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まだ25歳の若い監督がこういう映画を撮る時代が来たのか、と思うとなんだか映画界は変わったのだな、と感慨も一塩。それにしても凄い時代だ。才能があればちゃんと映画監督になれる。大学を出たての若い才能が、劇場用長編映画を作るのだ。すばらしいことだけど、なんだかなぁ、とも思う。
彼女の場合は女優としていくつか映画にかかわり、大学で映画を学び、中短編の映画を作り、実績を(自分なりのキャリアを)積んだ上でのチャレンジなのだろうが、それにしても題材が渋すぎる。池田エライザもそうだけど、派手な映画ではなく、自分が興味を抱いている問題と正面から向き合い、等身大の映画作りを成し遂げる。それは低予算を意味しない。身の丈に合う作品作りだ。興行上での成功より、自分の想いを大事にする。そんな恵まれた映画作りがどうして可能なのだろうか。
もちろん彼女の才能と努力が実を結んだのだろうけど、不思議な時代だ。もちろん安易な映画も目立つ。だけど、作れないより作れることが大事だ。そんな環境が今の時代なのだろう。とてもいいことだと思う。後はちゃんと結果を出すこと。持続させること。スマホひとつで映画は作れる。それを劇場公開することも可能なのだ。では、何を作るのか?小川沙良監督、小川未祐主演。児童養護施設を舞台にしたふたりの少女の出会いと別れを描く。
18歳になり次の春には高校を卒業するからこの児童養護施設から出ていかなくてはならない女の子、花が主人公だ。彼女の暮らす施設に入所してきた8歳の少女との心の交流が描かれる。なかなか心を開けない頑な少女の姿にかつて自分の姿を重ねる。10歳の年の差。あの頃の自分と今の自分。この10年で何が変わったのか。この施設での暮らし。あと少しでここから出ていくという不安。自分自身も少女から大人の変わらざるえない。そんな現状の中で傷ついた幼い少女に何をしてあげられるのか。親からの虐待を受け、それでも母親を慕う。自分もまた今も母親を求めているから、彼女の気持ちはわかる。だけど、いや、だからこそもう母親には会わないという決意をしている。この夏、自分に何が出来るのか。
映画はそんなこのふたりの少女に寄り添うのだが、もちろん小川未祐演じる花の視点から綴られていく。だけど、映画は説明的な描写は一切ない。それどころか、いささか説明不足で、彼女の心情がわかりづらい。だけど、このくらいがいい。小川沙良監督は、彼女に寄り添いつつも、ちゃんと距離も取る。76分という長編映画としては短すぎる上映時間は、ムダを排除した結果だろう。必要最低限の情報しか観客には与えない。そこから推し量ればいい。監督も主人公も内面の心情を吐露することはない。そんな抑えたタッチが心地よい。
ファーストシーンで花が金魚を海に放し、泣く姿が描かれる。それはラストと呼応するのだが、花が心を見せるのは、そこだけだ。彼女は母親に言われた「いい子でね」を実践する。でも、そんな彼女が痛ましい。(子供には子供でいて欲しい。
この映画は、そんな彼女が失ったものを取り戻すための戦いが描かれているのだ、と理解する。