■ これ程再読に耐える漫画は珍しい ■
世の中の漫画は、たいがい一度読めば内容が理解出来ます。
しかし、中には何回も読まなければ分からない様な作品もあります。その様な作品の多くが、、セリフの言外を推測しなければならないなど、表現様式が難関なのに対して、
たがみよしひさの
『化石(いし)の記憶』は、その内容において難解とされる作品です。
タイムトラベルを扱ったSF作品ですが、エンタテーメントとして、素晴しいクオリティーを維持しながらも、タイムトラベルの構造の重層性において、一読で理解するのが難しい作品です。
しかし逆に言えば、これだけ再読に耐える漫画も珍しいと思います。
確かに現代の「主観概念的世界観」というSFの潮流からすれば、タイムとラベルだとか、恐竜などという設定は古さを感じずにはいられません。しかし、だからと言って、この作品に込められたSF的トリックの面白さが、決してあせる事は決してありません。
私は敢えて言いたい。
日本のSF漫画の中で、一番面白いのは、『化石(いし)の記憶』だと!!
■ スタイリッシュな『軽井沢シンドローム』のノリのガチのハードSF ■
たかみよしひさと言えば真っ先に『軽井沢シンドローム』を思い出します。
二頭身の若い男女達が、延々にイチャコラする漫画ですが、時々絵柄がリアルになる瞬間があります。その時の描写やセリフは、とてもクールでナイフの様に鋭い。
捉えどころの無い作品でしたが、「ミニタリーオタク臭」もプンプンして、まさに、「ごった煮文化」の80年代を象徴する様な作品でした。
この『軽井沢シンドローム』のスタイリッシュでシリアスな描写で、タイムとラベルSFにチャレンジしたのが『化石(いし)の記憶』です。
■ 「ぬし」と呼ばれる巨大生物 ■
美袋(みなぎ)竜一は、無職のオタク。
下宿には所狭しとモデルガンやフィギアが並べられています。
しかし、竜一は、男前でモテる。
女とは何故か関係が出来てしまう・・・それが女子中学生でも・・・。
そんな、いい加減を絵に描いた様な竜一は、ある日のニュースに目を止めます。
彼の田舎の赤森で、熊らしきケモノが出没したというニュースです。
彼は「
ぬしが覚醒(おき)たのか」と呟きます。
彼は、彼の部屋に入り浸る女性中学生とのセックスのビデオをネタに、
会社の重役の彼女の父親を脅迫します。
「300万よこせ」と・・・。
ダメ人間を絵に描いた様な竜一ですが、
彼は手にした金でモデルガン屋に実弾を注文します。
そして、故郷の縞(しま)へと彼は向います。
縞には1000年以上前から「ぬし」と呼ばれるケモノが出没します。
「ぬし」は村の家畜を襲うだけで無く、民家に侵入して人をも襲います。
その現場は凄惨を極め、人は原型を留めない程に喰い散らかされてています。
「ぬし」の正体を巨大な熊だと考える人が多いのも頷けます。
同じ頃、縞に一人の大学の研究者が来ています。
本庄哲也は古生物学の研究をしていますが、
彼は縞の赤森(あかのもり)から恐竜の化石が出ると信じています。
縞の地層の年代(白亜紀末期)、日本列島は海底に沈んでいました。
ところが、縞からは陸上恐竜の化石が出ると、本庄は信じています。
それは、以前、縞から出土した陸上恐竜の化石が縞の旧家に伝わっていたからです。
今では火事で所在の分からくなった、この化石を根拠に、
本庄は日本の学界を覆す様な発掘を夢見ているのです。
旅館から散策に出た竜一は、発掘中の本庄と出会います。
お互いに軽く自己紹介を済ませた時、本庄は化石らしきものを発見します。
それは、明らかに人間の頭部の化石に見えるものでした。
それも、ホモサピエンスの・・・・。
白亜紀の地層から、ホモサピエンスの化石が出る事は絶対に在り得ません。
しかし、それは明らかに目の前に存在する・・・・。
本庄はその化石を持って、東京の研究室に急遽戻ります。
■ 「ぬし」を母親の敵と狙う竜一 ■
竜一は「ぬし」に母親を食べられています。
父親は縞の赤森に、本庄の父親と調査に入り、消息を断っています。
本来なら、名家の長男として何不自由なく育つはずであった竜一は、
両親を失った後は、北海道の施設で中学生まで育ちます。
彼は、彼の人生を一変させてしまった「ぬし」に根源的な敵意を抱いています。
竜一は「ぬし」を敵として殺そうと、赤森にやって来たのです。
「ぬし」は何十年か周期で現れ、そして消えてしまいます。
調査を進める過程で竜一はとうとう「ぬし」と遭遇します。
ところが、彼が遭遇したのは・・・何と小型の肉食恐竜。
彼が襲われたのは、小型のディのニクスですが、
近辺には大型恐竜の痕跡もあり、どうやら「ぬし」は一匹では無い様です。
現実とは思えない事態に、竜一は戸惑います。
それでも、彼の「ぬし」への敵意は消える事はありません。
■ 赤森の伝承に伝わる「竜哭」 ■
縞には「ぬし」の他に「竜哭」という伝承があります。
戦国時代、村上一族の長、村上逸馬は、
時谷貞光の持つ、雷を呼び、雨を降らせるという「竜哭」を手に入れる為、
時谷に攻め入ります。
「竜哭」を手に、逃げる時谷貞光は、いつしか赤い竜に姿を変え天に昇ったと伝わります。
「竜哭」は時谷の埋蔵金とも、或いは古美術的価値のあるものとも噂されます。
この「竜哭」争奪を巡り、いくつかの勢力が暗躍しています。
竜一の中学生のセフレの父親も「竜哭」を追う一人です。
そして、本庄の恋敵の大手研究機関の小室もそれを追う一人です。
さらには、政界の大物や、大銀行の頭取まで絡んで、
「竜哭」を追う勢力同士が、お互いを潰し合います。
敵ばかりでは無く、見方をも裏切る壮絶な戦いが繰り広げられます。
「竜哭」の正体どころか存在すらも知らない企業の社員達が、
争いに巻き込まれて、次々と命を落としていきます。
■ 運命に翻弄される様に赤森に引き寄せられる人々 ■
一方、東京に戻った本庄を、研究室の教授は相手にしません。
「理解不能な事には手を出さない」と言い切ります。
本庄は仕方なく縞に戻りますが、発掘中に消息を断ちます。
一方、東京の研究室では発掘された人骨化石に肉付けして復元を試みます。
そして、復元された人物の顔を見て人々は驚愕します。
そこには、本庄の顔があったからです。
恐竜と人骨化石と、伝承の「竜哭」を求めて、多くの人達が縞に集まって来ます。
竜一を追う刑事、研究所の研究員、大学の研究班、暴走族。
それぞれが、それぞれの目的を持って縞を目指しますが、
その目的とは、「竜哭」を手に入れる事。
「竜哭」には、何か重大な秘密が隠されているのです。
そして、縞に集う人々は、何らかの形で縞と繋がりがある事も分かって来ます。
これが偶然なのか、それとも「竜哭」が人々を引き寄せているのか・・・。
人々は逃げる事の出来ない運命にからめ取られ、
そこから逃げる事が出来ない無力さ翻弄されます。
「竜哭」とは何か、何故、恐竜が現れるのか?
そして、本庄の化石が何故、白亜紀の赤森の地層から出土したのか・・・
多くの謎を残しながら、人々は「竜哭」に導かれるかのごとく集まり、そして・・・。
これ程多くの人達が、複雑に関係しながらも、
一つの焦点に見事(強引)に収束してゆく作品を私は他には知りません。
一人として部外者は存在しないのです。
これは、ご都合主義にも思えます。
しかし、人々がそこに集う事自体が目的なので、妙に納得させられてしまいます。
そして、それぞれの人物に用意された事件の結末は、どれも意外でショッキングです。
イヤー、文章で書いても何だか分かりませんね。
これは、読むしか無い。
それも、何回か読まないと、正確には理解出来ません。
■ 日本SFの名作 ■
あまり世間では話題にならない作品ですが、
私はこの作品は『ジュラシックパーク』にも勝るとも劣らない名作だと思っています。
マイケル・クライントンの『ジュラシックパーク』は最新の生命工学を駆使したお伽噺ですが、
『化石の記憶』は、タイムパラドクスを駆使した御伽話です。
同じ恐竜をテーマにした作品ながら、全く志向の異なる作品ですが
どちらもSF的なアイデアの宝庫と言えます。
ちなみに『化石の記憶』が発表されたのは『ジュラシックパーク』の5年前の1985年。
謎の生物や恐竜、タイムとラベルや宇宙人(?)。
歴史の伝承と、人々の因果・・・・。
タイムマシンというアイテムをこれ程、活用した話を私は他に知りません。
あるとすれば『涼宮ハルヒ』シリーズくらいでしょう。
今でも文庫版は手に入ると思います。
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