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映画・演劇のレビュー

『神様のカルテ2』

2014-03-15 08:49:41 | 映画
2011年公開の『神様のカルテ』の続編。前作も素晴らしかったが、今回は前作を超える。深川栄洋監督はこの難しい素材を見事に映画化する。医療現場ものは多々あるけど、こういう目線の作品は少ない。患者の側に立ったわけではないのに、ちゃんと患者の痛みが医師のものとして伝わる。医者が高みから患者を診ているのではなく、同じ目線から見ているからだ。そこに共感する。それは「医者としてしゃべっているのではない。人間として話しているのだ。」というセリフに端的に表現されてある。甘いお話にもなるはずだが、そうはしない。いつも疲れた顔しかしていない櫻井翔がすばらしい。それが演技ではなく、本当にずっと疲れているように見える。

そんなくたくたになりながらも病院からなかなか家に戻れない夫を待つ妻(家族)を宮崎あおいが演じる。今回は前作以上に彼女は不安なはずなのに、(妊娠している)まるで動じることはない。もちろん前作を受けての本作だから、こういう展開でよい。とても簡潔に的を射ている。2時間以内の上映時間にできたのも、それゆえ、だろう。3組の夫婦の姿を通して人と人とがどうつながっていくのかが、医療を通して描かれていく。なんてシンプルで美しい物語だろう。

映画は主人公である青年医師、一止(櫻井翔)の親友である辰也(藤原竜也)が、本庄病院に赴任してくるところから始まる。彼らの大学時代の描写をはさみながら、今彼が何に悩み、苦しんでいるのかが話の軸となる。そこに柄本明の内科部長が過労で倒れる話が絡んでくる。仕事と、家庭のはざまで彼らがどう生きるのかがポイントだ。みんないい人たちばかりだ。でも、仕事はあまりに過酷で、みんな衰弱していく。それでも、自分の仕事を全うしたいと願う。世の中がこんな人たちばかりなら、絶対素晴らしい世界になるだろう。でも、現実はそうではない。しかも、彼らはつまらない人間たちから阻害される。医療の末端と自虐的に言うけど、そうであってはならないのも周知の事実だ。彼らが最先端でなくてはならない。最前線で身を粉にして働く人たちを踏み台にして、ぬくぬくと楽な場所で生きている人もいる。でも、この映画はそういう人間を告発することが目的ではない。自分の責務を全うすることを願う。苦しんでいる人たちに手を差し伸べるため自分を犠牲にしても厭わない。そんな人たちのお話なのだ。

きれいごととしてそんなことを描かれたなら鼻白むが、この映画の善意はそうではないから心洗われる。こんなにも単純に大切なことを描かれたとき、改めてそこにある真実に気付かされる。正しい光はここにある。そう信じられる。

原作は3冊出ているけど、作者の夏川草介は1作ごとにどんどん成長していく。そして、この映画の監督深川栄洋も同じだ。シリーズ最高傑作である『神様のカルテ3』も同じスタッフ、キャストでぜひ一刻も早く映画化して欲しい。



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