
チャン・イーモウの最新作は『HERO』『LOVERS』に続く武侠映画だ。先の2作品も凄かったが今回はその比ではない。この作品を作るために今までの作品があったのではないか、と思わせるくらいに完璧な映画だ。娯楽アクション映画という枠は外さない。だが、そのストイックな映像と、ドラマ作りはエンタメの域を超えている。とことん突き詰めてしまうと、活劇のはずなのに、それがアートになる。墨絵のタッチで全編を貫くモノトーンの映像が美しい。頑なで鮮やかな白と黒の映像は静謐と緊張を強いる。しかも終始降り続く雨。ここまで徹底的にされると、もう何も言えない。まいった、としか言いようがない。
お話自体はある種のパターンだ。だけど、なんと先が読めないのだ。どうなるのか、わからないで、突き進む。パターンなのに先が読めないなんてふつうありえない。だから緊張する。終盤はどんでん返しの応酬となるのだが、なのに、あざといわけではないし、納得のいく驚きを提示する。こんな映画は今までなかった。その怒濤の展開には唖然とした。
もちろんCGを使わない壮絶アクションの美しさも想像を絶する。映像の圧倒的な迫力もそうだが、お話(内容)がシンプルなのに寓話的で奥が深い。これがアート映画だというのはそういうことだ。でも芸術映画というのは少し違う。この映画のシンプルな美しさはアートと呼ぶ方がしっくりくる。『影武者』という日本語タイトルより原題の『影』だけのほうがいい。こんなにもシンプルにいろんなものを絞り込んだ。だからこの物語が寓話になる。スケールの大きさとお話の単純さが見事に重なり合い、この世界観を構築する。水墨画のタッチもそこにしっかり重なり合う。
ダン・チャオが都督と影武者の二役を演じるのだが、20キロほど痩せた(らしい)のでまるで別人。影と本人がこんなにも別人になっている状態で向き合う、というのも凄い。影が主君の代わりに本人以上の働きをすることが求められる。自分になるために他人となりきり、その本人すら出来なかったことを成し遂げる。武侠映画だから、そこは戦い勝つことが求められる。
ありきたりなお話かも知れない。だが、それがこんなにも新鮮で、驚きに充ち満ちているのは、ここには人生の真実があるからだ。不可能を可能にすることで、人は自分を乗り超えていく。その先には果たして何があるのか。そこには誰もが見たこともないような風景が広がる。戦いの果てに真実の愛を見いだすこと。それがこれまで生きてきた意味だと知る。もちろんそれが答えではない。そこが今の出発点なのだ。その先にあるものを求めて物語は続く。