人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

インフレ率かさ上げ詐欺・・・円安効果

2014-09-30 12:43:00 | 時事/金融危機
 

■ 消費税増税の為には年末までに景気回復を演出しなければならない ■

来年度の消費税10%への増税が既成事実かされようとしています。一方で、増税が決定される為には年末までに景気回復を演出する必要があります。

消費税増税の反動は9月までに出尽くして10月から景気が拡大している様に見せる為には、CコアCPI(生鮮食料品価格を除いた消費者物価指数)が上昇する必要があります。

アベノミクスの経過を観察すれば、CPIの上昇は輸入物価の上昇に影響を受けています。ですから、円安が進行すれば輸入価格が上昇し、物価が上昇を始めるでしょう。

同時に円安は外国人投資家の買いを誘発するので、株価も上昇します。

「物価も株価も上昇しているから景気は回復している」という宣伝がされるはずです。

■ 資源価格が値下がりしている ■

ここに来て、日銀と財務省の作戦に陰りが生じています。それは、資源価格の値下がりです。

中国の製造業の成長率が鈍化している様ですが、その原因は世界的な景気後退です。アメリカの好景気が盛んに宣伝されていますが、消費関係の指標は冴えません。新興国もかつての成長力を失い、ヨーロッパも景気後退が明確になっています。世界的に景気を牽引する国が無いので、消費が低迷し、その資源価格の下落が顕著になって来ました。

原油価格も6月をピークに下落に転じ、92ドルと8カ月前の水準になっています。

これはコモディティーから株や債券へのローテーションの結果の値下がりなのか、あるいは景気後退による需要の落ち込みが見極めが必要ですが、中国で在庫が積み上がっている事からも実需の減衰による値下がりとの見方が有力です。

原油価格が安定している事は円安が進行する日本においては有り難い事ですが、コアCPIをインフレ率の指標としている日銀にとっては、2%のインフレ率達成に黄色信号が灯ります。

■ 円安による物価上昇を否定する日銀 ■

黒田総裁は、「物価がプラスに転じたのは円安による輸入物価の上昇が原因では無く、適正な価格転嫁が出来るまでに景気が回復したからだ。」と言う様な発言をしている様です。

黒田総裁の発言は部分的には正しいと思われます。昨年前半は雇用も回復し、景気回復基調だったので、企業は価格転嫁がし易い状況でした。そして、消費税増税による便乗値上げの効果も無視は出来ません。

一方、昨今の景気悪化でスーパーなどは値下げ競争に舞い戻っています。これ以上消費が冷え込むと日銀の目標とする2%の物価上昇は難しくなります。

■ 株価が不安定・・・ ■

円安で海外勢の買いが入り、株価が16000円を超えましたが、ここに来て荒い値動きになっています。NY市場の動きに反応したものですが、そろそろダウも過熱感があり、さらには利上げも控えているので、右肩上がりの上昇は終わりに近づいているのでしょう。

日経平均が17000円、18000円と上昇すれば、富裕層に消費が活発化して、高級品を中心に消費が拡大するかも知れませんが、ダウの値動きを見る限り、日経平均も上値は重い感じがします。

■ 消費税増税を前に日銀が追加緩和に追い込まれる? ■

諸々の状況から鑑みるに、2013年のアベノミクス初頭の景気回復の勢いは今の日本にも世界にも見られません。12月までに増税を決定したい自民党ですが、経済的環境が整わない可能性が高くなって来ました。

私は消費税10%の決定は日銀の追加緩和を引き出す手段だと妄想していましたが、このまま行くと、日銀は2%のインフレ目標達成の為に追加緩和に踏み切る可能性が出て来ました。

■ 日銀の追加緩和の時期は何時か? ■

スケジュールとしてはアメリカの利上げに先行して日銀の追加緩和が行われるはずですから、バーナンキショックの前例からは、利上げの半年前には日銀の追加緩和が実行されると思われます。

アメリカが来年後半に利上げに踏み切るならば、今年末に日銀は追加緩和を実施するかも知れません。

これに日経平均などがポジティブに反応すれば株価が上昇して、景気が回復基調にあると捉えて安倍首相が消費税増税を決定する可能性もあります。

なんだかこうなって来ると、「追加緩和ありき」「増税ありき」で辻褄を強引に合わせただけみたいな格好です。


■ 何だか心配な世界経済 ■

アメリカは何が何でも利上げを成功させたいと考えていますが、中国経済の状況によっては、利上げ以外の原因で世界経済が混乱する可能性もあります。

今年後半からは、楽観と非観が入り混じりながら、市場は不安定さを増して行きそうです。

アメリカの利上げは金融緩和の出口の入り口なのだけど、なんだかLAST EXITになってしまうのでは無いかと心配される今日この頃です。

テロのリアリティーに欠ける『残響のテロル』・・・正義のテロなどあるのだろうか?

2014-09-29 16:02:00 | アニメ
 



 世界って本当はこうなんだ・・・「陰謀論」を突き付ける『残響のテロる』 ■

渡辺信一郎が監督し、菅野よう子が音楽を担当する事から、前評判と期待の高かった『残響のテロル』ですが、作品のクイオリティーの高さにも関わらず、アニメファンの評価は低い作品となってしまいました。

その原因は「アニメファンの期待を裏切る」作品だったからでは無いでしょうか。アニメファンがこの作品に期待したのは、絶対絶命の状況に置かれた主人公達が、友情や愛情でその状況を乗り越えて行く感動物語だったと私は妄想しています。

それに対して、渡辺信一郎監督は「世界は本当はこんななんだよ」「国家権力は暴力機構なんだよ」「日本はアメリカに支配されているんだよ」といった、「世界の真実の姿」をストレートに視聴者に突きつけています。主人公達は物語を進行する為の道具であって、物語の主体では無いのです。

視聴者は敏感ですから、その点を鋭く嗅ぎ取っています。

■ 放送限界に挑む「陰謀論」的内容? ■

第一話の都庁の「爆破解体テロ」は、911の映像そのもので、テルミットによる鉄骨溶断という手法も、911の陰謀論で指摘されているものです。よくこの内要を深夜アニメとはいえ放送出来たと驚きを禁じ得ません。それ以外にもCIAが日本国内で我がもの顔で暗躍したり、政府の秘密に迫る警察官が左遷させられたりと、エグイ内要のオンパレードです。

本来、アニメやSFという表現手法は、告発的な内要を『サイコ・パス』の様なフィクションの中に隠す事を得意としていますが、この作品ではストレートに陰謀論を展開しています。ネットが発達して子供達ですら様々な陰謀論にアクセスできる現代だからこそ許される表現とも言えます。

■ 「オシャレ・テロ」 ■

一方、「伝えたい」という意識が先だって、人物描写が薄くなった事に視聴者は苛立ちを覚えている様です。「結局、オシャレ・テロ以外の何物でも無い」と総括している様です。

ところで、「テロ」と言えば「イスラム教徒の自爆テロ」をイメージしてしまう昨今ですが、一昔前にテロと言えば、共産主義を信望するエリートな若者が道を誤って起こす犯罪でした。

テロという言葉には、そこはかとないインテリジェンスの香りが漂っていました。

「赤軍派」や「赤い旅団」「IRA」などもかつては、頭デッカチな若者達の支持をある程度得ていたとも言えます。国家や既存の社会システムに対する若者の無意識の反抗の顕現として「テロ」が存在していたとも言えます。

しかし、イスラムテロが無差別に人々を殺害する報道に日々触れる中で、「テロ」の神聖さは失われ、「テロ=人殺し」という現実に収束して行きます。これはテロの幻想が剥がれて、テロの本質がむき出しになっただけの事ですが、私達はテロの実体に気づくのに多くの時間と犠牲を費やしたとも言えます。

『残響のテロル』は、「テロ」をあえて「テロル」と表記するなど、テロに神聖が宿っていた時代のテロを再び描きたかった様ですが、現代の血なまぐさいテロに慣れた視聴者には、かえって「嘘くさい」ものに感じられる様です。「オシャレ・テロ」などという評価がそれを如実に表しています。

■ 「陰謀論慣れ」してしまった若者 ■

渡辺信一郎はこの作品で世界の本当の姿を告発したかったのでしょうが、ネットで陰謀論に慣れ親しんだ若者には「ああ、あの話ね」とスルーされてしまい、ショックを与える事すら出来なかった様に感じます。これは『革命機ヴァルヴレイヴ』の「世界の真実を暴く」事の大失敗にオーバーラップします。

実はネットの陰謀論に慣れてしまう事は、非常に恐ろしい事で、「世界なんてそんなもんでしょう」という諦めに近い気持ちに囚われる事で、そこから先にどうしたら良いのかという思考が止まってしまいます。

■ 最後の踏込が甘かった? ■

一方、『残響のテロル』で最終的に告発されるのは非人道的な人体実験という日本政府の罪でだけでした。アメリカの日本支配や、それを脱する為の日本の核兵器開発は表沙汰にされてはいません。その事が、9や12のテロの遂行目的を妙に矮小化してしまった様に感じられます。

「自分達の苦悩を知ってもらう」為に核爆弾を爆発させるというのどうなのよ?という気分にさせられます。日本の独自核兵器開発は、アメリカの支配から脱する為の日本政府の戦略だったのでしょう。子供達の能力開発も、倫理的には正当化されませんが、国家間のパワーゲームの前には必要な事と判断されたのかも知れません。少なくともこの作品の中の政治家や官僚は日本の将来の為の行動をしており、単純に断罪されるべき存在とは思えません。9や12は私怨から、敵を完全に見誤っている様に私には感じられます。ここら辺の歯切れの悪さが一般放送されるアニメの限界なのでしょう。「敵はアメリカだ!!」とは言えない。

『コードギアス』はアメリカを神聖ブリタア帝国にカモフラージュしてこの点を追及しています。或いは『革命機ヴァルヴレイヴ』はイルミタティー的組織の存在を匂わせようと腐心しています。ただ、やはり表現が婉曲で、視聴者の子供達にその真意はなかなか届きません。

そこに行くと、10年以上前の作品の『ガサラキ』の方が踏み込みが深かったと思います。日本のアメリカ支配からの独立の為に「アメリカ国債の売り浴びせ」などというタブーを最後の切り札に使っていました。

いずれにしてもネットの時代には「真実の告発」ですら日常的なネット風景に埋没してしまうと感じさせられる作品です。

■ 9や12の人間性回帰の物語であれば、もっと感動出来たのでは? ■

個人的な希望を言えば、CIAの絡みは要らなかったのではないかと思います。表現がハリウッド映画の様な薄っぺらなものになっている気がします。もう少し、テロリストVS刑事の頭脳戦を堪能したかた。彼らのテロで予期せぬ犠牲者が出て、9や12が葛藤するというシーンがあった方が、テロという行為に現実性が増したとも思えます。「正義が必ずしも万人の正義で無い事」を、アニメと言えどもしっかり描くべきだったのでは無いか・・。

それと、最後までミサの存在が中途半端でした。9と12を「ナイン」と「ツゥエルブ」と呼ぶ所も彼女らしく無い。もし彼女が彼らに「呼び名」や「あだ名」を付けてそれを呼んだとしたら、この作品に血が通ったのでは無いか。存在を失った若者の存在回復のストーリーとして魅力ある作品になったのでは無いか・・・・そう思うと残念で仕方ありません。

■ 人が死なないならテロは正当化されるのか ■

最後に「人が死なないならテロが正当化される」のかという問題。
9と12は人が死なない様に周到にテロを実行しますが、実際にはテロは社会にとって迷惑な行為です。都庁の倒壊や、高高度核爆発んどという大規模なテロで無くとも、学校への爆破予告だけで多くの人々が右往左往します。

「テロ」が許されると思われていたのは全共闘の世代までで、現代におけるテロは決して正義などには成り得ません。

「テロは非対称の暴力」の典型的なものですが、力で敵わない相手に対して、「無差別に犠牲者が出るという恐怖」によって対抗する手段です。ですから、犠牲者の出ないテロには効果が無く、テロとは命の犠牲を前提にした暴力行為です。

9や12のテロごっこに対する5の対応は、人命をも厭わない「小さな戦争による報復」とも言えます。

例えば、アメリカに対して大規模なハッキングなどのテロが敢行された場合、もしアメリカがその報復として軍事攻撃を選んだとするならば、テロはやはり人命の損失の原因になったとも言えるのです。

『残響のテロル』が名作になるとするならば、やはりテロの暴力性から逃げずに作品を作るべきだったのかなと・・・。そうすれば「オシャレ・テロ」などと揶揄される事も無かった・・・。

■ 地味だけど中毒性の有るサントラ ■



菅野よう子のサントラは少々地味でしたが、やはり菅野作品は別格です。思わずポチットナしてしまいました。

全体を聞いた感想としては、多分ここら辺のイメージで作曲したのでは無いでしょうか?



1980年にクレプスキュール(Les Disques du Crepuscule)レーベルがカセットで発売した、コピュレーションアルバム『ブリュッセルより愛をこめて(From Brussels With Love)』(後にCD化)

透明感のあるピアノの音色や、温度感の低さが当時にニューウェーブシーンの中でも際立っていました。

さらに、こんな映画も脳裏にチラツキます。



鬼才デレク・ジャーマン監督の1987年の映画『THE LAST OF ENGLAND』。セリフの無い映像のコラージュの様な作品ですが、テロと死のイメージが画面に溢れています。黒覆面のテロリスト達は、IRC(アイルランド解放戦線)をイメージしているのでしょうが、現在は「イスラム国」の偽テロリストのアイコンになってしまいました。

[[youtube:iXKvC1-C-VQ]]

サントラは、サウンドコラージュとテープ編集によるループで捉え何処がありませんが、映像の雰囲気にとてもマッチしています。

『残響のテロル』のサウンドトラックと、上記2枚をシャッフルしてiTunseで聴くと、どれがどのアルバムか言い当てる事が難し位い、肌合いが似ています。

ちなみに、『THE LAST OF ENGLAND』のサントラを担当したのは「サイモン・フィッシャー・ターナー」というミュージシャンで、「キング オブ ルクセンブルグ」名義で、ベルギーのelレーベルから素晴らしいポップアルバムを何枚か発表しています。

[[youtube:wU1m-CBMGJo]]

目眩のする様な過剰なポップワールドで、XTCなどに通じる感じがします。サイモン・フィッシャー・タナー名義でデレク・ジャーマンのサントラを担当する諸作とは全然肌合いが違います。彼は子供時代に俳優をやっていた様で、キング・オフ・ルクセンブルグの活動は多分に芝居じみていて、及川光彦の昔の姿とダブります。elレーベル自体が、アーティスト達の架空の経歴(例えばフレンチのシェフを本業にしている)を売りにした、遊び心に溢れるレーベルでしたから、サイモン・ターナーの芝居気は、レーベルの雰囲気にマッチしていたのでしょう。


何れにしても菅野先生のこの作品における「テロ」のイメージは、ヨーロッパ系のインテリテロだったみたいで、これらの作品に繋がったのではと邪推しています。

マクロスのセルフカバーの様なOP曲も、良く聞くと最初はコーラスパートが主旋律に先行して、そして合唱となり、次はエコーになっています。非常に凝ったアレンジです。


サントラ全体的には循環するリズムやメロディーが特徴ではないでしょうか。掴みどころの無い音楽ですが、聞きこむとクセになります。

「アニメファンの期待」とは?・・・14夏アニメ、勝手ににベスト5

2014-09-29 05:40:00 | アニメ
 

■ 14夏アニメ ベスト ■


特別賞
『ALDNOAH.ZERO(アルドノア・ゼロ)』




特別賞
『ばらかもん』





いつもなら、1位から5位といったランク付けをするのですが、この2作品があまりに別格なので「特別賞」とさせて頂きます。

『ばらかもん』に関して言えば、ストーリー的には別段目新しいものではありませんが、ただとにかく原作の持つ魅力をアニメ化によって何倍にも膨らめた事に賞賛を惜しみません。

アニメとマンガの違いは、やはり絵が動き、声が聞こえる事で、作画と声優さん達の演技がこの作品は際立っていたと思います。勿論、演出も素晴らしく、コメディータッチの日常とシリアスな表現のシームレスな移行が本当に上手い。お盆の墓参りの回など、何度見ても惚れ惚れします。

作画に関して言えば、ギャグパートで手を抜いて、シリアスパートで本気を出すといったメリハリで全体のクオリティーを確保していました。特にOP、EDが出色の出来で、そこから来る「神作画」というイメージが本編をも良く見せるといった稀有の例かも知れません。

『ばらかもん』と『信長協奏曲』・・・アニメとは何か(人力でGO)


『アルドノア・ゼロ』に関してはアニメファン達は賛否両論でしょう。

「予想を裏切るアニメでは無くて、期待を裏切るアニメだ」との評を目にしましたが、まさにこれに尽きるのではないでしょうか。

では「アニメファンの期待」って一体何かと考えると、心温まる様な友情であったり、スリリングな戦闘シーンだったり、バチバチと火花を散らす三角関係だったり、気の強いキャラがデレル瞬間だあったり、カタロシス全開のラストシーンだったりする様に思います。

『アルドノア・ゼロ』は分割二期作品ですから、現状を持って判断するのは難しいのですが、この作品は「アニメファンの期待」を確かに裏切り続けています。その主要因が主人個の伊奈帆の「極めて理性的な判断力」にあるのでは無いかと私は考えています。アニメの主人公として好かれるタイプは情動的な性格が多い。「情に篤く」「他人の為に暴走する」様な人物が多い。

一方、伊奈帆は絶えず冷静で、感情を表に表しません。彼の行動は一貫して合理性に貫かれています。これは、学校では「嫌われる」タイプです。そんな主人公が作中で人気がある事に視聴者は違和感と羨望を感じずには居られないのでしょう。これが主人公への感情移入を阻害します。

一方、伊奈帆以外の人物は皆情動的です。

アセイラム姫は平和と正義の正統性を疑わず、それに則った行動が良い結果を生むと思い込んでいます。
スレインは姫への忠誠心と憧れに突き動かされています。
クルーテオ伯爵の行動原理は、帝国と皇帝への忠誠心に染まり、現実を直視し理解しません。
ザーツバルム伯爵は一見冷静に見えますが、彼は私怨に取りつかれています。

これらの感情に支配された人々がもたらした物が戦争です。彼らは戦いの中にあっても自分の信念を疑わず、故に状況を悪化させて行きます。

一方、 伊奈帆は戦争を終わらせる方法について次の様に発言しています。

「戦争は目的が達成されれば終結します。あるいは、戦争の成果が犠牲にそぐわない場合、戦争は終わります」(確かこんな内要だったかと)

戦争の真の目的は経済的利益ですが、戦争は人々の憎しみを増幅する事で遂行されます。要は「合理的目的」を「感情的目的」にすり替える事で戦争は可能になるのです。一方で戦争で勝つ為には常に冷静な判断が要求されます。

この作品は、戦争における「熱狂」と「冷静」を対比する事で、現実の戦争の姿を私達に明確に突きつけています。


『まどか☆マギカ』が支持されたのは「情動」が世界を救う話を若者が支持したからで、その真逆を提示されるとアニメファンは醒めた気分になってしまいます。「期待を裏切る」とはYESかNOの決断において、主人公が感情に流されない事に不満を感じているのでしょう。

実際の社会においては、「感情による選択」が不利益を生むケースが多く、私達はなるべく合理的判断を強いられます。だからこそ、アニメの中くらい、感情に任せて行動する主人公にストレス発散を求めるのかも知れません。

第一部は虚淵らしい衝撃的な結末で視聴者を唖然とさせた『アルドノア・ゼロ』。1月から二期が始まりますが、はたしてアセイラムと伊奈帆は生きているのか・・・。私、気になります。

ロボットアニメがようやくガンダムの呪縛から解かれるのか・・・アルドノア・ゼロ(人力でGO)


■ ベスト5 ■

第一位  『月刊少女 野崎くん』



これは文句無しの今季トップでしょう。

とにかくキャラ立ちが良く、笑いも比較的ストレートなのですが、いわゆるテンプレ化した笑とは一味もふた味も違う。
登場人物があまりにキャラが濃いので、主人公の佐倉の存在かが薄いのですが、実は彼女は突込み役として活躍しているのですね。時々、セルフ突込みしてるし・・・。

原作ともども、本当に笑わせて頂きました。



第二位  『六畳間の侵略者』



『アルドノア・ゼロ』の対局にある作品として、ジワジワとファンを増やしていった作品ではないでしょうか。所謂、ハーレム物テンプレ作品なのですが、大沼監督らしい丁寧で愛情のこもった人物描写によって、心がホッコリするアニメに仕上がっています。

どのキャラクターも大事にする事で「誰も傷つかない」世界というのは、実は現代の若者のユートピアなのかもしれまあせん。

第三位 『まじもじ るるも』



『弱虫ペダル』の原作者の作品ですが、オーソドックスな魔女物。ただ、この作品も六畳間同様に「誰も傷つかない」生ぬるーい作品です。本来は評価すべき作品とは思えないのですが、『イカ娘』のオリジナル回に近い肌合いの「神回?」が混じっていたのが評価のポイント。

鍋物のアクを取り除く様に、作品の中から丁寧に「悪意」や「憎悪」が取り除かれている世界は現実的ではありませんが、やはり一種のユートピアです。魔女界では「オチコボレ」としてい阻害されている「るるも」が、人間界では皆に優しく扱われています。彼女のドジでグズな所も愛らしさと見られているのです。

息子や娘達の学校での話を聞いていると、現代の若者達は「異分子」に対して寛容な様です。どこのクラスにも空気の読めない生徒は居ますが、一昔前ならばイジメの対照になるであろう子供を現代の若者達は疎外しない様です。まあ、色々と軋轢はあるのですが、ちょっと困った子を、生徒達は生温く受け入れている様です。

ゆとり教育はある意味において学力の低下を生み出しましたが、一方で「イジメ」の要因としての競争によるストレスは確実に低下している様に思えます。そんな「温い世代」を象徴するアニメとして、何となく不思議な説得力を持つ作品です。

第4位 『残響のテロル』



『アルドノア・・』同様にアニメファンの期待を見事に裏切る作品。渡辺信一郎はこの作品で「世界は本当はこんななんだよ」「国家権力は暴力機構なんだよ」「日本はアメリカに支配されているんだよ」といった、正に私が「人力でGO」で書いている内要を、ストレートに視聴者に突きつけています。

第一話の都庁の「爆破解体テロ」は、911の映像そのもので、テルミットによる鉄骨溶断という手法も、911の陰謀論で指摘されているものです。よくこの内要を深夜アニメとはいえ放送出来たと驚きを禁じ得ません。それ以外にもCIAが日本国内で我がもの顔で暗躍したり、政府の秘密に迫る警察官が左遷させられたりと、エグイ内要のオンパレードです。

非常に興味深い作品ではありますが、人物描写や物語の展開、テロに対する認識などに残念が点が多々有り作品のクオリティーに反して評価は第4位。

ただ、興味深い作品なので、新たに記事にしました。

テロのリアリティーに欠ける『残響のテロル』・・・正義のテロなどあるのだろうか?




以上、今期アニメ、ベスト5をお送りしました。

あれ、1作品足りないな・・・。『東京喰種 』の終わり方は何?・・・。『LOVE STAGE!!
』はやはり途中で挫折。『るこどる』はオジサンには無理。

敢えて上げるなら『アカメが斬る』かな・・・。岩崎琢のサントラが異常にカッコイイし、劇中の音楽の使い方も上手い。ストーリーもテンポ良く、敵キャラも魅力的。ただね・・・まあ中高生向きの作品で50歳を目前にしたオヤジがどうこう言う作品では・・・・。エスデス将軍が可愛くて、毎週見てしまいますが・・・。

中国経済はソフトランディングできるのか?・・・対日軟化したら危険?

2014-09-27 13:35:00 | 時事/金融危機
 

■ 何度目かの正直、中国バブルの崩壊 ■

「中国バブルの崩壊」という言葉をリーマンショック後何回耳にした事でしょう。雨後に筍のように次々に建てられる高層建築や、高級ブティックに群がる中国人の姿を、かつての自分達の姿に重ねてしまう日本人は、いつ中国バブルが崩壊するかと気になって仕方ありません。

これまで中国がバブル化した経済を支えて来れたのには、中国ならではの事情があります。

1) 外貨準備高に連動して増える元
2) 景気後退を知らない中国人のアニマルスピリット
3) 中国人の高い投資志向
4) インフラ整備やボトムアップによる経済成長
5) 共産党の半ば何でもアリの経済政策と金融政策

中国はバブルに穴が開きそうにある度に大量の元をその穴に突込み、さらに行き過ぎた市場は強力な行政指導で強引に冷却しながらもバブルを拡大し続けて来ました。

■ アメリカの4倍の人口が居るのだからGDPも4倍になるのか? ■

中国を巡る楽観論の中には、中国の内需が拡大の余地を残している事を理由に上げる人が多いと思います。

1) 中国の人口はアメリカの4倍
2) アメリカのGDPは中国の1.5倍

この数字だけを見れば、中国のGDPにはまだまだ大きな伸び代が有る様に思われます。中国にはまだまだ貧しい人が沢山居ますから、それらの人の生活レベルが向上する事によって経済は成長余力は充分にあると考える事は確かに可能です。

■ 貧富の差が社会を不安定にするまでに拡大している ■

中国の社会は共産主義の建て前に反して格差が拡大しています。1%の富裕層が1/3の資産を保有する社会です。

ジニ係数は貧富の差を表す数字として活用されますが、0が完全に平等な状態、1が貧富の差が極大化した状態です。

2007年頃の調査で日本が0.329、ドイツが0.295、アメリカが0.378でした。中国のジニ係数は2010年時点で0.6を超えたと西南財経大学(四川省)が試算しており、最近の北京大学の試算では0.7を超える結果も出ています。

リーマンショック以降、日本やアメリカのジニ係数も拡大していますが、社会が不安定になるリミットを言われる0.6を中国は確実に突破しているようです。中国全土で年間に20万件以上の抗議運動が起きており、多くが小規模な暴動に発展しています。中国共産党は警察の強行な姿勢で暴動を抑え込んでいます。

貧富の差が激しく社会が不安定なメキシコですらジニ係数は0.5を下回っていますから、中国の格差は社会を不安定にさせるには十分な数字とも言えます。

■ 都市部の住宅の25%が空室 ■

中国は老後の社会保障が確立していませんので、人々の貯蓄や投資志向が強く、これが不動産バブルを膨らめた要因になっています。

1) 預金金利の上限が定められているので高金利の理財商品にお金が集まる
2) 闇金融市場(シャドーバンキング)を通して資金が不動産開発に投資される
3) 資産としてマンションなどが値上がりする

この様に、資金が富裕層と開発業者の間を行ったり来たりする事で、中国の不動産バブルは膨らんで来ました。ところが、今年に入ってから不動産価格が下落に転じ、不動産バブルの崩壊が秒読み段階に入ったとの見方が高まっています。

1) 資金循環に変調をきたし、開発が途中で中止されるケースが出ている
2) 不動産の需給バランスが明らかに供給過剰になっている
3) 富裕層が不動産を買い控え初めている(国外に資産を移し始めた)

この様な事が原因になって不動産価格が下落する都市が4割にも達しました。都市部の空室率も20%を超えているようです。

■ 大規模商業施設が埋まらない ■

私は仕事柄、中国物件を手がける事も多いのですが、未だに巨大物件の図面が回って来ます。ほとんど冗談としか思えない様な規模の商業施設やホテル、不動産、はたまた競技場施設などが中国各地で計画されています。

一方、出来上がった商業施設の中にはテナントが埋まらずに開店休業状態の施設も少なく無い様です。周辺の住宅施設の開発が頓挫したケースでは当然商業施設の需要は有りません。住宅同様に商業施設も過剰供給となっているのです。

商業不動産の崩壊は住宅の崩壊に先だって発生します。今まさに中国はその様な状況に陥りつつあります。

■ 高級店から客が居なくなった ■

一昔前、海外の高級ブティックに群がっていた人々の姿も無くなったそうです。これは習近平主席が進める汚職追放キャンペーンの一環で、高級品を買ったり身に付けたりしていると汚職をしていると疑われるからだそうです。

中国市場の怖い所は、政治的事情で市場がいきなり消失する事です。

■ GDPの成長率は実際には3~4%に低下している? ■

一昔前は二桁成長が当たり前だった中国ですが、今年の経済成長率予測は7%台です。

しかし、中国政府がGDP成長率を地方官僚の成果の基準にしていた為、中国のGDPは実際よりも水増しされていると言われています。さらには需要の無い開発工事で地方政府はGDPを強引に引き上げています。

ですから、中国の経済の実情は、エネルギー(電力)消費量や、鉄道輸送量から類推する事が一般的になっています。(中国の中央政府ですら・・・)

今年に入ってから石炭生産量が低下している事が話題になっています。-1.5%という数字が本当ならば、成長率がマイナスに落ち込んでいる可能性も指摘されています。

中国経済は依然として外需依存と投資主導型です。世界的な消費の低迷で中国の輸出が落ち込み、不動産価格の下落の影響も出始めているので、中国経済は大きな変節点に達したと見る事が出来ます。

外需に関してはアメリカの景気回復に期待したい所でしょうが、アメリカの消費者支出は横ばいです。

■ バブル崩壊をソフトランディングできるのか? ■

中国が日本の様なバブルの大崩壊に至るのか、それともソフトランディングを達成するのかは意見の分かれる所でしょう。

問題は大手銀行の不良債権が実際にどの程度あるかに掛かって来ますが、本当の数字は隠されていて分かりません。シャドーバンキングに投資していたりしたら、不良債権はかなりの額になる可能性があります。

一方で共産党の独裁政権で、世界のルールからある程度切り放されている中国では、危機が起きても「ミラクル」な手法で危機を乗り切る可能性が有ります。

1) 中国中央銀行が大量に元を発行して銀行に資本注入をする
2) 一定期間、不動産取引を停止する
3) 預金を一部閉鎖し、資金の海外移転も禁止する

元の為替相場は下落し、インフレが発生しそうですが、それすらも価格統制で乗り切ってしまうでしょう。

一方で、腐敗官僚を大量摘発して国民のガス抜きをすると思われます。第二の文化大革命の様な大粛清が行われる可能性を、中央の官僚も、地方の官僚も本気で心配している事でしょう。ですから、妻子と資産を必死で国外に逃がしています。

■ 国民の不満を国外に向けるだろう ■

もし、中国バブルが派手に崩壊した場合、中国国内で暴動が多発する事は想像に難くありあません。これが打倒共産党の運動に発展した場合、天安門事件の様に軍は躊躇無く国民を戦車でひき殺すかも知れません。

そうなる前に中国は国民の怒りを海外に向ける事が予想されます。

尖閣諸島に上陸するとか、南沙諸島や西沙諸島を奪うなどの行動に出る可能性は低くはありあません。

こうなると、欧米諸国は中国を経済制裁するはずですから、世界経済も影響を免れ得ません。ロシア制裁を見ると、結び付過ぎた世界経済に過剰な影響を与えない様に注意しながら制裁のポーズを取っていますが、はたしても中国も生温い制裁で留まるのかは神のみぞ知るです。

中国の経済崩壊は軍事的緊張の高まりを誘発するので、私達日本人にとって好ましい状況ではありあません。自民党が中国共産党と党レベルの会話に向けた動きを見せていますが、中国の国内状況に危機感を抱いている表れかも知れません。


「中国崩壊キタァーーー!!メシウマ」なんて言っているネトウヨ諸君は、気を付けないと日本経済も巻き込まれて失業なんて痛い目に合うかも知れません・・・。

もうプロの歌手もプロの作曲家も要らないのでは・・・『妄想税』

2014-09-26 12:05:00 | 音楽
 




■ ボカロがコブシを回してる・・・ ■

ネットを徘徊していると時々「ハ!」とさせられる物に出会います。
今回はボーカロイド(音声合成・デスクトップミュージック (DTM) )の歌う?こんな曲に引っ掛かってしまいました。

オリジナルは『初音ミク』の歌う曲ですが、こちらは『鏡音レン』というソフトでカバーさせたボカロによるボカロのカバーソング。

初音ミクのバージョンに比べ、鏡音レンは癖が強い歌い回しで、コブシまで回しています。この歌に良く合っています。

■ 日本語の文字の特性を最大に生かしたPVが素晴らしい ■


このPVがオリジナルを越えている所は、ボカロの処理だけでは無く、日本語の特性を最大限に生かしたビジュアルです。

日本語は「表意文字」である「漢字」と、「表音文字」である「仮名」を併用する極めて独特な言語です。

例えば「あなた」と綴る場合、「あなた」と「アナタ」と「貴方」と「貴女」ではニアンスが微妙に違って来ます。当然、それらの表記を発音する時には、声音も微妙に変化します。

こういった「日本語のビジュアル的情報量の多さ」と、「象形文字としてのイメージの自由度」を最大限に発揮しているのが上で紹介したPVです。

ちなみに、日本語表現の面白に着目したミュージックPVは以前にも作られており、「サカナクション」というバンドの『僕は歩く』のPVはメディア芸術祭で賞を受賞しています。




■ プロが面白く無い時代に ■

歌謡曲と言えば、かつては「阿久 悠が作詞して、都倉 俊一が作曲」などというプロの曲が評価されていました。その後、ニューミュージックブームが起こり、シンガーソングライターと言われる人達の自作自演の曲がヒットする時代になります。(フォークソングの傍流ですが)さらにサザンオールスターズなどの登場により、バンドが注目される様になります。

この一連の流れは、「プロ→アマチア」への変化と取る事が出来ます。研ぎ澄まされた言葉やメロディーよりも、等身大で同時代的な言葉が若者の支持を集める様になったのです。

クラシックやジャズは演奏や作曲が高度化する事で大衆性を喪失しましたが、元々大衆音楽である歌謡曲は、自らの立ち位置を聞き手と合わせる事で、大衆からの支持を繋ぎ止める事に成功したのでしょう。

ジャニーズなどは「どこにでも居る素人」に見える事を武器に大衆の人気を集めて行きます。「下手」が武器となる時代の到来です。

一方で子供達やその母親達がジャニーズに熱狂する程、相反して私たちは歌謡曲から離れてしまいました。「ケ!女子供が下らない・・・」なんて、心の中で悪態を付いたりします。

そんな歌謡曲難民の大人達は、サザンやミスチルといった個性の強いバンドや、ユーミンや山下達郎といった完成度の高いミュージシャンを支持する様になります。

■ PCの前から生まれるヒット曲 ■

歌謡曲というのは、「芸能界」という独特の閉じられた世界から発信されます。どんなに身近なテーマを歌っていても、アーティストの存在ははるか彼方。

ところが、最近はニコ動に投稿される素人の作品の中からヒット曲が生まれる様になってきました。

これらの曲はPCの打ち込みで演奏トラックが作られ、ボーカルは音声合成ソフトのボーカロイド(初音ミクが有名)で制作されている事が特徴です。

初期の名作としてryoが作ったブラック・ロック・シューターが挙げられますが、ビジュアルが先行して発表され、それにryoが初音ミクで歌を付けてヒットしたものですが、後にアニメの諸作に発展してゆきます。2008年の作品です。

[[youtube:zwVRCNs-lTA]]

その後、「ニコ動 + ボーカロイド」は数々の作家を輩出して行きます。

2011年にはこんなヒット曲も生まれています。『千本桜』という曲です。歌詞に変な漢字熟語が散りばめられているのが中二病的でステキ・・・・。これらの曲はカラオケで「ボカロ曲」というカテゴリーでゾロゾロ出て来ます。



これは『恋空予報』という曲ですが、もう普通に歌謡曲の良曲。こんな曲が出て来ると、もうプロの存在感が危ない・・・。ボカロもここまで自然に「歌わせられる」時代になったのかと感心しきり。



こんな曲になると人間には歌唱不可能?!カラオケで挑戦する人が出てきそう・・。
『スリキレハグルマ』



この曲なんてプロがボツ曲をネットに流したんじゃないかってクオリティー。歌詞をちょpっと直せば、普通に誰かのアルバムに入っていそうな曲。『carame』



ちょこっと検索しただけで、こんな曲がゴロゴロしている訳でして、ボカロは既に歌謡曲の1ジャンルとして確立しているとも言えます。


冒頭の『妄想税』は、この様なボカロ曲の一つですが、自虐的でシニカルが歌詞が中二病の私の感性にクリティカルヒットしました。


■ 二次創作も面白い ■

ネットではこれらのオリジナルの表現の他に二次創作の傑作もゴロゴロしています。

今季アニメのイチオシの『月刊少女野崎くん』mのOP『君じゃなきゃダメみたい』 歌:オーイシマサヨシは、スガシカオみたいなファンクチューンがゴキゲンなナンバーですが、2次創作の材料としても魅力がある様です。

オタク視点からの替え歌の『二次じゃなきゃダメみたい』は傑作です。



さらに、こんな使われ方も。もう、スゴスギて笑って良いのやら、関心して良いのやら混乱してしまいます。最後のオマケも抱腹絶倒。(アニメの第一話を見てからだと…ぷぷぷ・・)





著作権の取り扱いが厳しくなる一方で、ネットというメディアは素人の作品発表の場としてオリジナルや様々な二次創作の場を提供しています。

表現の垣根が下がる事は、ある意味において質の低下を招きますが、一方、フリーダムな表現が連鎖して、新たな表現様式やジャンルを生み出しています。私は、パッケージ化された歌謡曲やポップスよりも、煮えたぎるエネルギーを感じて好きです。



本日は若者文化をちょっとご紹介しました。

ボカロなど詳しく無いので、間違っていたり、追加したい事がありましたら、コメント欄にドシドシお寄せ下さい。




<追記>

既に歌謡曲の1ジャンルとして確立した感のある「ボカロ歌謡」ですが、こうして幾つかの曲を聴いてみると、最初は現実の歌手の代用品であったボカロが、ボカロ独自の強い魅力を獲得した事に気づきます。

その魅力は2次元キャラとしてのアニメキャラと現実のタレントとの差に非常に近いものがあります。タレントには人間という存在自体が持つ生々しさが付きまといますし、どんな役を演じていても生身の役者さんの私生活が透けて見えたり妄想されたりしてしまいます。

そこに行くと2次元のキャラクターにはリアルが存在しません。このリアルの欠如は「妄想の拡大」を阻害しないという点において非常に有利に作用します。

ボカロソングにしてもリアルな歌手の不在は、楽曲の歌世界にリアルな人格としての歌手が介在しないという、「ある意味の純粋性」を保つ事に寄与している様に思われます。確かに「初音ミク」というキャラ付けはされているのですが、それが架空の物だと誰もが認識しています。

そして、楽曲製作者はミクのキャラクター付けを活かした楽曲を作る事も、ミクを単なるボカロの道具とした楽曲を書く事も自由です。

ボカロ臭い歌い回しは有りますが、歌手が持つ所謂「個性」や「歌い回しのクセ」の様な物はありません。あくまでも「無効性」なボカロが歌う事で、利き手は歌手の存在を抜きにして楽曲に向き合う事が出来ます。これもボカロの持つ一つの「純粋性」なのではないかと思われます。


ボカロに曲を提供している人の中には明らかに素人の域を出ている人も見受けられます。実際のポップスの分野では、ゴーストライターの方が沢山活躍されています。レコード会社に楽曲を持ちこんで、それを売って生計を立てている方も居ます。

これは私の勝手な想像ですが、持ち込みの曲でボツにされた曲をボカロ曲としてネットに流したらどうなるでしょうか?クオリティーの高い曲ならば、ニコ動で話題になり、カラオケで皆が歌う様になります。こういてカラオケから印税が入る様になれば、多少のお金を稼げる様になります。

ボカロ曲を注意して聞くと、ボカロならではの世界観を持った曲と、リアルなポップスをボカロが歌っているだけの曲に2分される事に気づきます。この二つが互いに影響しながら、ボカロというジャンルのボトムアップが図られているように思います。

ネットという世界はamazonの様に、中間業種や既存の流通の枠組みを壊す事を得意としています。ボカロ歌謡の広まりは、歌謡曲の「産地直送」なのかも知れません。多少「イビツ」な商品でも、それを評価する人が居れば企画品でなくても十分に商品として成立します。まさに、マスマーケットを失って低迷する歌謡曲のアンチテーゼとして、ボカロ歌謡は存在しているのかも知れません。