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経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

「かみちゅ」・・・日本人で良かった

2010-01-11 16:34:00 | アニメ



■ 中学生で神様 ■

「私、神様になっちゃった。」

中学校の昼休み、
窓からは低い山並みと海が見えます。
お弁当を食べながら、
童顔の女子中学生が発した意味不明の一言。

相手のちょっと大人びた女の子は物憂げに
「何の?」と問います。
「分かんない、
 昨日の夜なったばかりだから。」
そう答える少女・・・。

現役中学生で神様。
こんな「とんでも無い」設定で、
物語は淡々と進行して行きます。

そんな2005年のTVアニメ「かみちゅ」は、
43歳の私を完全に虜にしました。

子供が見出したアニメ「デュラララ」の完成度が高いので、
製作会社のブレインズ・ベースの過去の作品を探していて、
思わぬ掘り出し物に出会いました。

■ 神様が普通の日本人 ■

尾道の町を舞台に、
神様になった女子中学生の「一ツ橋ゆりえ」と、
その親友「四条 光恵」、
神社の娘「三枝 祀(まつり)」の三人を中心に、
物語はゆったりと展開して行きます。

「ゆりえ」が神様になって変わった事と言えば、
「祀(まつり)」の神社が若干賑わった事と、
昼休の「無料神様相談室」に、
女子生徒が恋愛相談に来る程度。

神様の「ゆりえ」には神通力が備わりますが、
それを頼る事無く、
周囲の人達は、
普通に神様を受け入れて生活しています。

この事を視聴者が不自然に感じないのは、
演出の手腕もさる事ながら、
日本人には生来、
神様がいつも隣に居て、
万物の全てに神様が宿っているという感覚が
備わっているからでしょう。

この、日本人の精神の深層に訴える時点で、
「かみちゅ」の成功は約束されています。


■ 尾道の街や自然が主役 ■

神様の存在にかかわらず、
普通に町に朝が来て、夕暮れが来て、
夏が来て、冬が来ます。

かつて大林宣彦が、
「転校生」「時を駆ける少女」「さびしんぼう」の
尾道三部作で描いた世界を、
このアニメは80年代の空気感もそのままに
丹念に描き出して行きます。

ノスタルジーをくすぐって止まな尾道の景色が
物語の主人公であるとも言えます。

■ ジブリを超えて行く日本アニメ ■

スタジオジブリが切り開いた
穏やかなアニメの地平の先へ、
今、日本の若手の作家達は進みはじめています。

「かみちゅ」にしても
「千と千尋の神隠し」や「猫の恩返し」の影響は多大ですが、
既に現在のジブリが失ってしまった初々しさや
ハっとする瞬間に溢れています。

「魔女の宅急便」に似た世界観ですが、
少女の成長の物語では無く、
自然に移ろう日常の集積である所が、
むしろ現代的感覚であるとも言えます。

神としての成長よりは、
普通の中学2年の女の子としての成長を
細かな所作や会話の積み重ねで描き切ります。
この演出力は並大抵ではありません。

3人の少女がイスに座る時、
それぞれ個性が現れます。
子供の様な無防備な「ゆりえ」、
ヒザを開いて足を投げ出す「祀」、
ヒザをそろえる「光恵」。

こんな、些細な描き方一つで、
3人に2次元の世界を超えた
息吹を吹き込みます。

■ 30分を1時間にも感じさせる充実感 ■

TVアニメですから1話30分です。
ところが、30分が1時間にも
2時間にも感じます。

起承転結がしっかりしていて、
1話1話に破綻がありません。

とかく設定紹介に終始してしまう第1話も
設定紹介は「私、神様になっっちゃった」で終了。
しかし、その後にエピソードを重ねる事で、
違和感を取り除き、
さらには「魔女の宅急便」や「千と千尋」に匹敵する
世界と物語の拡張を達成してしまいます。

■ コタツの中だけの1話 ■

極めつけはコタツの中でけで完結する
正月のエピソード。

正月三が日を神社で忙しく過ごした「ゆりえ」は、
1月4日はコタツで終日ごろ寝です。
そこへ家族が去来して、
何となく話は展開してゆきますが、
結局、「ゆりえ」はコタツから出る事はありません。

しかし、コタツの中を横断して電話に出る、
新聞紙を丸めてTVのスイッチを入れるなど
「ある、ある」という仕草の連続で、
30分を飽きさせる事はありません。

この「何にも起きない」事が、
現代アニメの現代性なのでしょう。

「涼宮ハルヒ」のオリジナルエピソードや
「けいおん」において京都アニメーションも
同様に何も起きない1話にチャレンジしています。
「けいおん」などは、キャラクターからして
「かみちゅ」の影響を大きく感じます。

■ 大人の存在と不在 ■

「かみちゅ」は、きちんと大人が存在するアニメです。

浮世離れした「ゆりえ」の両親。
生活力皆無の「祀」の父親。
街の人々や学校の先生、
さらには中曽根首相風の総理大臣まで
しっかり大人が存在します。

この大人の存在が
現代のネバーランドの様な
大人不在のアニメとは一線を画す、
しっかりとした世界観を
物語に与えています。

しかし、「大人の存在」よりも印象的なのは
「大人の不在」です。

「祀」姉妹の母親は既に他界しています。
「光恵」の両親は出てきませんが、
彼女が買い物や家事を担っている事から、
母親の不在を強く感じさせます。

「居るべき大人の不在」が落とす影が、
物語にとても深い奥行きを与えています。

これは、「タイガーマスク」や「てんとう虫の歌」など、
昭和40年代のアニメに良く見られた欠落感ですが
その「欠けた」のもの存在の大きさを
単に暗示させるだけで留める
脚本と演出の節度の舌を巻くばかりです。

■ メディア芸術際 ■

一見するとロリオタアニメとも見える「かみちゅ」に、
文化庁は2005年のメディア芸術大賞の
アニメ部門の優秀賞を与えています。

お役所が与える賞にロクな賞はありませんが、
このメディア芸術大賞だけは、
毎年、素晴らしい作品をフューチャーしています。

2009年のアニメ部門は予想通り
細田守の「サマー・ウォーズ」が大賞を受賞しています。

今回調べて分かったのですが、
首が飛び、内臓が飛び散る
過激パンンク時代劇の「無限の住人」は
何と1997年(初回)の
マンガ部門の優秀賞を受賞していました。

アニメとマンガの国に相応しい賞です。
これからも、芸術的な短編から、
エンタテーメント一杯のTVアニメまで、
バランスの取れた選考を期待します。

メディア大賞の選考作品を見る度に
日本人に生まれて良かったと実感します。









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