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映画・演劇のレビュー

西加奈子『舞台』

2014-03-15 08:28:00 | その他
「生きているだけで恥ずかしい」というコピーに心惹かれて読み始めた。というのは、嘘です。西加奈子の新刊だから、もうそれだけで読むし。

 それにしてもこのあからさまな『人間失格』へのオマージュ(?)は、すごい。「葉太」なんていう主人公のネーミングと、書き出しだけでみんな、あっ、と思うだろう。自意識過剰の演技男の愛読書はもちろん太宰だと、ご丁寧にもちゃんと出てくる。こういう読者へのやさしい配慮もいい。とても読みやすい小説であり、誰もが共感できる。軽い読み物というわけではないけど、純文学の臭さはない。ライトノベルの安さもない。とても等身大。主人公の葉太29歳が、誰もが共感できる男になっているのも、葉蔵と同じだ。

 ニューヨークにひとりやってきた。初めての海外旅行、一人旅。実は緊張している。でも、そんな緊張を悟られないように演技する。演技は昔から得意だった。自分がどんなふうに見えるのか、気にして生きていた。でも、それは、彼の父親のことで、そんな父親が大嫌いだった。だから、そうはならない(同じようなことはしない)ように細心の注意を払って生きてきたつもりだった。でも、そうすることが結果的には父親と同じ轍を踏んでいることに、本人は気付かない、ふりをしている。(結構めんどくさい男なのだ)

 父は小説家で、身内である自分に言わせると、恥ずかしいような「かっこいい男」を演じて生きている人だった。要するにポーズの人だったのだ。そしてそんな芝居を演じたまま、死んだ。彼は認めたくはないけど、そんな父ととてもよく似ている。だから、彼らはお互いウマが合わない。

 これはコメディではない。でも、生きることがコメディのようなものだ、といえばコメディにもなる。セントラルパークでパスポートやカードも入った大事なバックを盗まれる。でも、おのぼりさんのように思われるのが嫌だから、日本大使館には虚栄心から逃げ込めない。それからの日々を所持金12ドルで(数日だが)過ごす。そんな日々の中で彼はいろんなことを発見する。

 余談だが、僕も昔、新婚旅行のときだが、出発してすぐ盗難にあってお金を失くしたことがある。(でも、それは勘違いで、財布は帰ってきたとき、家の玄関にあったけど。)あの時は困った。それからの日々は散々だったけど、あれはあれで楽しかった。

 この数日間の(というか、最初の2日ほど)話は、バカバカしいけど、胸に沁みてくる。200ページほどの小説で、バックを盗まれるまでが3分の1くらい。そこから残りの3分の2も、てんやわんやの騒動が描かれるわけではない。ただ、内省的に事態と向き合うだけ。この小説がおもしろいのはここには他者とかかわることで生じるようなドラマがないことなのだ。あくまでも彼の心の声に耳を傾けるお話である。この愚かな男が、滑稽だけど切実に生きていく姿が描かれるだけ。もちろん、この旅の数日間の、である。ピンポイントで描かれるこの旅日記だが、反対にそうだからこそ、これはおもしろい。

 彼には死者が見えるという部分ですら、それが重くは描かれず、父との和解という大きなテーマすら、霞んでしまうほどに、さりげない。9・11にも触れられる。グラウンド・ゼロにたたずむ。だが、彼にとっての大事件は、こんなふうに生きてきた自分と向き合うことだ。父を亡くし、ひとりぼっちになった自分を悼む。結局は自分のことしか考えていない。この恥ずかしい旅を通して彼が成長していく姿はきっと誰もが共感することだろう。これはやはり平成版『人間失格』である。

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