久々に佐藤正午を読んだ。相変わらず、途中で投げ捨ててやろうか、と思うくらいに鬱陶しい小説だ。主人公である小説家の、どうしようもない性格が腹立たしくこの男の行動を見てるだけでむかっ腹が立つ。
妻と何年間も浮気をしていた相手であるこの男を、夫の中志郎でなくても殴ってやりたいと思う。気分が悪くなるくらいに女にだらしない男の一人称で語られていく物語は、正直言ってムカムカするばかりで、感情移入なんて出来ない。
だけれども、このいい加減な男の体験する自業自得ともいえる出来事の数々が、いつの間にか快感になっていく。そして、気付くと、佐藤正午の術中に嵌っている。
大体第1章は、前述の中志郎というこれまたイヤな男を主人公に話をスタートさせる。彼が妻に対する失っていた想いを回復するというドラマが始まると見せかけといて、実は彼女の浮気相手である作家、津田伸一の話にスライドしていき、彼の恋愛物語が綴られる。導入の中志郎と妻、真智子、そして石橋という女の話はプロローグでしかない。でもやがてはすべてこの話に収斂していくように構成されている。
佐藤正午は相変わらず見事なストーリー・テラーだ。とんでもない話を仕掛けて、その中で男と女の心の綾を様々な形で見せてくれる。ここに出てくる女たちとのやり取りの中から恋愛というもののある種の法則すら読み取れるように作ってある。デビュー作『永遠の1/2』の時からずっとこんな気分にさせられてきた。奇妙な話に乗せられて、何ともいえない気分を味わわされて、突き放される。それが彼のいつものパターンだ。
今回の手から不思議な熱を発する女というのも、そんなことありえないだろ、と思いつつも、まんまと乗せられる。
中志郎は偶然エレベータの中で石橋の手に触れた瞬間、電流が流れ、気付くとかっての妻への情熱が戻ってくる。7年間も彼女を愛せなかったのに、新婚の頃(といっても8年前だが)の想いが甦る。しかし、そんな感情も1ヶ月経つと消える。だから、彼は石橋のところに行き彼女の手に自分の手を合わす。このプロローグの話が具体的に展開するのは、この500ページ強の小説の170ページを過ぎてからである。それまでの津田の悪行を描く腹立たしい話が面白いのでこの本題を忘れてしまう勢いだ。ここから終盤の、津田が石橋の手の秘密を解き明かしていく部分までは長いが、津田が作家として文壇を追われていくという本題には必ずしも必要ないエピソードを丁寧に見せていった上で、ようやくそこに辿り着くように作られてある。話の仕掛け自体が面白いのではない。それを通して見せる恋愛のあり方が面白いのである。
この小説のいくつものまわり道は、ただ単なる引き伸ばしではなく、そうすることでこの話にリアリティーを与える。佐藤正午はストーリーにこういう仕掛けを作らなくては物語を語れない。そこに彼の本領がある。<何かを捜し求める>という彼の小説の常套手段を今回も駆使して、この小説は最後にはなんと主人公の津田を消してしまうが、それでも大丈夫。もう一人の主人公中志郎が石橋と再会し、やがてはまた石橋は津田に出会うだろうから。そんなふうにしてこの作家はどこまでも続く女と男の物語をいつまでも書き続けるのだ。
妻と何年間も浮気をしていた相手であるこの男を、夫の中志郎でなくても殴ってやりたいと思う。気分が悪くなるくらいに女にだらしない男の一人称で語られていく物語は、正直言ってムカムカするばかりで、感情移入なんて出来ない。
だけれども、このいい加減な男の体験する自業自得ともいえる出来事の数々が、いつの間にか快感になっていく。そして、気付くと、佐藤正午の術中に嵌っている。
大体第1章は、前述の中志郎というこれまたイヤな男を主人公に話をスタートさせる。彼が妻に対する失っていた想いを回復するというドラマが始まると見せかけといて、実は彼女の浮気相手である作家、津田伸一の話にスライドしていき、彼の恋愛物語が綴られる。導入の中志郎と妻、真智子、そして石橋という女の話はプロローグでしかない。でもやがてはすべてこの話に収斂していくように構成されている。
佐藤正午は相変わらず見事なストーリー・テラーだ。とんでもない話を仕掛けて、その中で男と女の心の綾を様々な形で見せてくれる。ここに出てくる女たちとのやり取りの中から恋愛というもののある種の法則すら読み取れるように作ってある。デビュー作『永遠の1/2』の時からずっとこんな気分にさせられてきた。奇妙な話に乗せられて、何ともいえない気分を味わわされて、突き放される。それが彼のいつものパターンだ。
今回の手から不思議な熱を発する女というのも、そんなことありえないだろ、と思いつつも、まんまと乗せられる。
中志郎は偶然エレベータの中で石橋の手に触れた瞬間、電流が流れ、気付くとかっての妻への情熱が戻ってくる。7年間も彼女を愛せなかったのに、新婚の頃(といっても8年前だが)の想いが甦る。しかし、そんな感情も1ヶ月経つと消える。だから、彼は石橋のところに行き彼女の手に自分の手を合わす。このプロローグの話が具体的に展開するのは、この500ページ強の小説の170ページを過ぎてからである。それまでの津田の悪行を描く腹立たしい話が面白いのでこの本題を忘れてしまう勢いだ。ここから終盤の、津田が石橋の手の秘密を解き明かしていく部分までは長いが、津田が作家として文壇を追われていくという本題には必ずしも必要ないエピソードを丁寧に見せていった上で、ようやくそこに辿り着くように作られてある。話の仕掛け自体が面白いのではない。それを通して見せる恋愛のあり方が面白いのである。
この小説のいくつものまわり道は、ただ単なる引き伸ばしではなく、そうすることでこの話にリアリティーを与える。佐藤正午はストーリーにこういう仕掛けを作らなくては物語を語れない。そこに彼の本領がある。<何かを捜し求める>という彼の小説の常套手段を今回も駆使して、この小説は最後にはなんと主人公の津田を消してしまうが、それでも大丈夫。もう一人の主人公中志郎が石橋と再会し、やがてはまた石橋は津田に出会うだろうから。そんなふうにしてこの作家はどこまでも続く女と男の物語をいつまでも書き続けるのだ。