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経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

保護主義と自由主義・・・TPPと世界の潮流

2011-10-31 07:57:00 | 時事/金融危機
 


■ TPPって何? ■

TPP論議が盛んになってきました。

色々と難しい数字が飛び交っているので、
小学生でも分かる様に単純化してみます。

TPPには二つの柱があります。

1) 関税の撤廃
2) 非関税障壁の撤廃


いつもながら、ちょっと極端な比較をしてみます。

<輸入関税>、

A) 現在日本車をアメリカに輸出する時の関税は2.5%です。
B) 日本のコメの関税は700%程度です
C) 車は日本に主要輸出品目で、農産物はアメリカの主要輸出品目です

さて、アメリカ人は日本人をフェアーだと思うでしょうか?

<非関税障壁>

A) フィリピン人の看護婦は世界で人気がある
B) フィリピン人看護婦は日本語の看護婦資格試験を受けなければ日本で働けない
C) 日本語は難しい

フィピン人看護婦にとって、日本語こそが最大の非関税障壁です。

このように、国際貿易やサービスの取引には様々な障壁が邪魔をしています。
この障壁をなるべく無くして、貿易を自由化しようという試みが、
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)です。

■ 先進国における自由化は失業率を上昇させる ■

自由貿易が完全に実施された世界を想定してみます。

1) 関税がゼロになる
2) 工業製品の規格・基準が統一される
3) 農産物の安全基準が統一される
4) 医薬品の基準が統一される
5) 医師免許や看護婦免許、弁護士資格などが統一される
6) 外国人に雇用が開放される
7) 外国にとって不利益な法律や商習慣による損害を賠償させる事が出来る
8) 日本語が非関税障壁だから日本の公用語は英語にすべきだ・・って事にはならないでしょうが

自由な貿易を阻害する障壁が無くなった場合、
補助金などの制度が存在しなければ、
一定の品質を、最も安く作れる国が、その商品の生産国になります。

例えば、アメリカが日本の1/7の価格でコメを生産できるのならば、
消費者が「日本産」に拘らなければ、コメの生産はアメリカで行われる様になります。

例えば、フィリピンの看護婦が、国際看護師資格(存在すれば)で日本で働けるならば、
病院や患者が「日本人」に拘らなければ、看護師という職業はフィリピン人に置き換わってゆきます。

逆に、アメリカが車の生産に関する部品のアメリカ国内での生産比率に関する法律を撤廃すれば、
人件費の高いアメリカで自動車は作られなくなるでしょう。

これらの流れに逆らう為には、国内の生産コストや人件費を
最も安い地域に揃える必要があります。
これは「同一労働、同一賃金」という現象で、
グローバリゼーションの本質とも言えます。


「自由化=生産の効率化」ですから、
その結果として生産コストが下がるのは当然です。
「生産コスト=人件費」と強引に定義するならば、
先進国では「自由化=賃金の低下」となって表れます。
あるいは、「自由化=失業率の上昇」です。

■ アメリカの本質は途上国? ■

TPPに参加する多くの国が新興国です。
先進国のアメリカがTPPに参加すると、
アメリカの失業率が上昇する可能性もあります。

しかしアメリカの主要輸出品目は、農産物と兵器と航空機と金融サービスです。

TPPによる関税の撤廃は、アメリカの日本向け農業輸出を増大させます。
その意味において、アメリカはTPPの他の国と同様に、途上国としての一面を有しています。

■ 日本の米は輸入米に淘汰されるのか ■

池田信夫氏は、GDPの1.5%しか無い農業を保護して、
日本経済が自由化の波に乗り遅れる損失は計り知れず大きいと警告します。

日本の農業の自給率が低いのは、カロリーベースだからであって、
牛肉や牛乳も輸入飼料で生産されれば、輸入品にカウントされるとも指摘しています。

尤も、海外から安い牛肉や乳製品が輸入されれば、
日本の畜産業の受けるダメージは小さくはありません。

しかし最大の問題点は「米」です。
現在でもミニマム・アクセスという名目で、
アメリカ産米は輸入されていますが、少量に留まっています。
これがTPPによって価格差5倍以上の米がスーパーの店頭に並んだら、
日本の消費者は果たして、国産米を選択するでしょうか?

米の輸入が自由化されたとして、
それによて淘汰されるのは、「不味い日本産の米」です。
ブランド米は生き残れても、
等級の低い米や、ブランド力の低い米は太刀打ち出来ません。

外食産業なども、コシヒカリであるならば、国産か米国産は問わないでしょう。
安い輸入米にシフトする事は容易に予想できます。

■ 日本の中の途上国 ■

経営規模が小さく、品質管理も充分でない稲作農家は、
自給米以外の生産を止めざるを得ないでしょう。

当然休耕田が増え、山間などの不便な所は耕作が放棄されます。
将来的に渡って、採算が合わない農地は、売りに出される可能性があります。

TPPによって日本に新たに生まれた失業者はどうなるのでしょうか?
このままでは日本は生活保護大国になってしまいますが、
国家の財政状況はそれを許しません。

結局、生きる為には二つの道が残されます。

都会で安い賃金で働いて、安い輸入食材で生活する。
これが池田氏の主張する所の、TPPが国民に与えるメリットでしょう。

もう一つの選択肢は、耕作放棄された土地を買うなり、借りるなりして、
自給型農業で生計を立てる方法です。
現金収入はほとんど無いでしょうから、
ベーシックインカムの様な、最低の生活費の保証は必要ですが、
年金の受給年齢がどんどん高齢化する実態を考慮すれば、
これは一つの選択肢とります。

いずれにしても、TPPは労働賃金の均質化を発生させるので、
日本の中に、途上国が生まれる事になり、
それを不幸と捉えるか、それとも幸福の一つの形態として捉えるかで、
TPPに対する評価も大きく変わる事でしょう。

田舎で慎ましく暮らし、
年を取ったら、外人の可愛い看護婦さん目当てに病院に通う・・・
そんな未来も悪くないのかも知れません。



・・・いつもながら、不謹慎な妄想が膨らんでしまいました・・・。

面白いじゃなイカ・・・「イカ娘」に見る笑いの原点

2011-10-29 03:41:00 | アニメ
 



■ 「ど根性ガエル」を覚えていますか? ■

ある日一人の少年が原っぱで小石につまずいて転んだら、
下敷きになったカエルがシャツに張り付いちゃった・・・。
「そんあの、あり?」と思わず突っ込みたくなる様な
「ど根性ガエル」というマンガ(アニメ)が昔ありました。

設定らしい設定はそれくらいで、
シャツに張り付いて離れない、「平面ガエル」の「ぴょん吉」と、
中学生の「ひろし」のドタバタした日常がひたすら続くこのマンガは
当時(1970年代前半)の子供達には結構人気がありありました。

今思い出そうとしても、「ゴリライモ」とか「梅さん」とか
キャラクターの断片しか思い出せないのですが、
当時小学生だった私は、「ぴょん吉」と「ひろし」の掛け合いが好きで
結構楽しんで見ていました。(夕方の再放送かな?)

当時の「ギャグマンガ(アニメ)」はとにかく単純なものが多かった。
世界設定は「どっかの、普通の町」
登場人物は、少年とその周辺の10人くらいの「普通の人」
起こる事件と言えば、誰かな何かを無くしたとか、
誰かの勘違いでイザコザが起きたとか、そんな事くらい。
「ど根性ガエル」なんて「ヨシ子」先生に思いを寄せる
「梅さん」の話だけで、引っ張る、引っ張る・・・。
ほとんど、これがメインストーリーかってくらい・・・。

赤塚不二夫の「天才バカボン」や、
藤子不二雄の「ドラえもん」と比べるまでも無く、
明らかにB級ギャグ漫画の「ど根性ガエル」は、
しかし、一方で、今でも同年代の酒の肴になるくらい
印象の深い作品でした。

シャツの中の「平面ガエル」が「しゃべって、動く」
もう、そのインパクトだけで全てOK。

■ 設定は単純な方が良い ■

チャンピオンで連載され、
TVアニメの2期目に突入した「イカ娘」というアニメをご存知でしょうか?
(大の大人が知ってたら、むしろコワイかも・・・)

多分、最近のアニメの中では「タイガー&バニー」同様、
全然期待されていなかったのに、
何故か大人気になってしまった作品です。

海から来た「イカ娘」が、
海を汚す人類を「侵略」する為に浜辺に現れ、
「海の家」レモンで何故か働くハメに・・・。
・・・・これだけ・・・。

しかし、たった「これだけの話」が、面白くて面白くて・・。
「イカ娘」が語尾に付ける「~じゃなイカー?」とか、
「~ゲソ」なんて言い回しは、
頭に一度こびり付いたら、もう二度と離れません。
もう、イカの吸盤状態。

「ど根性ガエル」同様、「イカ娘」のキャラと、
単純でシンプルな設定故に、
作品はどんな無理のある設定も許容し、
さらにそれを、力強いギャグの連打に代えてしまいます。

「おいおい、それは無いんじゃなイカー!」って、思わず突っ込みを入れる面白さ。

■ 武器は触手、目的は人類の侵略 ■

ある日海の底から浜辺に現れた白いワンピースの少女の目的は「地上の侵略」。
彼女の髪は、10本の触手。
頭に被る帽子に見えるのは、イカの耳(?)。

「許さないでゲソ、
 許すまじ人類。
 私はお前たちの腐った地上を侵略してやるでゲソ」

海の底に響く怪しい声で始まるアニメ版第一期は、
その直後に「侵略、侵略、侵略、侵略・・・」で始まる、
あまりにもキャッチーでチープなオープニングに突入して、ビックリ!!

美人の姉、千鶴(ちずる)と、活発な妹の栄子が切り盛りする海の家「れもん」は、
海水浴客で繁盛しています。
と、その時、テーブルの上に仁王立ちするフトドキモノが出現。

「人類よ、良く聞け!
 今からこの家を人類侵略の拠点にさせて頂くでゲソ!
 フ・・恐怖で言葉が出ない様でゲソねぇ。
 心配しないでも、お主達を殺したりはしないでゲソ。
 雑用係として、こき使ってやるでゲソ。」

「ハイ、ハイ・・・そこまで。」
 栄子に店の裏に連れ出されるイカ娘。

「何なんでゲソ、私を何処に連れて行くでゲソ?」

「一つ聞くが、そのコスプレは何だ?」

「そう言えば自己紹介が未だだったでゲソ。
 私は海からの使者、イカ娘でゲソ!!」

凄い、ったった30秒で掴みはばっちり。
その後、何故か店を手伝うハメになったイカ娘。

「たった30人の客もさばけないのに、
 人類なんて侵略出来ると思ってるのか?
 侵略ってゆうのはつまり、
 64億人の人間をオマエ一人で支配するってことだ!」

「ワアアア・・・」

「何人だと思ってたんだよ・・・」

「千人くらいだと思ってたでゲソ・・」

「千人ならどうにかなると思ってたのかよ・・・」

万事この調子で話しは強引に展開して行きます。

壮大な野望を抱く、純粋で人の良いイカ娘は、
日常という超えがたい壁にぶつかり
海の家「レモン」で働きながら、
何故だかすっかり地上に馴染んでゆきます。

■ ハートウォーミングな抱腹絶倒 ■
 
イカ娘の笑いのツボは、「真剣な者の滑稽さ」にあります。

イカ娘を温かく見守る周囲に対して、
イカ娘はあくまでも真剣です。
子供を手なずけたり、店の占拠を敢行したり・・・。

彼女はかなり論理的に侵略を敢行しますが、
いつも人情の前に敗北します。

イカ娘の視点で見る日常の風景は、
どれも新鮮できら輝いて見えます。

今時の小学生よりも純真なイカ娘の目を通して、
私達は日常を再体験してゆきます。
ちょっとした心遣いに感動し、
ちょっとした社会の欺瞞に憤慨しまs。

私達が当たり前と思っていた世界は、
意外に面白く、突っ込み所満載で、
そして、人の情は思っていたよるずっと篤いのです。

そして日常を、真剣に生きるイカ娘は、
日常のもう一つの側面であるゴマカシの壁に阻まれ、
その時に笑いが生まれます。

私達が、日々を生きるという事は、辛い様に思えますが、
意外と傍目には滑稽に見えたりするのでしょう。
そして、そろそろ助け船でも出してやろうか・・・
そんな気を起こさせるのでしょうか。

色々と思う所の多い世の中ですが、
イカ娘を見ていると、
「世界は捨てたもんじゃないじゃなイカー!」
そう思えて来るから不思議。

是非、ご家族で、思いっきり笑って下さい。

 



これは分かりやすい!!・・・放射線は健康に良い!(3)

2011-10-27 15:36:00 | 福島原発事故
 

鍛冶屋さんから素晴らしい情報を頂きました。
私の書き起こしなどよりも、
とても詳しく、データも掲載されています。

http://nangoku851.at.webry.info/201108/article_22.html

是非皆さん、ご一読を。

・・・あまり浮かれていると、
またガツンと怒られそうなので、
次回からは、何故癌になるのか考えてみたいと思います。

「放射線は健康に良い」・・・世紀の大発見(その2)

2011-10-27 02:02:00 | 福島原発事故
 

■ ワシントンで大反響を起こした電力中央研究所の研究 ■

服部氏は単身、アメリカに渡り、講演を行いました。
質疑応答は、全て賛辞の言葉でした。
 「今日は感動した」
 「こんな、面白い話は知らなかった」
 「全部DNAが刺激を受けたんだ。
  一番安い放射線のX線で居眠りDNAが目覚めたんだ。
  その証拠をこの様に見事に、
  膜の透過性であれ、ホルモンであれ、
  こんなに面白い話にしてくれたのは、日本にお礼を言う」

最後に身長2mの巨大な女性が出てきました。
 「2枚目のスライドをこちらに、
  7枚目のスライドをこちらに・・・」
 「自分はNISの研究企画の統括部長をしている。
  NISはこんな研究をしていない。
  服部は医学の専門家では無い。説明から分かった。
  我々は世界トップの医学者である事を自任している。
  NIHはこの研究をしていない。
  こんなアメリカに誰がしたんだ!」
彼女は大演説を繰り広げたのでした。

会場の後方では立ち上がって
 「プレスを呼べ!!」
と大騒ぎになりました。

座長は服部氏に言います。
 「ワシントン・ポストなら呼べば3分で来るが、どうするか?」
服部氏は即座に答えます
 「ノー!ネバー!!」

日本を出る際に服部氏は研究者集団から警告されていました。
 「派手な行動は慎んで下さい。
  研究が出来なくなります。」

■ マイロン・ポリコムが研究を主導する ■

翌年、1993年服部は再びアメリカに呼ばれます。
今度は、カリフォルニア大学、バークレイ校の招聘でした。

その夜、服部氏の宿泊するホテルでマイロン・ポリコムが講演をしました。
彼はゲノム(DNA研究)の世界第一人者で、
カリフォルニア大学医学部の宝でした。

その夜のマイロン・ポリコムの講演は、
服部氏の話しを元にして、DNAの世界がいかに凄いかという話しでした。
寝ているDNAを放射線が起こして、如何に仕事をさせるかという話しでした。
講演の最後に彼をこう語ります。
 「最後に重大なご報告をする。
  私は今晩を持ってカリフォルニア大学を退職する。
  そして妻を連れてワシントンで移住して
  日本の話しを元にして、ある研究を行う。
  そしてアメリカの政府に、ある提言をする。
  そして、政府の居眠りを変えねばならない。」
会場は騒然とします。

1996年、マイロン・ポリコムは、
放射線分子生物学で世界一の権威である、
ベルリン大学、ユーリヒ研究所の所長ルードビッヒ・ファイネン・デーゲンを
ワシントンに呼び寄せます。

二人はワシントンで論文作りを初めます。
彼らの論文は、1996年の末に発表されました。
この論文の発表に際し、再び服部氏はアメリカに講演に呼ばれます。

講演後のレセプションパーティーで事件が起こります。
テキサスから来たという大男が服部氏に迫ります。
 「お前はこの2年間何をしていたんだ。
  お前の発表した膜の透過性の向上は、
  あらゆる薬でも不可能な事なんだ。
  こんな聞き捨てならない事を2年前に発表した。
  それなのに、お前は今日、2年前と同じスライドを使った。
  オレはテキサスから車を飛ばして来たんだ。
  金返せ。俺は実験費を無駄にした・・」
大変な剣幕でした。

■ ラデーション・サイエーション・アンド・ヘルス(NPO) ■

その翌朝、彼らはテッド・・ロックウェルの邸宅に集まります。
ロックウェルは世界発の原子力潜水艦開発に携わった原子力の重鎮でした。

ポリコムをトップに、ファイネン・デーゲンをサブしして、
ラデーション・サイエーション・ヘルスというNPOが設立されます。
目的は日本の研究をフォローする事でした。

その中で癌抑制遺伝子p53が放射線によって活性化する事が注目されます。
p53遺伝子が作る酵素P53は癌細胞を見つけると、
癌細胞をアポトーシス(細胞の自殺)を促す効果を発揮します。
ポリコム達は、服部氏達お研究のこの点に注目したのでした。

放射線は癌を発生させるどころか、癌を治す効果があったのです。

■ ICRPの基準値は、重大な欠点を持つ80年前の研究を下敷きにしていた ■

ICRPは1(mSv/年)の放射線でも癌になる恐れがるとしていまいた。
ところが、この基準の元になった研究の問題点が指摘されていあます。
気付いたのは、カリフォルニア大学、バークレー校の医学部でした。
今から20年前の事です。

50年前にICRPが基準値を策定する際に参照した実験は
80年前にテキサスでマーラー博士が行った実験でした。
マラーはショウジョウバエに放射線を当て、
2代目、3代目に発現する奇形を調べました。

ところが、オスのショウジョウバエの精子のDNAは
DNAの修複機能を持たない特異な細胞だったのです。

■ マイロン - デーゲンの大論文 ■

ポリコムとデーゲンは大論文が1996年に発表されます。

私達の体内では活性酸素によって自然放射線の1000万倍の
DNA損傷が発生している事を、ポリコムとデーゲンは突き止めます。
活性酸素は消化など、様々な生命活動によって発生します。
生きているという事は、DNAの修複と言っても過言ではありません。

彼らの試算によれば、一個の細胞はDNAは一日に百万回せん断され、
DNAの自己修復能力を、ほぼ確実にそれを修複するというものでした。

DNAは二重螺旋構造によってバックアップされていますが、
そのバックアップ共々せん断されるDNA破壊であっても
DNAはほぼ正確に修複を行う事が明らかになってゆきます。 


■ 1997年、セリビア会議で糾弾されたICRP ■

ポリコム - デーゲンの論文を無視出来なかったWHOは
1997年にセリビアで学術会議を主催します。

その席上、ICRPはこう繰り返しまいた。
 「我らは正しい、我らは正しい、
  広島長崎、広島長崎、
  もの凄い被害を受けた、
  大変だった、大変だった」

ところが会場からは反論が続出します。
  「1秒間に10億Svを浴び、
   DNAが修複しようが無い原爆を状態をベースに
   低レベルの放射線がどうのこうのと・・・
   それを延長して・・・
   そんなの学問では無い。」

彼らDNA修複の専門家達は壇上に掛け上がり、
ICRPを激しく糾弾しました。

■ DNAの放射線の閾値が判明して来た ■

翌年1998年からは様々な研究がスタートします。
人の胎盤や、早産の胎児の細胞に様々な線量率の放射線を
照射する事件が行われました。

実験を主導したのは、フランス科学アカデミーのモリス・チュビアーナでした。
彼を全EUの細胞学者に呼びかけて、研究を進めました。

その結果、細胞のDNA修複に限界が無い事が分かって来ました。

■2001年 ダブリン宣言で明かされたDNAの修復力 ■

2001年6月に、アイルランドのダブリンに専門家が集まります。

 [細胞の(放射線に対する)DNA修複は限りなくやる。
  恐るべき活力を見た。
  しかし、そろそろ何か限界を知らなければならないから、
  10(mSv/時)の連続照射でもパーフェクトにDNAは修複される。
  今日の所は、このぐらいを限界としておこう。」

モリス・チュビアーナは2007年にマリー・キューリ-賞が贈られました。

10(mSv/時)は、自然放射線の10万倍です。
服部氏はダブリン宣言を聞いてしまった限りは、
チェルノブイリで甲状腺癌が多発した理由を理解出来なと語ります。
 「原子炉の破片を拾って食べた訳ではないでしょうに・・・」

■ 精子を作る精原細胞に放射線を当ててみた ■

フランスの研究に刺激を受けたアメリカの研究者ビレンチクとクルッソンが
精子を作る精原細胞に放射線を照射する実験を行います。
若い細胞程、放射線に弱いので精原細胞が選ばれたのです。

その結果、突然変異を最大に抑え込む放射線率が、
自然放射線の10万倍から300万倍の領域である事が判明します。

突然変異は、放射線照射によって減少を初め、
自然放射線の10万から300万倍までその減少が続くU時カーブを描いたのです。
DNAの修復能力の最大値は、こんなにも高い領域にあったのです。

■ 抗癌剤破れたり ■

抗癌剤によって死滅しなかった癌細胞は、
DNAがさらに活性化する為に、
どんな攻撃にも耐えうる癌細胞に変化します。

ところが、フィラデルフィアの研究グループは
放射線を1000(mSv/時)照射すると、
癌細胞の細胞分裂を阻害する事を発見します。

「抗癌剤破れたり」というのは、ポリコムの口癖でもありました。

■ 2009年のラジオロジー論文でICRPを痛烈に批判 ■

2009年にポリコムとチュビアーナは連名で
ラジオロジーという学会誌に論文を発表します。

「閾値無しの直線仮説(LNT仮説)で判断しているICRPはあらゆる放射線生物学、
 そして実験データに全く合わない」

その論文の中で彼らは次の様な事がらを明らかにしています。

私達が生活する環境の活性酸素の働きは、
200(mSv/日)の中で生活する事に等しい。

マラソンの選手のレース中に発生する活性酸素は、
600(mSv/日)に匹敵する。

それでも人間は癌にはならないのです。

この論文はロシア人と中国人との連名になっていました。
ロシアと中国はICRPに加入していないのです。

(これらの国々はICRPの制約を受けずに研究を行う事が出来、
 ICRPの基準の推奨する過剰な基準を守らずに、
 原発を建設する事も可能です。)

■ 何故、ショウジョウバエの精子の細胞が使用されたのか? ■

最後に司会の女性から質問があります。
 「何故、ICRPはショウジョウバエの研究を採用したのでしょう」

服部氏はこう答えます。
 「ショウジョウバエの精子の細胞はDNAの修複機能がありません。 
  これは神様のいたずら、こんな細胞はめったに無い。
  どうしてマーラーがショウジョウバエの精子の細胞を使ったのか?
  彼がそれを知っていたのか、それとも偶然なのか・・・
  その理由は分かりません。」


<書き起こし 終了>

以上、服部氏の右側に座るカナダ人ジャーナリストを消去してお送りしました。
(ちょっと彼はエキセントリック過ぎるので)

さて、皆さんは服部氏の話しをどう受け止められるでしょうか?


科学者は無邪気な一面を持っています。
自分の専門分野に偏った判断をしがちです。

彼らの研究が、現実の人体と放射線の関係に
全てそのままフィットするとは限りません。

現実的にはチェルノブイリでの子供の甲状腺癌の多発は、
彼らの理論では発生しない事になります。

ですから、この映像を見て、
「放射線は健康に良い」と言うのはオーバーな言い回しかもしれません。
しかし、少なくとも、私達の体は1(mSv/年)や20(mSv/年)の被曝では
全く影響を受けないという予測は付きます。

そしてLNT仮説が科学とは言えない事も理解出来るのでは無いでしょうか。
デタラメな「LNT仮説」こそが、福島の人達を不幸にしている現実を、
少しでも多くの方に知って頂きたいと思います。

職場のお昼時に、主婦の井戸端会議で、
女子会の席で、是非、ネタにしてみて下さい。

・・・きっと白い目で見られてしまうでしょう・・・。

「放射線は健康に良い」・・・世紀の大発見(その1)

2011-10-26 11:20:00 | 福島原発事故
 

■ 元電力中央研究所原子力部長 服部禎男氏の話しはショッキングだ ■

昨日紹介した、元電力中央研究所原子力部長 服部禎男氏の映像は、
とてもショッキングでした。

http://www.ustream.tv/recorded/17862990


2時間にも及ぶ映像を、会社で見れない方の為に、
勝手ながら、文章にしてみます。

あまりにも服部氏の話しがお上手なので、
「プロジェクトX」風にまとめてみました。

「放射線が体に良い」という発見の興奮が、
少しでも伝われば、うれしく思います。


■ 研究生が見つけた論文から全ては始まった ■

電力中央研究所に勤務していた服部貞夫氏は、
原子力災害の専門家養成の為に
アメリカのオークリー国立研究所に留学します。
そこで「放射能がいかに怖いか」という特訓を受けます。

その後、日本国内で政府の安全基準策定に携わり、
国内の原子力発電所の安全設計に係わります。

彼が原子力の仕事を初めて30年後のある日、
事件は起こります。

当時電力中央研究所の原子力部長をしていた服部氏の元に、
若い研究生の山岡がが一つの論文を持って来ます。

「部長、びっくりしちゃいけませんよ。
 これは、トーマス・D・ラッキーという
 アメリカの生命科学の大権威者の書いた論文ですよ。
 ゆっくり、クリスマスと正月、名古屋のお家で、
 辞書でも引いて読んで下さい。」

その論文には、こう書かれていました。
 
 「放射線は当たると体に元気をもたらす。
  DNAは刺激されて、良い仕事をしてくれるんだ。
  それをベースにして自然放射線の100倍から1000倍、
  毎日そのぐらい受けると体に良い効果をもたらす」

ラッキー論文は当時の常識を覆す内容の大論文でした。

■ アメリカに「俺を半生を貸せ」と抗議した服部氏 ■ 

服部氏はショックを受けます。
 「自分の人生の前半はどうなってしまうんだ」と。

そして彼はアメリカの電力研究所の理事長フロイド・カラー宛てに、
ラッキー論文を同封して手紙を書きます。
 「俺の人生をどうなったんだ・・」と。

フロイド・カラーは服部氏の手紙をワシントンのエネルギー省に持ち込みます。
 「この服部を自分は良く知っている。
  クソ真面目な人間なんだ、
  相当、怒っているようだ・・・。
  アメリカとしてどういうふうに対応するんだ・・」

エネルギー省は原子力の重鎮であるカラーを無視出来ず、
ラッキー論文を評価する会議を、
カリフォルニア大学のバークレー校の医学部に主催させます。

 「オークランド会議」に150人の専門家が駆け付けた ■

バークレーでは世界中の専門家に電話を掛け、20~30人の会議を企画しますが。
世界中から、この問題に興味を持った150名の専門家が集まってしまいました。

オークランドで開かれた「ラッキー論文の評価会議」は、
論文の正当性を議論する場であったはずなのに
集まった専門家達は、用意した自分の論文文章を我先に発表します。
 「俺にしゃべらせろ、
  トーマス・ラッキーは本物である。
  この論文は科学的に優れた論文である・・」

多くの専門家達は密かにラッキー論文に興味を示していたのです。

■ トーマス・D・ラッキーとは ■

トーマス・D・ラッキーはNASAの研究者でした。
地上の300倍もの放射線を浴びる月ロケット計画において、
放射線の人体への害を調べる事を目的としていたラッキーは、
この研究ののめり込んで行きます。

自らアルゴンヌ国立研究所に籠って、小動物実験を繰り返し、
DNAレベルでの放射線の影響を研究し続けました。
1980年に彼の出版した本は、世界から無視されました。

そこで、ラッキーはヘルス・フジックスという学術誌に研究の成果を投稿します。
1982年の12月の事でした。

東大の図書館で若き研究生の山丘氏が、
この論文を発見したのは、それから2年後の1984年12月でした。

そして1985年の8月の「オークランド会議」で
ラッキー論文はようやく脚光を浴びる事になったのです。

■ 日本の放射線の権威を結集したプロジェクト ■

1986年1月に服部氏は、米国から連絡を受けます。
 「火を付けお前だから、日本で研究しろ」

しかし広島・長崎を経験した日本で、
「放射線は健康に良い」などという研究を立ち上げる事は、
電力中央研究所が世間から、総攻撃される危険性をはらんでいました。

そこで服部氏は日本における放射線医療の権威を集めて
このプロジェクトを開始します。

ICRPの防護基準の元ともなった「青本」と呼ばれる
広島、長崎の調査資料を作った大阪大学の近藤宗平。
京都大学の医学部長で放射線生物研究センターを設立した菅原勉。
放射線審議会会長、東京大学 岡田重文ら、
総勢20名の放射線の権威が終結します。

■ 電子スピン共鳴法をいう世界最先端の測定技術を投入 ■

いよいよはマウスにX線を照射する実験がスタートします。

この時、研究チームに、思わぬ幸運が訪れます。
この研究の切っ掛けを作った研究生だった山岡氏は
岡山の名家の女性と結婚しました。
彼女の家は岡山大学の学長とも懇意にしおており、
その繋がら、森昭胤(あきたね)岡山大学教授がプロジェクトに参加します。

森教授は日本電子や島津製作所と共同で、
電子スピン共鳴法によって細胞内のタンパク質を
リアルタイムで計測する方法を編み出していました。
さらには、細胞膜や核膜の変化も計測可能でした。
これは世界最先端の技術でした。

森教授は実験に大いに興味を持ちます。
 「面白い、150、250、500(mSv)当たりを
  マウスに当ててみよう。」

■ DNAを総攻撃する活性酸素を除去する酵素が活性化した ■

X線(γ線・電磁波)の全身照射が開始されます。

私達の細胞やDNAは、活性酸素の攻撃にいつも晒されています。
活性酸素は強力な酸化作用で、DNAの結合をズタズタにします。

私達の細胞を活性酸素に対抗する為の酵素を生み出しました。

SOD(スーパー・オキサイズ・ディスムターゼ)と
DPX(グルタジオン・ペロ・オキシターゼ)という酵素です。
これらの酵素は活性酸素を水に変えてしまいます。

森氏はマウスにX線を照射し、
SODとDPXの血中濃度を測定します。

さらに、細胞膜や核膜の透過率を測定します。

驚くべき事に、X線を照射されたマウスでは、
膜の透過性は、65歳相当から7歳相当に変化しました。
SODやDPXの濃度も、7歳以下に相当する数値にハネ上がりました。

一回のX線照射に影響は、2カ月間継続しました。

菅原勉氏は大いに興奮します。
 「服部さん、病院作ろうよヨー。
  女性がわんさか来るヨー。
  儲かるぞー。
  全世界から来るぞー。」
酒の席で彼らは大いに盛り上がりました。

この後、この実験は全国14大学の共同研究に進展します。
多くの研究者が論文を発表し、世界はこの問題に興味を持ちます。

■ アメリカ原子力学会から講演依頼が来た ■

電力中央研究所の研究成果に興味を示した
アメリカ原子力学会の会長から、服部氏の所に講演依頼が来ます。

服部氏はワシントンのNIH(世界最大の医療機関)の近くのシェラトンホテルで
800人を前に講演する事になりました。

1994年の8月の事でした。

服部氏は事の経緯を近藤荘平氏や菅原勉氏に報告します。
 「NIH? そりゃあんた、ど素人が医学のメッカだぞ。
  800人集めるって? 
  分かった、京都大学医学部医長以下数名で行くよ。
  一人でいっちゃ、えらい事になる。
  大変だ、行ってやる。」
 
近藤荘平氏も同行を申し出ました。

■ 「放射線が健康に良い」なんて発表したら、生きて帰れない? ■

ところが、この事を服部氏が当時の電力中央研究所の理事長に報告すると、
鬼の様な剣幕で叱られます。

「バカヤロー!!
 あなたの研究がどれくらいキワドイ研究か、
 
 世界中に対して、50年前、『放射線は怖いぞと』と
 ある、大きな意味を持って、放射線を徹底的に怖がらせる世界を作った。
 そんな事、誰でも知っている事だ。
 何が背景にあるか、そんな事、俺は説明したくも無い。

 それに、あなた、チンピラのくせに楽しんで遊んでいる。
 今、それだけでも嬉しいと思え。

 それで、遂にワシントンから来いという電話。
 その変わりに、京大医学部長、それ以下・・
 皆な生きて帰って来ませんでした、死にました、と、
 そうしたら電力中央研究所はどうやって責任を取るんだ。

 この研究に集まって、皆指導してくれる、
 それだけでも、感謝感激なんだよ。
 そんな医学ド素人の電力中央研究所が、
 それで、この後において、京大の医学部長に頼んだ?
 それで殺された?

 そういうのをいバカヤロウと言う。
 お前一人で行け!!
 どうしてもやると言ったのはお前だ。
 一人で行け。

 俺は人体実験、俺は楽しみにしてるぞ。
 生きて帰って来るか、どうなるか。
 行ってこい!! 」

この当時の電力中央研究所の理事長は、
東電の副社長、成田浩でした。
成田浩は陸軍中野学校の出身でした。
中国、重慶の奥地で一人で歩いて情報を送って行ったというツワモノでした。
東京電力を起こした松永安左エ門の跡継ぎと目されていた人物です。
(松永安左エ門は電力会社の独立性を廻って、
 政治家達を相手に大立ち回りを演じた、怪物として知られています)


<第一部、終了>



どうでしょう、
放射線の有効利用に関して、
世界に先駆けて研究成果を上げたのは、
被曝国日本の、電力中央研究所だったのです。

その一方で、
成田浩をして、「そんな事言いたくもない」と言わしめた、
「放射線が危険でなければならない」理由とは何なのでしょうか?

続きは明日のこのブログで。