ここまで絵空事のラブストーリーを見せられると、さすがに見ていてこそばゆいし、あまりに突っ込みどころ満載で、声も出ない。少女マンガの映画化作品は数あれど、一応、そこでは、そこそこのリアルも描かれてあるものなのに、この映画は徹底的にありえないことだらけで、これはまぁ、確信犯的行為だな、と思うしかない。
武井咲は先の『愛と誠』で、究極の嘘話を体現してくれているから、全く照れることなくこのフィクションの世界の住人になりきる。天然ともいえるコメディエンヌぶりを本作でも発揮する。お下げでメガネの真面目ちゃん、でも、実は美人、なんていう今時マンガの世界でもありえない古典的設定を大真面目で演じている。松坂桃李も、照れることなく、マンガの世界の住人になりきる。自信満々で、超秀才で、もてもてのかっこいい男。フィクションだからこそできることを、堂々とやりきってくれる。2人とも、立派だ。
それに引き換え、演出(古澤健)は、このフィクションを突き抜ける感動を提示しきれていない。安全圏で映画を作っている。三池崇史が『愛と誠』と『悪の教典』でやりきったようなこだわりや挑戦が、ここにはない。古澤監督はこの映画に先立ち『アナザー』という学園ホラーも今年は手掛けている。そちらは未見だから、どうなっていたのか、わからないけど、それぞれ2本とも、ある種の方向性が疑似している映画を同じ年に手掛けているのだ。ライバル心なんかないかもしれないけど、古澤監督には大先輩の三池に迫るくらいの気迫が欲しい。
今年は、同じような少女コミックの映画化でなら、三木孝典監督の『僕等がいた』という傑作があるから、あの映画にも負けないような工夫があるか、と、それも、期待したのだが、残念ながら、まるで足元にも及ばない。きれい事をきれい事のまま見せられても、甘いケーキを口に詰め込まれた気分で、量が過ぎると、気分が悪くなるばかりだ。だいたい最初から飛ばしすぎ。最初の春の学園祭とか、いきなり過ぎるし。口当たりは悪くないのだから、後は匙加減だろう。もう少し考えて欲しい。
主人公2人の魅力だけで、2時間を持たすのは難しい。それでも彼らが頑張ってくれたから、なんとか、見れたけど、監督としての責任に於いて明確なビジョンを提示すべきだった。甘いだけの砂糖菓子も、お子様ランチも、僕は好きだけど、同じ見るのなら、もう少し上等なショートケーキの方がいい。
武井咲は先の『愛と誠』で、究極の嘘話を体現してくれているから、全く照れることなくこのフィクションの世界の住人になりきる。天然ともいえるコメディエンヌぶりを本作でも発揮する。お下げでメガネの真面目ちゃん、でも、実は美人、なんていう今時マンガの世界でもありえない古典的設定を大真面目で演じている。松坂桃李も、照れることなく、マンガの世界の住人になりきる。自信満々で、超秀才で、もてもてのかっこいい男。フィクションだからこそできることを、堂々とやりきってくれる。2人とも、立派だ。
それに引き換え、演出(古澤健)は、このフィクションを突き抜ける感動を提示しきれていない。安全圏で映画を作っている。三池崇史が『愛と誠』と『悪の教典』でやりきったようなこだわりや挑戦が、ここにはない。古澤監督はこの映画に先立ち『アナザー』という学園ホラーも今年は手掛けている。そちらは未見だから、どうなっていたのか、わからないけど、それぞれ2本とも、ある種の方向性が疑似している映画を同じ年に手掛けているのだ。ライバル心なんかないかもしれないけど、古澤監督には大先輩の三池に迫るくらいの気迫が欲しい。
今年は、同じような少女コミックの映画化でなら、三木孝典監督の『僕等がいた』という傑作があるから、あの映画にも負けないような工夫があるか、と、それも、期待したのだが、残念ながら、まるで足元にも及ばない。きれい事をきれい事のまま見せられても、甘いケーキを口に詰め込まれた気分で、量が過ぎると、気分が悪くなるばかりだ。だいたい最初から飛ばしすぎ。最初の春の学園祭とか、いきなり過ぎるし。口当たりは悪くないのだから、後は匙加減だろう。もう少し考えて欲しい。
主人公2人の魅力だけで、2時間を持たすのは難しい。それでも彼らが頑張ってくれたから、なんとか、見れたけど、監督としての責任に於いて明確なビジョンを提示すべきだった。甘いだけの砂糖菓子も、お子様ランチも、僕は好きだけど、同じ見るのなら、もう少し上等なショートケーキの方がいい。