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「民主主義の限界」と「グレートリセット」

2022-10-27 00:41:35 | 時事/金融危機

 

■ 資本家の作り出した「民主主義」 ■

「グレートリセット」というダボス会議のテーマが一人歩きしていますが、リセットされるモノの中に「民主主義」も含まれると私は妄想しています。

近代の民主主義は「国王」や「皇帝」と言った世襲の権力から、「市民=資本家」が権力を奪う時に用いられた「方便」です。初期の民主主義では参政権も被選挙権も、ある程度の所得のある男子に限られていました。要は議会は資本家により運営されていた。

しかし、次第に一般人も参政権を求める様になります。納税者としては当然の権利の主張です。そこで、資本家達は、参政権を成人男女全てに拡大してゆく一方で、メディアを使って世論をコントロールする方法を確立して行きます。新聞が、TVのニュースが「洗脳」の道具として活用されて行きます。

■ 国民が自らの命を喜んで差し出す「民主主義」 ■

職業軍人同士の小規模な戦闘で勝敗が決まった時代とは違い、近代の戦争は軍隊の規模によって勝敗が決します。国土の広さ、国民の多さ、植民地からの豊富な物資が、強力な軍隊を支え、国家を反映させ、資本家を潤します。

国家は国民の納税と、軍隊への参加によって維持される時代となりましたが、国民が喜んでこれに従うハズはありません。そこで、メディアを使って国民をこう「洗脳」します。

1) 敵が攻めて来て、お前の大事な家族が殺される

2) 国家は国民のものだ。だから税金を収め、戦争にも参加して自分達の国家を守ろう

「民主主義」や「近代国民国家」と言えば聞こえは良いですが、その実態は農民までも戦争に参加させるシステムに過ぎません。

■ 戦争無き時代の「民主主義」 ■

「近代国民国家」を生み出したのは「大規模な戦争」でしたが、第二次世界大戦を境に大規模な世界戦争は過去のものとなりました。核兵器の登場により、大国間の全面戦争は「人類の滅亡」を意味する様になったからです。これによって、「戦争によって国力を増大させる時代=帝国主義」が終わりを告げます。

次なる時代は、資本家達が「経済を最大化する時代」に変わります。大規模な戦争は経済活動を妨げるので避けられる様になります。

大規模な戦争が無くなると、「外国が攻めて来て家族が殺されるぞ」という脅しが効きにくくなります。国民は国家に「生命の保障」では無く、「豊かさの保障」や「長生きの保障」を求める様になります。

誰もが平等に選挙権を持つ現代の民主主義において、人々は「結果の平等」を求める様になります。

1)能力が低くても、或いは無職であっても最低限の生活は保障して欲しい

2)高齢者であっても手厚い年金と医療は保障して欲しい

政府(資本家)は徴税と再分配、そして年金システムによって、「結果の平等」を担保し、国民が経済活動に勤しむ様な制度を構築して行きます。これは一種の社会主義です。第二次世界大戦後の「民主主義国家」とは「ソフトな社会主義国家」と言い換える事が出来ます。

■ 「結果の平等」の限界 ■

「誰でも平等な社会=結果の平等」を追及した社会主義国家は、40年程でシステムが限界を迎えました。生産性が低下して、国家を維持出来なくなったのです。ソ連を始めとする社会主義の実験国家が崩壊すると「民主主義の勝利」などと言われました。

しかし、民主主義国家の実態は「ソフトな社会主義国家」なので、同様の問題が生まれて来ます。国民全員に豊な生活を保障する事には限界があるのです。その為には国家は莫大な貿易黒字、或いは金融取引による所得収支の黒字を経常する必要が有ります。

先進国各国は、生活が豊になるに従って労働コストが上昇し、輸出産業が国外に流出し始めます。

■ 通貨の大量発行と、金融によって「結果の平等」を担保する試み ■

最初に産業革命を達成され、綿織物工業などが発達したイギリスは、当時貿易黒字国だと思われがちですが、イギリスは17世紀から貿易黒字を出した事はありません。イギリスは植民地から大量の物資を輸入していたので貿易赤字だった。では大英帝国を支えていたのは何かと言えば、海運業です。イギリスはスペインやオランダを排除して世界の海の覇者となり、綿花や奴隷、はたまたアヘンを取引して莫大な利益を上げていた。東インド会社という巨大な商社が植民地を経営し、そこでの産物を世界中に輸出して稼ぐ国が大英帝国のビジネスモデルでした。

現代、このビジネスモデルは「金融」に置き換わっています。大英帝国は自分達で船を調達して世界の海を渡り利益を上げていましたが、金融を使えば自分達が働く事無く、利益の上米だけを得る事が出来ます。誰かのビジネスに投資して利益を分けて貰えば良いのです。1980年代から始まった「金融革命」とは、生産力が低下して貿易黒字が稼げなくなった先進国(イギリスやアメリカ)が、お金の力によって利益の上米を得るシステムの構築だったとも言えます。

このシステムは、やがて「お金でお金を稼ぐ」モデルへと変化して行きます。いわゆる「デリバティブ」とか「金融派生商品」とか呼ばれる「実体の無い取引や商品」が売買される状態が生み出されて行きます。この過程で、「誰かの債権」という実体の有る商品は、何倍もの実体の無い金融商品に拡大して行きます。

「無限に拡大し続ける実体の無い金融市場」を支えるのは、大量の資金です。そこで、中央銀行はベースマネーを大量に発行してこれを支えます。現在の主流派が提唱する「供給サイドの経済」或いは「マネタリズム」というのは、工業製品の輸出で稼げなくなった国家を支える為に生み出されたものとも言えます。

「結果の平等」を求める国民を満足させる為に、通貨を大量発行して、金融によって国家が利益を得ようとした・・・これが1980年代以降の先進国の姿です。国債の大量発行も、ベースマネーの供給という意味で、これに一役買います。

一見すると、国債の大量発行で、人々の「結果の平等」が保たたれ、金融で儲ける事も出来るのだからウィン・ウィンの関係に見えます。

 

■ 金融崩壊で「結果の平等」の維持は完全に行き詰まる ■

1980年代以降、社会主義に勝利したかに見えた「民主主義」ですが、政権基盤である「国民の満足=結果の平等」を支えていたのは、「通貨の大量発行」と「金融」という生産を伴わない経済の拡大でした。

これを支えていたのは、新興国や途上国の安い労働力と、安い資源でした。生産力の落ちた民主主義国家は、実体の伴わないお金を使って、貿易赤字を補填していたのです。この最たる例がイギリスです。

しかし、お金がお金を生む様な「ネズミ講」はいつかは行き詰まります。まさに、現在がネズミ講の限界だと私は考えています。

先進国は「ネズミ講」が崩れると、国民の結果の平等を担保する事が出来なくなります。「金融」によって国民を支えるだけの利益を得られなくなるからです。金融崩壊が通貨の信用問題に発展すると、インフレ率が急上昇します。大量に国債発行をしている国々では財政が維持出来なくなり、社会主義諸国の末期と同様に、国民生活が崩壊し、そして既存の政治システムが崩壊します。

ダボス会議は「民主主義を改革する」とカッコイイ事を言っていますが、冷静に考えれば「ソフトな社会主義を維持出来なくなった」だけとも言えます。「グレートリセット」によって「民主主義を壊す」のでは無く、「結果の平等を追い求めた民主主義が自壊」するのです。これはマルクスの予言でもあります。

 

本日はリハビリ的な記事なので、妄想はこの辺で・・・。

 

<追記>

「民主主義」と「資本主義」は同一に語られがちですが、「民主主義」は国民を国家に動員する方便で、現在の先進各国の本質は資本によって誰かの富を略奪する「資本主義」です。

マルクスは「資本主義は自壊する」と予言していますが、今後起こる事は「資本主義の自壊」によって「民主主義の幻想が崩壊」する現象です。西側諸国の人々が神の様に崇めていた「民主主義の幻想」が崩れた後、人々を国家に縛り付ける新たなシステムが必要になります。そこら辺を次回は妄想したいと思います。