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『ペンギンハイウェイ』・・・日本的SFの傑作

2018-09-06 01:23:00 | アニメ
 


『ペンギンハイウェイ』より

■ 日本的SF ■


SF小説の本場のアメリカで最も権威のある賞と言えば「ヒューゴ賞」と「ネビュラ賞」ですが、日本でこれに相当するのは「日本SF大賞」と「星雲賞」でしょうか。実は「ネビュラ=星雲」という意味なんですけどね。

「ネビュラ賞」はSF小説や映像作品の脚本などテキストベースが受賞対象ですが、「ヒューゴ賞」は分野が細分化されておりSF小説のみならず映像作品の分門も設けられています。

一方「日本SF大賞」や「星雲賞」は基本的に1作品を選ぶ賞で、「日本SF大賞」はジャンルを問わないバラエティーさが特徴。一方、「星雲賞」は「ネビュラ賞」同様にテキストベースが受賞対象です。

ちなみに、日本SF大賞の受賞作品にはこんな作品も・・・

第2回(1981年) - 井上ひさし 『吉里吉里人』
第4回(1983年) - 大友克洋 『童夢』
第10回(1989年) - 夢枕獏 『上弦の月を喰べる獅子』、特別賞 手塚治虫
第17回(1996年) - 金子修介 『ガメラ2 レギオン襲来』
第18回(1997年) - 宮部みゆき 『蒲生邸事件』、庵野秀明 『新世紀エヴァンゲリオン』
第29回(2008年) - 貴志祐介 『新世界より』、磯光雄 『電脳コイル』
第37回(2016年)- 白井弓子『WOMBS(ウームズ)』、特別賞 『シン・ゴジラ』

かつてSF小説という狭いジャンルに閉じ込めらていたSFですが、日本においてはマンガやアニメ、そしてラノベの中で大増殖しています。

ハードSFが主流の欧米に大して、日本のSF小説の特徴は「日常的」である事。星新一や北 杜夫の名が真っ先に浮かびますが、筒井康隆なども日常系の作家でしょう。日常の中の不思議としてSF的要素が存在したり、日常をファンタジー化する為にSF的設定が用いられるケースが多い。

日本のSF小説が日常系に柔らかい作品が多い事と対照的に、マンガは意外にもガチガチのハードSFも多いのが特徴かも知れません。白井弓子『WOMBS(ウームズ)』なんてハードSFとして読み応え十分です。移住した惑星の原生生物は空間転移能力を持っていますが、その胎児を人間の子宮に移植して妊娠させる事で人間に空間転移能力を持たせ、「転送兵」として利用すると言う内容ですが、「転送兵」は幻覚を見る様になり、精神に異常を来す者も・・・。しかし、それは原生生物との交流の始まりでもあり・・。このマンガ、英語でテキストベースで書かれていれば「ヒューゴ賞」や「ネビュラ賞」を確実に受賞するでしょう。ジェンダーを扱った名作として、アーシュラ・K・ルグインの諸作に比しても全く引けを取りません。


■ 森見作品としては異色の『ペンギンハイウェイ』 ■

「日常系」の作品が多い日本のSF小説で、意外が人物が「日本SF大賞」を受賞しています。森見登美彦です。森見氏と言えば『四畳半神話大系』や『有頂天家族』といった京都を舞台にしたファンタジー系というか幻想小説の名手ですが、2010年の「日本SF大賞」を『ペンギンハイウェイ』という小説で受賞しています。

『ペンギンハイウェイ』は、ある日、新興住宅地に大量のペンギンが突然出現するという奇想天外な物語で、その謎を小学校4年生のアオヤマ君が研究するというお話。まさに日本でしか生まれないであろうSFです。(欧米のマジックリアリズム小説を除けば)


アオヤマ君は真面目な勉強家で、自分が将来「偉く」なる事を確信しています。「結婚してほしいと言ってくる女の人もたくさんいるかもしれない。けれどもぼくはもう相手を決めてしまったので、結婚してあげるわけにはいかないのである。」

主人公の1人称で語られる小説ですが、小学4年生のレベルで語られるのがミソ。これ、現代小説の礎を築いたジェームス・ジョイスの『若き芸術家の肖像』を先ず思い浮かべますが、マジックリアリズムの旗手のスティーブン・ミルハウザーの『エドウィン・マルハウス―あるアメリカ作家の生と死』なんて作品も彷彿とさせます。

■ 純粋な「オッパイ星人」のアオヤマ君 ■

アオヤマ君が結婚相手に決めているのは、近所の歯医者で助手をしている「おねえさん」。「おねえさん」はアオヤマ君の話相手でチェスの先生でもあります。チェス盤を挟んで向かい側に座る「おねえさん」の「おっぱい」にアオヤマ君は夢中です。一日30分はおねえさんの「おっぱい」について考え、頭に来た時も「おっぱい」の事を考えると気持ちが鎮まります。

おかあさんのオッパイを見ても何にも感じ無いのに、おねえさんのオッパイは何故こんなに不思議な気持ちになるのかを日々真剣に考えるアオヤマ君。性に目覚める直前の、だけど女性を異性いて意識し始める頃の少年の純粋なオッパイへの興味と憧れは、尊敬にも似たおねえさんへの憧れとシンクロしています。

アオヤマ君は将来おねえさんと結婚する為に、後何日で自分が大人になるか毎日数えていますが、そこに性的欲望は皆無です。ただ純粋に憧れのおねえさんと一生一緒に居たい、結婚したいと願っています。

■ SF的謎の数々 ■

そんな真面目で研究熱心なアオヤマ君の街に、ある日を境にペンギンが大量に出現します。そして、そのペンギンを作り出しているのが・・・おねえさん・・・。

頭の硬いSFファンには、「こんなのの何処がSFなんだよ」とツッコまれそうな設定ですが、実はおねえさんとペンギンと、そして森の奥の秘密の場所には、宇宙的規模の繋がりが・・・。


■ 森見作品としてはアニメ化に適した『ペンギンハイウェイ』 ■

『四畳半神話体系』『有頂天家族』『夜は短し歩けよ乙女』と森見作品はアニメ化され、若いファンも多い。ただ、原作が映像的イメージで溢れているだけに、それを映像化する事は意外にも難しい。文章から想起するイメージの方が、アニメで描かれるイメージを凌駕するからです。

一方、森見作品としては異色の『ペンギンハイウェイ』は、日常の風景が基本なので以外にも映像化に向いています。普通の新興住宅地の中をペンギンが闊歩するというビジュアルイメージもキャッチーで映像向きです。

今劇場公開されているアニメ『ペンギンハイウェイ』は、「台風のノルダ」でその名を知られる様になったスタジオコロリドの制作。監督は若手で注目を浴びる石田祐康。


『ペンギンハイウェイ』より


私的には、「おねえさん」のこのビジュアルだけで、映像化の価値はあると思える。そして内容的には、『君の名は。』を観ていないとうそぶく細田守がこの作品を観たら、地団駄踏んで悔しがるだろう!!

まさにアニメがアニメである理由が詰まった一作と言えます。

間違い無く本年最高のアニメ映画であると断言する。(劇場版『若おかみは小学生』が控えていますが)

「おっぱい」という言葉に胸がときめいた少年時代を過ごした貴方、そして今も「おっぱい」という言葉に心躍る貴方・・・かつて少年だった全ての男にお勧めの作品です。(もちろん女性も)

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4 コメント

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Unknown (ゆうこ)
2018-09-06 13:24:14
>おかあさんのオッパイを見ても何にも感じ無いのに、おねえさんのオッパイは何故こんなに不思議な気持ちになるのかを日々真剣に考えるアオヤマ君・・・
そりゃ仕方ないっす・・お母さんのおっぱいは垂れてるけどお姉さんのは弾力があってゴムまりみたいだもの

最初に読んだ諸星大二郎の暗黒星雲は10かいくらい読み返して岡谷の尖石考古学博物館に行ってしまいました

フランク・ハーバートの【デューン 砂の惑星】も5巻までは最低5回は読みました
6巻からは間延びしてなくてもいいかも・・4回で終了したほうがよかった

ここで今の日本の漫画やアニメを知ることができてうれしいです
休むことなく進化するアニメ・・面白いですね
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Unknown (よたろう)
2018-09-06 21:06:13
『羽貫さんといい歯科衛生士フェチなのか?作者は…』

『のんのんびより ばけーしょん』人力様はお気に召さなかったようで残念です。
私は旅先の民宿の娘「あおい」となっつんが徐々に打ち解けて行く所とか好きなんですがね。
特に最終日に民宿を去る件「いつものれんちょん黄昏」→「実はなっつんがあおいとの別れを惜しみ泣きじゃくる」
→「実はひかげもグズッていましたとさ」という三段活用の演出は巧みで一番好きなシーンなのですが
楽しい「ばけーしょん」の終わりと新しい友達との別れを寂しくも湿っぽくなりすぎない絶妙な塩梅です。
成長したあおいには是非バドでインターハイに出場して、なっつん達との友情パワーで綾乃を完膚なきまで叩きのめして欲しいですw

『ペンギンハイウェイ』実は劇中に起きた「異常」について殆ど謎や因果関係が解明されていないのですが。
仰る通り、主人公のアオヤマ少年の主観でこのアニメが描かれているのであのような結末になるのには納得です。
しかしこのアオヤマくん子供ながらその語り口は如何にも森見作品の主人公的で中々生意気でしたねw
とはいえ私もこのような体験に憧れていた故の嫉妬も含んでますね、お姉さんの魅力がこの作品の大半を占めています。
実も蓋もない言い方ですがやっぱ「おねショタ」こそ至高「ケモショタ」より断然「おねショタ」ですw


というわけでどちらも少女たちと少年の夏の終わりの哀愁が感じられるジュブナイル2作品では?と私は感じたのです。
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Unknown (人力)
2018-09-07 08:14:19
ゆうこ さん

このブログの真の目的は「中高年にアニメやマンガやラノベの面白さを伝える」事にありますので、本日のゆうこさんのコメントは本当にうれしいです!!

諸星大二郎とは、またディープな趣味をお持ちですね。70年代までのサブカルチャーは本当に深みがありました。それに比べると現在のマンガやアニメはいささか軽い。これは受け手の問題なのですが、アングラやサブカルという言葉が懐かしく感じる昨今です。
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Unknown (人力)
2018-09-07 08:27:21
よたろう さん

映画版『のんのんびより』に限らず、私はTVシリーズが火ヒットして制作される劇場版のアニメって基本的に評価していません。TV版のファンを対象に制作される作品には、どうしてもある種の「ぬるさ」が存在します。

ただ、『パトレイバー』の様にTV版とは別の表現を徹底した作品や、『クレヨンしんちゃん』の様にTV版の枠を大きく逸脱した作品は、独立した映画として評価しています。

『のんのん』ですが、流石に吉田玲子の脚本だけに構成はしっかりしていますし、笑う所、泣かさせる所のツボは押さえています。ただ、それがことごとくファンの制作者との予定調和の中に納まっている事が、私的には面白く無いと感じる点。たしかに夏美と島の少女の交流などは感動的ではあるのですが・・のんのんでやる必要性が有るのかと言えば微妙。確かに「村」という閉鎖的な社会の外に出た事の無い夏美が、初めて同じ年齢の少女と知り合う意味は非情に大きいのですが、そこにテーマを絞るならば、もっと二人の交流に尺を割くべきです。それこそ、皆でゾロゾロと沖縄旅行などに行かず、ペアチケットが当たってコマちゃんと夏美の二人で沖縄に行くぐらいの絞り込みがあっても良かった。

そういった思い切った割り切りが出来ないのが「ファンムービー」の限界なのかなと・・・。

一方でTV版でのレンちょんと都会の女の子の触れ合いは、最低限のパーツを効果的に使っており秀逸さが光ます。このミニマム感こそが『のんのんびより』の魅力なのだと、映画版を観て再認識しました。

まあ、贅沢な不満では有るのですが。
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