■ 「腐女子」って何? ■
『鬼滅の刃』の記事で「腐女子」という言葉を使いましたが、「腐女子って何?」と思われる読者も多いかと。
「腐女子」とは、マンガやアニメの登場する男性キャラクター同士を勝手にカップリングして、脳内でイチャイチャさせて、勝手に悶絶する生き物です。性別は圧倒的に女性が多い。
具体例を上げれば、ジャンプで連載されていた『ナルト』で、主人公のナルトと、ライバルのサスケを同性愛のカップルに見立てて、二人がイチャコラする妄想で頭がイッパイになってしまったり、さらには同人誌などの二次創作で二人のイチャコラシーンを描いてしまう・・・。
腐女子が何時の頃から発生したのか定かでは有りませんが、私が小学生の頃の同級生の女子は、既に登場人物で様々なエッチな妄想を思い切り膨らめていましたから、40年以上前から先祖は生息していたと考えられます。(そんな女子に少女漫画を借りて感想を言わされていた私って何なんだ・・・)
一説には吉田秋生の『バナナフィッシュ』が観測出来る数の腐女子を生み出した最初の作品とも言われています。『バナナフィッス』のコアなファン、パナイですからね。ニューヨークまで聖地巡礼に行っちゃう。
■ 宗教としてのカップリング ■
今回、腐女子についてネットでブログなどを見ると、腐女子の「カップリング」に対する、並々ならぬ「拘り」を感じます。
「ナルトとサスケはテッパンだけど、ナルトとチョージは地雷」とか・・・。
「カップリング」とは作品の登場人物(男性)の誰と誰をくっ付けるかという選択。実はこのカップリングには「宗派」が存在している様で、異なるカップリングを信仰する「宗派間の対立」は極めて激烈です。もう絶対に相手を認めようとはしない。
二次創作本も宗派毎にきちんと棲み分けがされている様です。
■ 二次創作を原作の一部と認識する感性 ■
「腐女子」の恐ろしいのは二次創作を原作の一部だと認識している点。原作に少しでも男同士の絡み(接触)を見付けると、そこに至るイロイロや、その後のイロイロを勝手に原作に付けたしてしまいます。
「原作のコマに描かれていない所を、自分達で補完する」というのが「腐女子」の基本スタンスです。だから、『ナルト』の原作のラストで、ナルトとヒナタ(大好き)が結婚して、サスケとサクラ(コイツ嫌い)が結婚すると、腐女子はパニックに陥ります。
「原作が地雷」とか「公式が地雷」と腐女子は表現しますが、原作が自分達を裏切ってゲロゲロのカップリングをしたと感じるのです。そして作品への「歪んだ愛情」も醒めてしまう・・・。
「脳内の妄想と、現実との境界が曖昧」というのが腐女子の腐女子たる所以。
これ、腐女子に限った事では有りません。我が娘の韓流スターへの偏愛を見るにつけ・・・脳内がプリンで満たされているとしか思えません。会った事も無い「押し」の子と、妄想の中で日々生活している様にしか見えません・・・・。現実に妄想を介入させる能力を一部の女性は持っているのかも知れません。
■ 男のオタクと腐女子の決定的な違い ■
男のオタクも相当に気持ち悪い存在です。二次創作など、もうキャラクターへの冒涜としか言いようが無い。(彼らにとっては愛情表現なのですが)ただ、男のオタクに関しては性的にはある程度の理解が可能です。主体はあくまでも自分にあって、自分がキャラクターをイチャコラする妄想に浸ります。
「カワイイ」→「好き」→「性的に支配したい」
ところが「腐女子」は脳内変換がオタク男子とは異なる。自分は「観察者」で、イチャコラの主体は男性キャラ同士。まあ、男のオタクでも「ユリ」が好きな方は同じ傾向かも知れませんが・・・。
「好き」→「男同士を絡ませる」
この違いな何か・・・。男のオタクにとっては「キャラクター」こそが神なのでしょう。だから「神の寵愛を自分が受ける事を夢見る」。「〇〇ちゃん、マジで神」って表現をする。
一方、腐女子の神は「カップリング」に宿る。「これ神カップリングじゃね」なんて表現になる。当然、神カップリングに自分が割り込む様な無粋な真似はしません。
■ 恋愛における能動性と受動性の結果 ■
男のオタクの妄想の主人公はあくまでも自分です。イチャコラの主体は自分とキャラクター。これは男性の性行為が「能動的」な事を反映しているのでしょう。
一方、女性の性行為は一般的には受動的です。だから腐女子の多くは、好きな男性キャラを脳内で攻略しない。男性キャラが自分を攻略する妄想は可能ですが、何故かこの方向に走らない・・・。これ、女性の妄想が男性に比べて「現実的」だからでは無いかと私は妄想しています。「自分の様な女にイケメンキャラが言い寄って来る事なんてあり得ない」という現実がきちんと見えている。これは腐女子の方々の自己評価が総じて低い事とも関連が有りそうです。
実際に男性の場合は、金さえあれば美女と一夜を共にする事も、チョー美人の奥さんを獲得する事も夢では有りません。一方、女性の場合は「外見」の恋愛に占める割合は無視出来ません。美人は恋愛カーストの上位に君臨する。
「どうせ自分は」という達観を持つ女子は、マンガやアニメの世界に自己投影をする事無く、「崇高なカップリングを崇める」事で、その性的衝動を代償しているのかも知れません。むしろこの歪みこそが彼女達には「愉悦」なのでしょう。
■ 一次創作としてのBLと、二次創作としてのBL ■
「腐女子」にも二つのタイプが有る様で、マンガやアニメの登場人物を勝手にカップリングしてキャッキャ・ウフフする腐女子と、BL小説やBLマンガをガッツリ愛読する腐女子が存在する様です。前者はソフトな腐女子、後者はハードな腐女子とでも言えなくも無い。
実は、BLの一次創作をしているマンガ家には有能な方が多く「オノナツメ」や「えすとえむ」など今を時めく漫画家もBL出身だったりします。「えすとえむ」、『うどんの女』で評価を確立しますが『愚か者は赤を嫌う』などのBL作品も、あるいは『ゴンドリーナ』といったトランスセクシャルの作品も素晴らしいものが有ります。
この様な1次創作の作家に比べ、二次創作の作家は世に出る事は少ない。二次創作という行為は原作に対しる宗教的な奉仕であって、創作のポテンシャルの目的が「創造」では有りません。「創造」は神の領域であって不可侵。
本日は「腐女子」をテーマに、オタクにおける男女の性差について雑に考察してみました。
アイドルオタとジャニオタ(韓流オタでも良い)の違いも同じところにありそうです。何故アイドルオタが気持ち悪くてジャニオタは許されるのか。アイドルオタは明らかにオカズにしてますでしょうから。
一方で、電子書籍サイトを見ると、女子向けでも特に「オレサマ王子」との絡む作品はかなり多い気がします。これらを好むのはどの層(腐女子、ジャニオタ、一般人)なのでしょうか…
人力様の意見を伺って、改めて鬼滅の刃の映画パンフレットを見てみると…声優紹介がキモい事を再認識しました。決してハンサムとは言えない声優たちも、アイドルのように白とびの写真でポーズ決めまくってます。これ…多分女子向けなんでしょうね…。
40年前は萩尾望都が大好きで昨年の宝塚での上演も行きました。24年組では竹宮惠子は嫌いな作者でした。風と木の詩なんか何で人気有るのか?さっぱり解りません。でも一作だけ好きな作品にロンド・カプリチオーソだけは異様に好きでした(笑)フィギュアスケートの話ですけど。羽生選手みたいな人がごろごろ出てきます。鬼滅の刃は人気に成るの何となく解るな。でも見に行きません。ただ大正ロマンの衣裳は納得。市松模様の柄はインパクト有ります。
世間では「アツギタイツ炎上」という事件があって、
>一連のイラストが性的だとして批判を呼ぶことに。
>特に女子高生とメイドが恥じらいながらスカートを
>たくし上げる2点のイラストに批判が集中……
これがいつものように「キモい」「性的搾取」と言われてるわけですが、
オタクの私からすると、この程度で大騒ぎするなよ、と言いたい。
さて、この件でも、
>アツギのTwitter担当者は女性で、
>参加イラストレーターにも女性が複数含まれます……
とのこと。つまり女性イラストレーターのかたは
「キモい」とも「性的搾取」とも思ってないようです。
イラストレーターなんて腐女子率の高い仕事でしょうから、
私に言わせれば、腐女子の方々の感覚のほうがまともだ(笑)
少なくとも私は、腐女子の皆さんを応援します(笑)
原作を読んでいる最中です。確かに、大体の敵においてその背景が描かれ、鬼になっても仕方ない状況が描写されてます。これは映画からでは殆ど分からなかった側面です。
ただ今のところ、これも人力様の考察と被りますが「基本的に登場人物全てが不幸なこと」がヒットの最大要因の気がします。腐女子要素は火をつけたきっかけなのかも知れません(ちなみに自分も腐女子嫌いではありません)。
人力様より下の世代は「社会に出たときから不幸」です。勿論、その子供達も「世の中甘くない」という雰囲気で育っています。不幸とその癒し、が今の世代の共感を呼んだのだと推測します。
私はスターウォーズファンですが、スターウォーズファンは「ローグワン」というスピンオフの感想がはっきり別れます。主人公達が最後皆殺しになりながら希望を残すラストは私にとっては最高でしたが、これを駄作と呼ぶ(特に上の世代の)人とは決して友達になれない、のと似ています(例え悪くてすみません)。
DV、貧困、親の死、虐待(ネグレクト含む)…漫画のヒットが、現代の闇を反映していることに政治家達が気付いていたら、安易に引用なんて出来ない筈ですなのですが…。
つまりこの作品のキーワードは「ほわほわ」。
これは獣に育てられたいのすけが人の優しさに触れたときの擬音です。
心を無くした人が、人間性を取り戻す、読んでいてほわほわする…。それが丁寧に描かれた、正統派バトルマンガ、しかも展開が早いので、そのほわほわが頻回に来る、そんな所がこの作品の根元的な魅力だという気がします。
って…人力様のご意見そのままですねコレ…
提の作りだと思うんです。
「カワイイ私がイケメンに言い寄られて振り回されて、
でも私は心の傷を抱えてて……」
わかりやすい。男のオタクでも構図が理解できる。
これがもう少し進化すると、一昔前のケータイ小説とか
になるんじゃないでしょうか。こっちもやってることは
わかる。なんか絶望的な心境の中でナルシシスティック
に酔うという、太宰治っぽい構図です。
で、少女漫画は女の子が不安定になってイケメンが女の
子の「心の傷」に踏み込んでくるところで盛り上がる訳
ですが、これ明らかに「苦しい」んです。男の感覚だと
ノル森とかエヴァとかに通じるような、シリアスなも
の。
エンタメとしてはどこかでお腹いっぱいになって限りな
く卒業に近い感じになって、あとはイケメン同士のイチ
ャコラを他人事として眺めながら「キャー」って言って
る方が楽しくなっちゃうのだと思います。ノル森とかエ
ヴァを四六時中っていうのは、普通に考えて疲れます。
じゃあ、なんで男は主人公に自己投影できるのか?
「心の傷」を踏み荒らして最終的には「女の子」を手に
入れる側に立ってるか、ヒロインに母性とか美を見出し
て癒やされるかのどっちかなので、別に辛くないからで
す。
「強くなって獲得する方向にいくナルシシズム」はどこ
までも行けるけど、「弱くなって喪失する方向に行くナ
ルシシズム」は、健康な人ならどこかでぽっきり折れて
いなくなる。
「男の子」は「夫・父」にグレードアップするまで「男
の子」のままだけど、「女の子」はたいてい「妻・母」
になる前に「女の人」になってしまう。
「女の子」も強くなればいいって? 彼女らはそれが
「モテない」のをよく知っているのでしょう。「女の
子」はか弱くなければ。そしてか弱く居続けられなくな
った段階で、彼女らは「女の子」を卒業する。
別にやりたいことは変わらなくてイケメンを想像的に支
配することなのだけど、「イケメンが振り向いてくれる
のは女の子だけ」なので「いーもんね、自分の好みでイ
ケメン同士絡ませるもんね」という強火の歪んだ(?)
愛情表現にならざるを得ない。
オタク的に、腐女子にはなんとなく頭が上がらない感じ
がするのですが、こう書いてみると当然って感じです
ね。彼女らは怖い。我々の上を行ってる。
娘の知り合いに腐女子が幾人か居るので、観察している
と面白いです。
「オレ様系」も定番ですよね。少女漫画からの流れか
と。オタク女子とか、腐女子とか、ひと昔前は男子のオ
タク同様に「イケテナイ=自己評価が低い」子が多かっ
た。彼女達は「自分達に恋愛なんて1000年早い」っ
て思ってる(そのくせ性的関心は高い)。多分、そんな
「イケテない」子同士が「会話を成立」させる為には、
「作品の女子に自己投影する様な会話はNG」なのでしょ
う。だから男同士のカップリングで盛り上がるか、「オ
レ様主人公」を「マジあり得なく無い」」なんて茶化し
ながらも盛り上がる。
男子オタクが内の籠って、「ボクだけの〇〇タ
ン・・・」ってなるのに対して、女子は「共感」や「l
共有」を大事にする様ですね。ただ、「共感」が否定さ
れると即敵認定となる。
私、スターウォーズって途中で挫折してしまいました。
CG主体になってから・・・見なくなってしまった。
それはさて置き、「生まれながらに過度の期待をしない
世代」といのがバブル崩壊後に生まれた世代の特徴です
よね。まさに私の子供達の世代。豊かさよりも、貧しさ
に共感を覚える世代。40年代以前も貧しかったのです
が、豊かさへの憧れを持っていた。だから、あの当時、
アニメや漫画で描かれる貧しさには「救い」があった。
『鬼滅の刃』は現代の救いの物語なのかも知れません
ね。原作読んでいないので良く分かりませんが。
24年組は凄い。竹宮恵子と萩尾望都ってデビュー前か
ら友人だったのですね。WIKIで調べてビックリしまし
た。マンガは少女漫画の方が圧倒的に「高位」の存在だ
と私は感じています。少年漫画が「神話の体系」を再生
産し続けるのに対して、少女漫画は「私小説」の進化系
なのだと私は考えています。「圧倒激な私」が支配する
世界。世界感自体が主観的です。
アツギタイツ・・・慌ててググったら、これダメなヤツ
じゃん。もう、タイツの蒸れた匂いがして来る。ムチム
チ感がもうタマラン。
私鉄の美少女キャラにも何か物言いが付いていましたよ
ね。