注) 本日はネタバレ全開でお送りします。全話放映が終了しておりますので、興味を持たれた方は是非ご覧になって頂きたい!!
■ 自衛隊推奨アニメ ■
冒頭の画像は、最新の自衛隊の隊員募集ボスターです。
良識ある方々は目を疑うかもしれませんが・・・。
先日放映されていたアニメ
『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』は「自衛隊とのコラボレーション」によって制作され、そのキャラクターが隊員募集のポスターに使われています。
http://www.mod.go.jp/pco/tokyo/tokusetu/tokusetu.html
上のURLは自衛隊東京地方協力本部のホームページですが、
「話題沸騰中!テレビアニメ 「GATE」 と奇跡のコラボ」の文字がページ冒頭に踊っています。
■ エーー、自衛隊推奨のオタクアニメ!? ■
自衛隊推奨というからにはどんな硬派な作品かと思えば・・・なんだろう・・このエルフや魔法少女やゴスロリ少女は・・・。何とこの作品、自衛隊が剣と魔法の『異世界』に遠征するというファンタジー作品なのです。
自衛隊がタイムトラベルする作品は過去にも存在します。
『戦国自衛隊』を思い浮かべる人が多いかと思いますが、演習中の自衛隊の小隊が戦国時代にタイムスリップしてしまうお話。「刀や槍で戦う戦国時代に近代兵器が現れたらどうなるのか?」というシミュレーションを楽しむ作品ですが、圧倒的な戦力を有する彼らは図らずも「織田信長」の役割を演じてしまったというオチが秀逸でした。
最近では「かわぐちかいじ」の
『ジパング』が同様の作品で、演習中のイージス艦一隻が太平洋戦争当時にタイムスリップしてしまいます。こちらはエンタテーメント色よりも「思想色」の強い作品で、タイムトラベル物としては珍しく「逡巡」のあげく「歴史を変える事」を選択する「修正史観」を象徴する様な内容になっています。
これらの作品で描かれる世界は比較的にリアルです。「武士や米軍といった歴史上に実在した戦力と現代の自衛隊の装備が戦闘したら・・?」という興味を満足させる為には、敵がリアルである必要があるのです。』
『GATE』は自衛隊が前時代の軍隊と戦闘するという設定こそ過去の作品に共通ですが、戦う相手は「異世界の軍勢」。ローマ軍さながらの軍隊に、ドラゴンや異形の怪物達が相手です。「魔法」が普通に存在するファンタジーの世界と自衛隊は一見「ミスマッチ」に見えますが、これがこの作品を「素晴しい」ものに仕立て上げる最大のトリックなのです。
■ 銀座で日本人が殺戮される ■
ある日、銀座に突如として「異世界」との「門(ゲート」が開きます。そこから現れたのはローマ軍さながらの大軍勢。そして彼らに付き従うのはドラゴンやオークといったファンタジーではお馴染みの異形の怪物達。
彼らは「日常」の銀座に突如出没し、躊躇なく一般人を殺戮します。「映画の撮影?」なんてのん気に眺めている人達を惨殺しながら、敵の将官は敵の警戒心の薄さに戸惑いを覚えます。一瞬にして殺戮の場と化した銀座界隈ですが、非番の自衛官、伊丹 耀司(いたみ ようじ)は一般人を皇居の中に非難させ多くの人命を救います。彼はその後「銀座の英雄」と呼ばれます。
殺戮の限りを尽くす異世界の軍勢ですが、剣や槍では近代兵器に敵うはずは有りません。出動した警官や自衛隊に一気に殲滅させられ、6千人が捕虜となります。
多くの犠牲者を出した「銀座事件」の後、政府は3ヶ月の審議を経て、自衛隊を「異世界=特地」に派遣する事を決定します。専守防衛の日本において、積極的に他国に自衛隊を派遣する事は異例ですが、いつ又、門を通って異世界の軍勢が襲って来るか分からない状況で、自衛隊の派遣は「防衛行為」と解釈されたのでしょう。
一方、日本に開いたゲート(門)にアメリカやその他の大国も興味深々です。ゲートの向こうには手付かずの資源が眠っているからです。彼らにとってはゲートはフロンティアに通じるドアなのです。
■ 容赦なく「非対称の戦闘」を開始する自衛隊 ■
「異世界=特地」に派遣された自衛隊の装備は74式戦車など旧式ですが、衛星の無い特地では最新装備はむしろ役に立たないからだと推測されます。さらに撤退を余儀無された時に旧式兵器なら破棄しても損害は少ないとの判断もある様です。
特地に派遣された自衛隊の眼前には、敵の10万のい代軍勢が待ち構えています・・・が、近代兵器を前にして敵は人馬の屍の山を累々と築くだけでした。
アメリカ軍が中東で繰り広げる「非対称の戦闘」を自衛隊が遂行する・・・アニメと言えどもその映像はショッキングです。しかし、自衛隊は軍隊ですから「戦闘」となれば手加減はしません。敵が攻めてくるならば全力を持ってそれを排除するのは軍隊としては当然の行為です。「手加減」するという事は、自軍の損耗を増やし、人的被害を拡大する事に繫がるからです。
■ 「自衛」の限界 ■
特地に駐留した自衛隊は、ゲートのあるアルヌスの丘に陣地を築きます。しかし、そこから積極的に戦線を拡大する事はしません。あくまでも「自衛行為」である以上、ゲートを防衛していれば、敵軍の日本への侵攻は阻止できるからです。日本の法律では自衛隊が出来る事はこれが限界で、積極的に敵の首都を攻めることは出来ません。
自衛隊や政府は相手国政府との交渉と停戦、そしてその後の交流を模索します。それをアメリカを始めとする他国は観察しています。「日本は何をしているのだ!!」とジレったく思う一方で、「火中の栗は日本に拾わせるのが一番」と・・。
「銀座事件」をアメリカに置ける911事件と置き換えるならば、アメリカ軍は容赦無く相手国(本当は関係が無くとも)の政府を崩壊させます。一方、自衛隊は仮に国民に犠牲者が出たとしても「自衛の為の戦闘」以上の行動に出る事は許されません。同じ戦闘でも「自衛隊の戦闘」と「米軍の戦闘」は根本的に目的が異なっています。「自衛」か「侵略」か・・・。
■ 「難民警護」と「突発的」な戦闘 ■
「銀座の英雄」の伊丹も特地に派遣され、小隊長として現地調査に当たります。実はコテコテのオタクである伊丹にとって特地は「夢」の様な場所です。そんな彼の小隊は、火を吐き村々を焼き尽くす強大な「炎龍」に行き当たります。焦土と化した村からたった一人助け出したのはエルフの少女・・・。
そして炎龍から逃れ村を捨てた人々を警護する事態に陥ります。これ「難民」ですね。その「難民」の隊列を炎龍が襲います。「怪獣と戦うのは自衛隊の伝統だから・・」というイキなセリフと共に炎龍と交戦する伊丹の隊ですが、軽装備では装甲車に匹敵する炎龍のウロコは撃ちぬけません。からくも炎龍を撃退したものの、村人の3/1が命を失います。
この内容を「ファンタジー」として観ているとこの作品の本質を見失います。「炎龍」は「難民」の隊列を襲う敵の戦闘機以外の何物でも有りません。仮に自衛隊が戦闘地域で難民警護の任務に就いた場合、をれを襲う敵との交戦は十分に想定される事態です。その際にイラク派遣の様な軽装備で難民や自衛隊自体を守れるのか・・・。実はこのシーンは現実的な問題提起を私達に突きつけています。
■ 安保法案国会を再現したような証人喚問 ■
「特地甲種害獣(炎龍)との戦闘によって民間人に犠牲が出た」事は国会で問題となり、野党の要望で伊丹と現地人が国会に証人として呼ばれます。
「民間人の1/3に犠牲が出て、自衛隊に犠牲者が出なかったのは何故ですか?」「自衛隊は自分達の命を優先したのでは無いか?」という女性議員の質問に、現地の神官のローリーは答えます。「なあた、オバカァーー?」「兵士が自分の命を守らないで、誰があなた達の命を守るの?」「あなたたちがここで意味の無い議論が出来るのも兵士が戦場で戦っているからでしょう?」
・・・これ、安保国会の不毛な議論を聞いている全ての自衛隊員の本音でしょう。多くの自衛官がこのシーンに喝采した事と思います。
■ 「治安維持要請」による戦闘 ■
伊丹隊は何故か戦闘に巻き込まれることが多い。難民の生活自立の為に戦闘で死んだ龍のウロコを売りに来た街は盗賊との戦闘の最中。篭城戦の指揮を取っているのは自衛隊が交戦している相手国(帝国)の第三皇女。彼女は勇敢で聡明ですが戦い慣れしていません。追い詰められた彼女達は敵軍である伊丹に救援を求めます。
野盗の集団の中には、先般の戦闘で敗走した兵士達が多く居ます。彼らは「戦いの中」に生きる場所と死ぬ場所を求めています。この時代の戦闘は命のやり取りであると同時に、社会のシステムの一つとして大きな意味を持っています。
一方、救援を要請された伊丹は「圧倒的な戦力差を見せ付けて、帝国の戦意を削ぐ」ことを計画します。駐屯地に連絡して、救援部隊を要請します。救援に駆けつけたのはヘリコプター部隊。彼らは『地獄の黙示録』さながら、大音響でワグナーを鳴り響かせ、城壁の外の野盗に銃弾の雨を降らせます。
この光景を見て皇女は恐怖します。「我々はとんでも無い敵を招き入れてしまったのかもしない・・・。」「もし、彼らが望むなら私は跪いて彼らの足にキスする事も厭わないだろう・・」
異世界においては「命のやり取り」において戦いは「神聖な儀式」の一つとも言えますが、銃弾の雨を降らせる自衛隊の戦闘は「合理的な殺戮」です。ここでも「非対称」の戦闘は真正面から描かれており、それを象徴するかの様に『地獄の黙示録』の冒頭シーンがトレースされます。
戦闘に勝利した自衛隊は駐留する事無く撤退します。「要求の無い」戦闘に、現地人は困惑します。「彼らは勝者の当然の権利を放棄するというのか・・・」と。
一方、自衛隊は捕虜の「人道的な扱い」を求めます。「人道的とは捕虜を有人知人の如く扱う事だ」と説明します。これを聞いた交渉役は語気を荒げます。「あなた方は家族や友人を殺した者達を友人の様に扱えと言うのか?!」
現代の戦争の「ダブルスタンダード」を見事に表現しています。戦闘は「合理的殺戮」として感情の入る隙は無く、戦闘が終われば「人道」が重要視されます。戦争の理由は「平和」や「民主主義を守る」事とされ、その本質である経済的利益は巧妙に隠蔽されるのです。そして「治安維持要請」などの相手国の要請があれば「戦闘の大儀名文」が成り立ちます。
■ 自衛官達の気持を代弁する作品 ■
この作品、表面的にはファンタジーの皮を被っていますが、本質は「安保法制後の自衛隊の姿」をシミュレートしたものです。これはSFの常套手段です。
自衛隊の銃火に惨殺されるのが「アラブ人」では世間の反感を買いますが、オークや異世界の兵士ならば抵抗感無くファンタジーとして見る事が出来ます。誰かが「ケシカラン」と言っても、「ファンタジー作品に何ムキになっているんだよ・・・」とさらりとかわす事が出来ます。
旧共産圏ではSFは体制批判の手法として活用されていましたが、この作品は「考える事を止めてしまった日本人」に、自衛隊が戦闘地域に出動する「リアル」を突きつけています。
そしてこの作品の素晴しさは「戦闘」や「戦闘に至る状況」を客観的にシミュレートしている事で、そこに「正義」の入る余地は有りません。ここら辺が『ジパング』との大きな違いで、この作品は自衛隊の海外派遣を「批判」も「肯定」もしていません。
ただ、日本の安全保障上の理由から自衛隊が海外派遣されたら、彼らは法律をどのように厳格に運用し、あるいは現場単位で柔軟に運用して事態を打破するのか・・・この問題に注意が集中しています。
実は原作は元自衛官の「柳内たくみ」氏がネット小説で発表したもので、最初は政治色の強い作品だった様です。出版に当たり、政治色をだい薄めたとか・・・。多分、現代の日本で自衛官を務める方達の気持がこの作品には凝縮されていると思います。
■ ゴールデンタイムに放送してみたい作品 ■
「アメリカの戦争に巻き込まれる」「自衛官の家族はどれ程心配か・・」など反安保論者が常套的に口にする事場ですが、「軍人」である自衛官やその家族はそれなりの「覚悟」が有るはずです。日本を守る為にアメリカと共闘する必要があると国家が判断するならば、軍人としてそれに異を唱えることはしないでしょう。但し、彼らとて出来る事ならば「正義」の側で戦いたい。
ただ、国際社会において正義とは相対的かつ一方意的である事に私達よりも自衛官の皆さんは自覚的だと思います。
作中、証人喚問に同行した帝国の皇女達を狙う米中露の工作員と日本の特殊部隊の間で戦闘が発生します。するとアメリカの大統領から日本の首相に電話が入ります。「私の手元に日本の内閣のウラ金の資料が有る・・・工作員の邪魔を止めて欲しい」と。
首相は特殊部隊の作戦中止し支持しますが、同時に首相を辞職し、内閣を解散します。これでアメリカの政治カードは効果を失います。伊丹達が自力で難を逃れる事に掛けたのです。
・・・「あなたとは違うんです」と言い残して辞任した福田元総理や、「お腹が痛い」と言って辞めた第一期の安倍総理が脳裏に浮びます。
この作品、本当はゴールデンタイムに放送して欲しかった。でも、上の様なシーンが有るから、無理だったとは思います。
■ エンタテーメントとしても楽しめる ■
本質的にはかなり「硬派」な作品ですが、異世界との交流物としてもなかなかの出来栄えです。異世界の人達が現代の文明に触れて驚くというのは良くある表現ですが、魔法少女、エルフ、神官といった美少女達のキャラ立ちを上手く使った数々のシチュエーションが秀逸です。
さらには、真面目な皇女とその部下が「腐女子」に落ちる様など、もう抱腹絶倒です。
来年1月から第2期がスタートする様ですが、この作品、「オタクアニメ」とバカにしないで是非色々な方々に見て頂きたい。
「戦闘する自衛隊」の姿を観て、そして各人が何かを感じていただけたら、作者もスタッフも、そして現役自衛官の方々も喜ぶのではないでしょうか。
<追記>
自衛隊の募集と言えば、かつては夜の繁華街をウロツイテいる青年にリクルーターが声を掛けるというものが主流というイメージが有りますが、昨今は「ミリオタ(軍事オタク)」の入隊が多いと聞きます。
ミリオタをターゲットにするならば、硬派なポスターよりもアニメの絵柄の方がウケが良いのかも知れません。今や、各地方部隊のマスコットキャラがアニメ風のキャラクターですから。
以前の記事ですが参考までに。
http://green.ap.teacup.com/pekepon/1240.html