■ アニメ嫌いの家内でも観ている『サムライフラメンコ』 ■
我が家の家内はアニメが嫌いである。
アニメが嫌いと言うよりは、いい年こいて子供とアニメに夢中になっている私の姿が情けないと言う・・・返す言葉も無い。
そんな家内もアニメを全く観ない訳では無い。
『宇宙兄弟』は大好きで、チャッカリ自分だけワンセグで見て大笑いしている。
ちなみに私のiPhoneではワンセグは見れない。
どうにか家内をアニメ仲間に引き込もうとする私であるが、最近になって家内の好きそうなアニメの傾向が分かって来た。それは「現実的」な内容である事が不可欠な様だ。
ロボットやSFは即攻で却下。「こんなのあり得ない!」でオシマイ。
萌系は論外。「変態じゃない・・・」で即殺。
では「現実」の限界はどこら辺にあるのかと言えば、
『君に届け』は全然OK。『謎の彼女X』は「こんなのあり得ない~」と叫びつつ大喜び。
『私がモテないのはどう考えてもお前ららが悪い』は無視。
すなわち家内におけるアニメの「現実」の限界は、「主人公がオタクで無いこと」にある様だ。
そこで、娘と私が興味を持ったのは今期アニメの
『サムライフラメンコ』である。主人公が「重度のヒーローオタク」のこの作品、はたして家内は受け入れるのでしょうか?
「アニメなんて見たく無い」と言う家内を、アイスなどで釣って見せてみました。
「何、コレ・・・」と興味の無い振りをしますが・・・チラ見しながら、しっかり笑ってます。
半分はアホな夫と娘への憐憫もあるのでしょうが、どうやら『サムライフラメンコ』は、一般の人が見ても面白作品だと、今回の実験結果は示しています。
■ アニメ的リアリティーに優れた倉田英之の脚本 ■
『サムライフラメンコ』のシリーズ構成と脚本は倉田英之が担当しています。「倉田脚本」で反応してしまうのは重度のアニメ依存患者ですが、彼の脚本は多くの作品が氾濫する中で目を引きます。
『かみちゅ!』(2005)が最良の作品だと思いますが、『俺の妹がこんなに可愛いわけが無い』や『神のみぞ知る世界』も秀逸です。
倉田脚本の特徴は、派手なアクションなどでは無く、「日常の生ぬるい心地よさ」にあると思われます。これだけならいわゆる「日常系」と呼ばれる作品と同じでは無いかと思われるでしょうが、「日常系」作品が「アニメの中の日常」を描いているのに対して、倉田脚本は「現実的な日常」をしっかりと描いていながら、「生ぬるさ」を上手く生み出している事が特徴です。
『かみちゅ!』の「こたつ回」は驚愕に値する内容です。
ひたすら30分間、コタツでごろごろしている主人公を描写するだけ。
ただ、それだけなのに、「あるある、そうだよねぇー」と妙に「まったり」した気分になるのと同時に、こたつでゴロゴロする主人公がとてつも無く可愛く見えてしまたりもします。
この時主人公を見る視聴者の視点は、完全に第三者のものです。主人公の行動を仔細に観察する事で、ネコの可愛さを認識する様に、主人公の可愛さを確認していくのです。様は、「まったりと、生ぬるく見守っている」のです。これが何とも心地よいのです。ほんの仔細は仕草に胸がキューっとしたりします。アニメオタクは・・・。
仕草のディテールのちょっとした拘や、些細なセリフの一言が、キャラクターへの共感や愛情を高めて行きます。これが、テンプレキャラが約束されたセリフを吐きまくる一般的な「萌アニメ」と倉田アニメを差別化する重要な要素となっています。
そして倉田脚本のもう一つの特徴が、「あり得ない現実」を自然に納得させてしまう力。
『神のみぞ知る世界』などは、設定的には相当無理があるのですが、その不自然な世界の中で、不自然な行動を余儀なくされる登場人物達の、ほんんお些細な心の動が妙に「なまめかしい」瞬間があります。主人公が押し黙って俯いた瞬間とか、無表情の後ろに複雑な気持を押し込める瞬間にハっとさせられます。
いわゆる「リアルな感情」とも別物の、言うなれば「アニメ的リアリティー」みたいなものがフワッと立ち上る一瞬があるのです。
倉田脚本はそんな「アニメ的リアリティー」に依存しているので、これを実写で表現すること困難です。そもそも、倉田脚本から視聴者が「アニメ的リアリティー」を抽出する時、彼らは過去の膨大な作品のアーカイブの中から最適なシーンを連想しており、共通のアーカイブを持たない一般人は、同じ感動を共有する事が不可能なのかも知れません。これは、多くのアニメが利用する手法ですが、普通は明確なシーンの連想を強要するのに対して、倉田脚本はシーンが持っていた空気感の様な曖昧な効果を引き寄せてきます。
■ 作品の中の「観察者」に視聴者をシンクロさせる『サムライフラメンコ』 ■
『サムライフラメンコ』は重度のヒーローオタクの主人公が、ヒーロースーツを着て、世の小さな悪に立ち向かう作品です。小さな悪とは、路上喫煙であったり、信号無視であったり、夜中にゴミを出すおばさんであったり、他人の傘を持ち去る人だたりします。
主人公の正義(まさよし)は、TVのヒーロ物に憧れ、巨悪と戦いたいと熱望しています。さすがに20歳に誓い年齢なので、悪の秘密結社などが実在しない事は分かっていますが、彼がヒーロである為には、悪の存在は欠かせません。結果的にあ、彼は社会の小さな悪と戦う事で、自分をヒーローたらしめています。
しかし実際に彼は、かなり弱い。中学生と戦ってもフルボッコにされる弱さです。そんな自分の弱ささえ、彼の脳は「修行」や「特訓」に都合良く変換し、ヒーローとしての自分を鼓舞します。
ふとしたキッカケで知り合った警察官の後藤は、彼の行為を、「カレーライスを食べたくて、カレー風味のふりかけで我慢している様なもんじゃないか」と揶揄しますが、正義は信念を持ってヒーロー行為を続けています。
するとその姿がネットで話題になり、「ニセ・サムライフラメンコ」まで出現する事態に。
まあ、3話までのストーリーはこんな感じで、。「在るよなー、実施にこういうの・・」と思わせる小さなエピソードを丁寧に積み上げています。この「在るよなー」という共感は、実は主人公にでは無く、主人公の行動に困惑する周囲の一般人の言動に向けられています。
「ヒーローごっこ」に興じる主人公は「ナイ、ナイ、そんなの」って突っ込みを入れるのに、主人公の行動に対する周囲の反応には妙に共感してしまうのです。この共感が、普通は「あり得ない」純粋なヒーロー志願の青年を、視聴者がついつい応援したくなってしまう状況を見事に作り上げています。
そんなこんなで、我が家の家内もいつのまにか正義君の行動が気に掛かるようになるのです。そう、視聴者は常識人の後藤視点で、「こまった青年」の「こまった趣味」を、心配しながら見守ることになるのです。
視聴者の視点は、あくまでも「こまった青年」を観察する視点です。ところが、正義の思わぬ「熱さ」と「曇りの無い正論」がアニメの中の大人の心に響く様に、私達の心にも響いている事にふと気付きます。私は達は、主人公にシンクロしているのでは無く、アニメの中の後藤を始めとする「観察者」にシンクロしする事で、倉田英之の罠にまんまと嵌っているのです。
いずれにしても、クセの強い作品の多い今期アニメにあって、一般の人にもお薦めできる良策です。是非、ご家族でお楽しみ下さい。
主人公が実はイケメンのモデルで、芸能界の売れっ子達が意表を付いた形で、彼のヒーローオタクに絡んで来る展開は、エンタテーメントとしても楽しめます。
■ アメリカ版現実ヒーロ物の『キックアス』 ■
『サムライフラメンコ』放送当初から、ヒーロー物に詳しいファンはアメリカの現実ヒーロー物の
『キックアス』との類似性を指摘しています。
娘に話したらTSUTAYAで映画版のDVDを借りてきてくれました。
やはりヒーローオタクのアメリカの高校生が、趣味が高じてネットで購入したダイバースーツを着込んで街の悪と戦うお話。
彼がやっぱり弱くて、ダメダメな事。そして、それがネットで話題になる事など、『サムライフラメンコ』が『キックアス』を元ネタにしている事が良く分かります。
■ アメリカではシャレにならない「ヒーローごっご」 ■
『サムライフラメンコ』は「ヒーローごっこ」のほのぼの感を上手く利用したストーリー展開を見せますが、暴力の国アメリカの『キックアス』では、主人公の正義は、チンピラのナイフの前に一瞬で砕け散ります。彼はボコボコにされた挙句、ナイフで刺されます。これはアメリカでは当たり前の事です。
ところが、この怪我が元で主人公は痛覚を失い、結構「打たれ強いキャラ」に変身します。弱いけど、結構粘るので厄介です。そして、そんな彼がネットで注目を浴び、ニセモノが街に溢れます。
■ 暴力を暴力で粛清するダークヒーローの系譜 ■
一方、街を牛耳るマフィアの下っ端が殺される事件が多発します。マフィアのボスはキックアスの仕業と勘違いして執拗にキックアスを追いますが、彼が犯人では無い事にすぐに気付きます。
実はマフィア達を殺しているのは、昔、マフィアに妻を殺された元警官とその娘・・・。
暴力を暴力で粛清すべく、彼はバットマンのいでたちで、娘はロビンの姿で、残忍にマフィア達を殺して行きます。
映画版の少女は凄く可愛いのですが、原作版は残忍です。
■ アメコミヒーローの暴力をパロディー化した傑作 ■
バットマンシリーズ以降、アメコミヒーロの正義が暴力に支えられている事に脚光が当てられてきました。アメリカの正義が暴力である事を告発しているとも言えます。
それを、コミカルに、そしてグロテスクにデフォルメしたのが『キックアス』です。中年のお腹の出たバットマンと少女の振るう暴力は、その見かけのダサさとは対照的に凶悪です。
『サムライフラメンコ』同様に『キックアス』の読者や視聴者は、「そんなの在りえねー!!」と突っ込みを入れつつも、意外にも現実的な恐怖と対峙する事になります。これは、「アメリカ社会では、どんな人でも銃やナイフを持てば、暴力という正義を行使できる」というアメリカの深い闇をアメリカ人が肌身で感じているからです。
日常ヒーロー物というジャンルを扱いながらも、「生ぬるい日常」になる日本と、「歪んだ暴力」になる日米の社会の違いが興味深い2作品。ぜひ、ご一緒にご覧下さい。
映画でヒットガール(ミンディ)を演じるクロエ・グレース・モレッツが実に可愛らしく(子供らしい動きをするんですよね)、日本語吹き替えは沢城みゆきが担当。(これ全然気付きませんでした)
父親の元警察官は、ニコラス・ケイジがいい感じに狂った役を演じています。