■ ウクライナのネオナチ ■
日本の報道は全く日本人に伝えてはいませんが、ウクライナの新政権の中にはネオナチが3人入っています。ネオナチとは
ヨーロッパにおける過激な保守主義者の一派で、ドイツの貧しい若者達が労働市場で競合する移民を排斥する際にナチスドイツのスタイルを真似たものがオリジナルです。
ネオナチがナチスと称される理由は
極端な自国至上主義と、そのスタイルがナチスを模倣している為で、ユダヤ人排斥を標榜している訳では無い事に注意が必要です。
かつてのドイツのネオナチが排斥したのはトルコ人を始めとする移民労働者であり、現在のウクライナのネオナチが排斥しているのはロシア人です。
ここで注意が必要なのは、ヨーロッパの極右と呼ばれる保守勢力には、フランスのルペンを筆頭にした「愛国的な右翼」と、ネオナチの様な「暴力的な右翼」が存在する点です。ルペンらが批判するのは過度なグローバリズムやアメリカの一国主義です。彼らは中央銀行制やIMF体制も含めて現在の世界システムの問題点を攻撃しています。世界の利益よりもフランス国民の利益を優先すべきであるという立場です。
一方、ネオナチは「オレ達が貧乏なのはアイツラが悪い」という短絡的思考によって、同じ貧者である所の移民や異民族を排斥し、あるいは近隣諸国を敵視します。
■ ネオナチ勢力「自由」(スヴォボーダ) ■
ネオナチを支持するのは貧しい若者達です。定職に付けない貧しい若者達が、不満を鬱積させそのはけ口としているのです。ウクライナも独立以降経済状況は芳しく無く、ロシアの支援でどうにか国家が運営されていました。当然、若年失業率も高く、ネオナチが浸透するには格好の状況が揃っていました。
ウクライナのネオナチは「自由」(スヴォボーダ)という政党を結成して議会にも勢力を拡大して行きます。2010年の選挙で敗れたティモシェンコはスヴォボーダと野合連合を結成します。
■ ウクライナの暴動を煽ったネオナチ ■
欧米メディア、特に日本のメディアではウクライナの暴動はヤヌコビッチ政権に反対する市民が決起したと伝えられています。
ところが、その市民達の中には上の写真の様なスヴォボーダの若者達が多く混じっており、武装して警官を襲ったりしていました。こはは、最早市民では無くテロリストに近い。
そして西側諸国の情報機関はネオナチを支援していたと言われています。
■ 革命という名の暴力 ■
一方、ロシアを後ろ盾にしたヤヌコビッチ政権もロシアからの支援資金に群がるハイエナとなっていました。しかし、民主主義が機能している限り、議会で多数を取らなければヤヌコビッチ政権を倒す事は出来ません。
そこで、民主主義の手続きを逸脱する方法として、「市民の暴力」という手段が用いられます。「市民の暴力」は、ある時は「暴動」や「テロ」と言う名で非難され、ある時は「革命」や「市民蜂起」として持ち上げられます。
シリアなどでは、明らかな「テロ行為」が「反政府運動」として美化されます。同様にウクライナでも、西側諸国に都合の良い暴力行為が「革命」として美化されています。
正義とは相対的なものですから、親ロの前政権も、親欧米の現政権のどちらが正しいとは言えないのですが、日本を始めとする欧米のメディアは現政権を持ち上げ、前政権を批判します。そして現政権の中にあるネオナチ勢力に言及する事はありません。
■ ネトウヨと呼ばれる日本のネオナチ ■
貧しい若者が自国至上主義に傾くのは日本も例外ではありあません。日本では「ネトウヨ」と呼ばれる人達が、日夜ネットを通じて韓国や中国や在日に対するヘイトトークを繰り広げています。
「自分達が貧しいのは韓国や中国が悪いのだ」「政権やメディアに浸透した在日勢力が日本人の利益を損なっている」と彼らは主張します。
ただ、平和ボケした日本の「ネトウヨ」はネオナチの様な暴力行為に出る事はありません。部屋に引き籠って、PCに向かってひたすら怨嗟の声を書き込みます。
■ 日本のおける「新しい保守」の台頭 ■
「ネトウヨ」を生み出したのは2000年頃から盛んになった「新しい保守」の台頭では無いでしょうか?
私自身も小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」の第一話を雑誌「SPA!」で読んだ世代ですがゴー宣の一話目は確か屋外にあるトイレに真夜中に行く子供の頃の思い出だったと記憶しています。(間違っていたらゴメンナサイ)それ連載を重ねるうちに、だんだんと思想的な内要に変わって行きました。妙な説得力があって、私も「学校で習て来た事はウソだったんだ!!」というショックを受けました。それからは、しばらく「SAPIO]なども愛読していました。
「新しい保守」の台頭は東西冷戦の終結によって生まれたと私は考えています。
自由主義と社会主義と言うイデオロギーの対立は冷戦終結で自由主義が勝利しました。日本のメディアは社会主義的思想を持つ人達が牛耳っていましたが、ソ連の崩壊によって彼らの主張は急に色あせて見えました。アメリカの一国覇権とバブル後の日本の不調によって、戦後左翼の主張が「お花畑」的な絵空事の様に感じられる様になります。
ただ、骨の髄まで戦後左翼に洗脳された私達は、急に「アメリカ大好き」と言う訳にも行かず、その様な思想難民が流れ着いたのが「新保守主義」だったのでは無いでしょうか。
「新しい保守」は
「戦後のアメリカから植えつけられた価値観の否定」からスタートします。彼らは社会主義という思想的支えを失って
「本当の日本をさがす旅」に出たのです。そして見つけたユートピアが、
「天皇を中心に清い志の日本人が一生懸命努力して国家を支えていた戦前の日本」だったのではないでしょうか?
戦後の歴史観を
「自虐史」として封印し、戦前からの流れの中で現代の日本の姿とあり方を彼らは模索します。そして、多くの「新しい保守」の人達が心のよりどころとしたのが、日本が世界デビューした明治維新です。
「今こそ日本人は戦後の自虐史と別れを告げて、日本本来の伝統に根差した社会や政治を目指すべきだ」というのが彼らの思想です。
■ 明治の天皇制は伝統では無く、西洋のシステムの模倣だ ■
ところが「新しい保守」の人達は根本的な所で大きな過ちを犯しています。
明治以降の天皇制を「日本の伝統」と解釈してしまったのです。
明治維新で開国した日本は、西洋に遅れる事200年で近代国民国家の創設を目指します。それまで、日本人の国の概念は大名が治めるる「国」でしか無く、徳川幕府は国の集合体を調整する軍事同盟の様なものでした。
それを「日本」という一つの中央集権国家に作り替える為には、「象徴」が必要でした。そこで担ぎ出されたのが「天皇」だったのです。
本来日本の天皇は「祭祀王」として「国王」とは異質の存在です。国家の安然を祈願するシャーマンである天皇は、実質的権力を持つ国王とは別の存在でした。実質的権力とは「軍隊の統率権」と言い換える事が出来ます。
西洋においても国民国家の成立と国王の関係は微妙です。従来国王と家臣団や騎士達の関係は個人的契約でした。封建時代の軍とは市民の集団では無く、国王と契約を交えた武装集団あるいは金で雇われた傭兵でした。この時代の戦闘は小規模なもので軍隊の人数も少数です。一般の人達は戦闘に巻き込まれる事はあっても、進んで武器を手にして戦う事はありませんでした。これは、江戸時代までの日本も同様で、戦闘は武士階級が担いました。ですから、戦闘集団の大多数が忠誠を誓う国王や将軍が武力を背景に国家を支配していました。
ところが、市民革命によって国家の主権が国民に移ると、軍隊を支えるもの国民になります。国民は自分達の利益を守る為に、積極的に戦うようになるのです。この時点で国家の最高権力者は国王から議会に移ります。イギリスでは権力移譲が緩やかに行われ、「象徴としての王」は残りましたが、フランスでは国王は断頭台の露となりました。
しかし、フランスは市民革命の拡散を恐れる周辺諸国との戦いにおいて国家を纏める象徴が必要になります。結局、ナポレオンがその任を担い、一度否定された皇帝の座に就く事になります。しかし、彼もコルシカ島に流されるなど、最早「王」や「皇帝」の権力は絶対的なものでは無くなりました。
「王」を失った近代国民国家は何を中心に国家としてのまとまりを保っていたのでしょうか?西洋においてはキリスト教がその役割を担いました。近代国家においては宗教と政治は明確に区別されていますが、アメリカ大統領の宣誓が聖書に手を置いて成される様に、キリスト教は国家の倫理の規範として、近代市民国家を支配しているとも言えます。だからこそ、「キリスト教VSイスラム教」という時代錯誤の十字軍がイラクを攻撃してもアメリカ国民は熱狂するのです。
明治維新の日本には「人と神との契約に基づく宗教」が存在しませんでした。従来の「神道」は自然崇拝であって教義や経典すらありません。仏教は徳川幕府によって戸籍管理的には使われていましたが、人々を契約関係で縛る教義を持っていません。仏様は悪人でも勝手に救ってくれるのです。
そこで明治政府は西洋のキリスト教の代わりに、「国家神道」を創造します。神世の時代から続く血筋の正当性と、儒教的な家父長制を国家レベルに拡大してその頂点に天皇を置く事で、日本独自の「国民宗教」を作り出したのです。
特に主従関係を明確にする儒教思想は江戸時代にも幕府のシステム維持に導入されていたので、明治維新の日本は比較的速やかに「国家神道」に順応します。人々は「天皇」を神として契約を結び、「天皇」の為に命を掛けて戦う事を教育されて行きます。
このシステムを現在でも用いているのが北朝鮮です。北朝鮮の国家主席を「父」とする主体(チェチェ)思想は、儒教を基本にしており、戦前の時代の天皇制に酷似しています。
話が長くなりましたが、「新しい保守」の人々が拠り所とした「天皇制」や「日本の伝統」の多くが明治維新に作られ西洋のシステムの模倣ですが、彼らはそれを「日本古来の伝統」とそて祭り上げてしまったのです。
■ 「新しい保守」が生み出した「ネトウヨ」という鬼子 ■
バブル崩壊以降、日本はそれまでの西洋の模倣では最早成長出来ない事に人々は薄々気づき始めました。
一方で韓国や中国の成長に危機感を抱きます。自分達がかつて通って来た道のりを辿って、韓国や中国が日本を追い抜くのでは無いかという恐怖です。
そういった若者達にとって「新しい保守」の提唱する「日本は本当は素晴らしい国だ」という言葉は救いでした。「今はパっとしないオレだけど、本当はデキるヤツなんだ・・・」そう錯覚させるのです。
一方で、「新しい保守」の「戦後自虐史の否定」は韓国や中国からの強い反発を受けます。「新しい保守」の方の多くは、史実に基づいて反論を試みますが、韓国や中国は感情的な攻撃を繰り返します。
これに過敏に反応してしまったのが「新しい保守」に傾倒した若者達です。そして、社会的な抑圧感が高まっていた中高年もこれに同調し始めます。
こうして、「新しい保守」の撒いた「自虐史からの脱却」という種は、日中韓の間でワダカマリの芽を少しずつ育てて行きます。
■ 見え隠れする世界経営者建の影 ■
石原元都知事の尖閣都有化発言当たりから、日本の右傾化と中韓の反日は世界経営者達に利用される様になったと私は考えています。
元々、韓国の商業的な反日活動家や日本の右翼に資金提供をしているのはCIAだとも言われています。地政学的に日本と中韓の結束を嫌うアメリカらしいやり方とも言えます。(妄想)
ウクライナの情勢は日本にとって全く関係の無い事の様に見えますが、国民の保守的感情を地政学的に利用する点においては非常に似ている気がします。
■ 新冷戦構造 ■
電車の吊り広告や、駅売りの日刊紙の見出しに、中国や韓国を非難する勇ましい見出しが目に付く様になりました。先日まで韓流スターを持ち上げていた雑誌などが、手の平を返したように中韓批判に転じる事に私は違和感を覚えています。戦前の新聞あどが国民を煽動していった様と重なる気がしてならないのです。
ネトウヨ言論とメディアが影響し合いながら中韓への非難を強めれば強める程、中国も韓国も過剰な反応で応戦します。こうして極東アジアの情勢は修復不可能な状態になるのでしょうか・・・。
世界は「新しい冷戦構造」を大急ぎで準備している様に思えて仕方が無いのです。では何故、「新しい冷戦構造」が必要なのでしょうか?
戦争は往々にして経済の失敗を誤魔化す為に始まります。いえ、ほとんどの戦争の原因が経済の失敗によるものだと言っても過言ではありません。
一方で、現在の世界で大国同士が本当に戦争をしたら人類は滅亡します。そこで、大国が保有する核兵器の充分過ぎる破壊力が現代の戦争を抑止しています。こうして、大国同士が敵対しても戦争が出来ないシステムが「冷戦構造」です。
世界が経済運営に失敗して戦争状態を欲しても、実際の戦争は発生せずに緊張状態だけが永続する状況・・・・こんな未来をついつい想像してしまうウクライナや極東アジアの最近の情勢です。そして抑圧された国民のルサンチマンが利用されている様に感じるのは私だけでしょうか?
■ 「ネトウヨ」と「陰謀論」の共通性と違い ■
本日は「新冷戦構造」という妄想を垂れ流してみました。
己の努力の欠如を社会に責任転嫁する方法としては、「ネトウヨ」も「陰謀論」も大した差はありません。「ネトウヨ」が攻撃によって自尊心を保つ方法ならば、「陰謀論」は諦めによって自尊心を保つ方法とも言えます。
ただ、「陰謀論」は傍観者であろうとする事によって、戦争を引き起こす様な自虐行為を回避する手段だと私は考えています。かつて国民が中心になって戦争を呼び込んだ過ちを繰り返さない為にも、明治維新以降の日本と世界の関係について、陰謀論的に眺める事は無駄では無いと考えています。