■ 久々にMTBで鉄下駄トレーニング ■
日差しに春を感じる今日この頃。このシーズンの山は装いこそ冬のままですが、なんとなく春を待ちどうしくて木々が浮き浮きしている感じがします。乾いた落ち葉の臭いにも、冬とは違う甘い香りが混じります。
そんなこんなで、本日は早春の山を堪能すべく、フルリジットMTBのラレー君で出かけます。養老渓谷往復の140Kmか、麻綿原高原か清澄山のダートコースの何れかは、脚との相談。
■ 大福山から久留里に抜けてみる ■
家を10時に出たので養老渓谷駅に到着したのは1時20分。ブロックタイヤをブンブン言わせて国道は30km/hオバーで飛ばして着ましたが、メーター読みの平均時速は24.2Km/hでした。25Km/h達成は成らず・・・。
ここから鴨川に出るか、浦安方面に戻るか迷いましたが、大福山から久留里に抜けてみることにします。途中ダートや荒れた道があってもMTBならば大丈夫。初めてのルートの偵察にはもってこいです。
■ 意外に登りに強いMTB ■
クロモリ極太チューブのフルリジットMTBのラレー君は、多分、軽量ロードの2倍以上の総重量が在ります。ブロックタイヤを装着したホイールだけでも、なかなかの重量です。おまけにフロントはシングルに改造していますので、普通に考えて斜度15%を超える坂道はきつい。
しかし、不思議な事にラレー君は上り坂が得意です。極太の横扁平されたクロモリダウンチューブがBBをがっちり固定している為、BB回りの剛性は相当ののです。ですから漕ぐ力はほぼ100%推進力に変換されている感じ。さらに、ブロックタイヤが地面をしっかり捉えるのでトラクションを存分にかけてもスリップで力が逃げる事もありません。
フロントシングルなのでギアーは重めになりますが、グイグイと力強く、そして気持良く登るので、私はロードバイクよりもラレー君の山登りが好きです。(疲れますけどね)
■ 木の芽は平地ほどは膨らんでいませんが、日差しは春を感じます ■
大福山の山頂は梅が咲いていました。まだ、スミレの花には早く、サクラの芽も膨らんでいませんが、このシーズンの山は何となく春を待ちわびて落ち着かない感じがします。これから3月にかけてが、一年を通じて一番好きなシーズンです。勿論、春の花の頃や新緑の頃もステキですが、この時期の押し込められた生命観には独特のものが有ります。
■ 大福山って砂山? ■
房総の林道は崩落で通行止めになる事が多いのですが、その理由は地層が弱い事に有ります。大福山の山頂付近の斜面を見ると「砂」で出来ています。そして、少しずつ崩れています。
実は千葉県は全国一の山砂の産地で、君津市や富津市は建築工事用の山砂の採取が盛んです。山を削って大型ダンプで搬出します。鹿野山の西側にかつて標高204mの浅間山丘陵がありました。高度成長期に東京湾を埋め立てたり、高層建築の骨材に使用される為に山は削られ、現在は213haの広大な荒地が広がっています。(大規模太陽光発電所が建設されましたが・・)。この様に良質な山砂で出来た千葉県の山は、東京などの開発や埋め立ての為に大規模に開発されました。現在でも自転車で房総半島を走ると、山砂採取場をいくつも見る事が出来ます。そして大型ダンプカーが砂を満載して頻繁に行き来しています。
大福山から久留里に向かう尾伝いの道路は道幅も広く、その周辺にも山砂の採取場と思われる所が何か所か有りました。
■ 房総に分布する熊野神社と厳島神社 ■
大福山から一気に下ると道は県道32号線に突き当たります。なかなか立派な道ですが、これを左折すれば久留里に行けるはず。
途中、川谷という集落で赤い鳥居を発見。房総を自転車で走ると、木造の赤い鳥居に何度も出会います。一つ一つ寄って行きたいのですが、なかなかそれも出来ず、それでも「これは!!」とビビーッと来た所にはなるべく寄る事にしています。
こちらは熊野神社でした。熊野の12の神々をまつる神社ですが、平安後期広まった浄土教では熊野は「浄土」とみなされた為、人々の信仰を集め全国に広がった自然崇拝の神様です。全国には3000社以上あるとされますが、千葉県は福島県に次いで熊野神社の多い県です。
南房総の地名は白浜や勝浦など紀伊半島の地名と同じ所が多いのですが、これは紀伊半島の漁師が嵐で遭難して房総に流れついた事に由来していると言われています。彼らは紀伊半島の漁法と共に信仰も房総に広めて行きました。熊野神社の総本山は和歌山県ですから、流付いた漁師たちは熊野神社を信仰していたのでしょう。
同時に房総半島南部では厳島神社も良く目にします。厳島神社は平家が信仰していましたが、元は瀬戸内海の漁師を中心に信仰を集めていました。館山周辺には平家の落人の集落ある様ですが、房総の内陸部にも厳島神社が点在するのを見ると、妄想をたくましくしてしまいます。
鳥居の有る急な階段を登ると、こじんまりとした境内が現れます。風化した小さな石仏が並んでいます。
狛犬は仲良く2対が並んでいます。
社の裏には石で出来た祠が並んでいます。奉納されたものでしょか、風化の度合いから時代もさまざまな様です。
あつての御神木でしょうか。
今は社の裏には送電線の鉄塔がそそり立っています。
左は不動明王でしょうか。不動明王の原点はインドのバラモン教やヒンドゥ教にあると言われていますが、道祖神信仰と共に日本中に広まります。不動明王は修験道で信仰されていますから山岳信仰と結びつきの深い仏様でも有ります。古来修験道の聖地とされた熊野との結びつきも強いのかも知れません。
■ 水の町「久留里」と新井白石 ■
県道をしばらく走ると、城下町の久留里に到着します。
久留里は水が美味しい事でも有名な町です。道端の至る所に写真の様な小型の給水塔が建っています。ここから各家庭に水が引かれています。
あれ、この給水塔の横、良く見ると「新井白石居宅跡」と書かれています。新井白石は江戸時代の有名は儒学者で6代将軍・徳川家宣に幕閣に取り立てられます。新井白石は儒学思想を基に、文治主義の「正徳の治」を推し進めます。
白石は青年時代を久留里藩で過ごした様です。12才にして藩主の代筆を務める程の秀才でした。この後、お家騒動で久留里藩を追われた後、江戸に出て木下順庵の門下生となり頭角を現します。
白石の住んでいた所は、現在は自治会館が建っています。
さすがに江戸時代の房総の中核都市の一つであった久留里の街並みは、当時の城下町の雰囲気を残しています。水が美味しいので造り酒屋が何軒もあるのも特筆に値します。
久留里城は再建されて現在は観光スポットになっています。先日行ってみましたが、この内要は後日。
久留里からは通い慣れた道。久留里街道を千葉方面に進み、途中で大多喜街道方面に抜けて八幡宿から曽我に付いた時点で130Km。まだまだ余裕ですが、娘が一人で留守番なのでカミサンから今日は早く帰る様に厳命されています。曽我から輪行で、浦安へ。
本日はMTBで鉄下駄トレーニング&プチ観光ぢした。
走破性が高く、路肩の荒れが気にならないMTBのプチ旅行は楽しいですね。
数学的な技術使えば自宅バレしてしまいますよ。
でも広島カープの衣笠みたいですね。見習います。
あはは、確かに算数の問題みたいですね。A君は家からっ
時速30Kmで1時間30分走って・・・みたいな。
またきます
日経18000円を抜けましたね。3月末まではイケイケドン
ドンの決算お化粧相場ですかね。