無限の拡張性を獲得しようとする試みはスリリングです。

一方、ザハ・ハディドやフランク・ゲーリー らの脱構造主義は「西洋文化の合理性に否定」に重きが置かれているので、その形状や構造は非合理的でラディカルである方が好ましいのでしょう。結果的に、「設計が難しく、建設が難しく、使い難く、コストが掛る」事が婉曲的に肯定される事になります。

脱構造主義の建築において無駄こそが大切であり、彼らにしてみれば、キールアーチの構造的合理性などを議論する事こそがナンセンスなのです。

ザハ・ハディドの建築デザインは「合理的には建設するメリットが無い」から価値が有るのであって、だからこそ彼女は「アンビルドの女王」なのです。

ザハ案が採用された時、多くの日本の建築家達は驚きを隠せなかったでしょう。ミニマムな日本の美意識を評価されて有名になった安藤忠雄が、彼の建築のポリシーの対局にある「西洋的な合理主義の破壊を、西洋的物量主義で実行する」するハディド案を選んだのですから。

■ 無駄の議論をするならば、ザハ・ハディドの案は中止すべき ■


私はザハ案が縮小された時点で価値が無いと思っていますが、ある意味、デザイン的に陳腐になった物を巨額を投じて建設するという行為も、合理性を欠いており、ある意味行政の脱構造主義なのかも知れません。

そうは言っても私達の税金でカッコ悪い物は作って欲しくありません。

ですから、同じコストを掛けるならば、予算の中できちんとデザイン的に完結するプランに変更する方が建築業界の未来の為にも有意義です。





コンペの第2位のプランはSANAA(妹島知世+西沢立衛)と日建設計のコラボレーションした案です。次点はCOX案でした、SANAAは3位。

こちらも脱構造主義的ですが、建築的合理性に逆行するのではなく、合理性を研ぎ澄ませた先の自由を追求しています。



上の写真はSANAAが設計したローザンヌ連邦工科大学の施設ですが、複雑な形状は単純な構造に組み合わせによって実現されており、それによって実現した局面が屋根の構造的な強度を生み出すという、実にスマートで合理的な設計思想が見て取れます。

コンピューターによるCADが存在しなければ図面化する事が難しく、同様にコンピューターによる強度計算の進歩が生み出した建造物だともいえます。


本来であれば、日本で開催されるオリンピックであるのですから、日本の建築設計のレベルを世界に知らしめる良いチャンスだったはずですが・・・どうしてSANAA案が優勝しなかったのか不可思議に思っている建築関係者は山程居るはずです。

ただ、SANAA案は「迫力」が無いので、一般人受けし難く、国際的にも玄人受けは良いのですが、「ドーダダダァーー!!」といったインパクトに欠けると判断されたのかも知れません。



<追記>

槇文彦氏が開閉式屋根が必要無い事を明確にしています。コンサートでの音漏れ対策として採用される開閉式屋根ですが、天然芝のピッチを維持するために、ピッチを利用するイオベントの回数は年間12回程度。

そもそも旧競技場の時代から、この規模の会場を一杯に出来るアーティストは嵐ぐらいかと思います。AKBはガラガラ、モモクロでそここ・・・。

膜構造の開閉式屋根のコストは高く、維持費も掛かります。一方で遮音性には問題があります。ザハ案でも一番最初にカットされたのが開閉式屋根でしたが、これはイベントの開催に問題があるとして復活してしまいました。

SANNA+日建プランでも、この開閉式屋根の詳細は不明で、もしかしてこちらの案を採用しても屋根で足が出る可能性があります。


天然芝の維持と育成という観点からは、天井開口面積を制限してしまう開閉式屋根はデメリットの方が大きく、これを中止する事で得られるメリットは大きい。


ただ、周辺住民はオリンピックのリハーサルやコンサートで騒音で悩む事になるのでしょうが、毎晩、花火の騒音に悩まされる某テーマパークの周辺住民の事を思えば・・・・。