これは金哲義お得意の大河ドラマだ。3世代の年代記である。ただ、扱う題材が従来の自分のまわりのことではなく、自分の外の世界に題材をとる。前回は映画館。今回は美術館と、場所がまずある。ここ数年新しい試みとして、この「場所」から始まる、というパターンは興味深い。それが小さなコミュニティであることも、何らかの意味を持つかもしれない。まぁ、これはたまたま映画館であり、今回は美術館であっただけなのかもしれないけど。
映画や白磁というものより、まず映画館、でありフィルムへのこだわり、今回は白い壺自身ではなく、朝鮮の陶器の収集であり、その保管場所である美術館の設立。物と背景の両面から、アプローチするのが金哲義さんらしい。彼にとって大切なものはまず場所である。なぜ、ここなのか。ここでどう生きるのか。この美術館にやってきた中学生の少女がここに通うことで知るさまざまなできごと。それが描かれていく。
ここが出来るまでの長い時間。そこで初めて、ここに生きた人たちの姿が浮かび上がる。ある家族が朝鮮から海を渡って日本にやってきた。祖国を離れ、異国で生きる苦しみ。その末、ここに自分の場所を築き上げる。チョン・ジョムンとその家族のお話である。理不尽な父の背中を追いかけたジョムンを少年時代から、現代まで、時代を追って描きながら、彼の死後彼の残した高麗美術館を守り続けることで、息子のフィソンが今、何を求め、何をしようとするのかを探る。彼の目から見た父の心にあったものに迫る。
3世代のジョムンを交錯させ、父、息子、その子供へと、世代を超えて通じる想いが綴られる。ジョムンとその兄ギムンの少年時代を描く部分がいつもながら素晴らしい。(中野π子と木場夕子が演じる)そこがあるから大人になってからの部分が生きる。