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著者の木下忍は木下恵介の娘さん。ただし養子。木下恵介は結婚をしてないし、だから子どもはいない。兄の娘と息子を養子として引き受けた。だが数年で手放した。これは木下恵介とその家族を描く記録だ。一番の身内だが、距離を置く。客観的に見て描く。彼と彼女には42年の空白がある。もちろん木下恵介と忍には、である。彼女が冷静にかつての養父を描く。あの日本映画史に燦然と輝く巨匠のひとりの人間としての側面を身内のゴシップではなく、偉人伝でもなく、彼女にしか書けない視点で見つめていく。
僕は木下恵介が好きだった。49本の全作品のうち25本を見ている。少ない、もっと見たいけど、なかなか機会はない。『スリランカの愛と別れ』(これは残念な映画)以降の作品(ほとんどが残念な映画)はすべてリアルタイムで見たけど、明らかに遅れてきたファンだ。
6人の兄弟たち、ふたりの妹。両親、さらには恵介の養子となった自分と兄。前半部分は恵介の周囲の人たちから描いていき、後半で核心に入る。木下恵介はどうしてあんなに大事だと思っていた大切な家族を失ったのか。息子との決別、兄嫁への秘めた想い。それは確かなことではなく、本人ですらわからないことなのだが、この本はそこに迫る。末弟の八郎が恵介と同じ兄嫁(兄とは兄の不倫から離婚している)を好いていて結婚を求めたことでの決別がこのお話のクライマックスだろう。内容だけを聞くとこれはゴシップだ。そこをこの本はさりげなく触れるくらいに書く。一番大事な部分なのだが、それだからこそ安易に憶測では書けない。ふたりは忍さんにとっては実母と養父。さらには叔父。かなり複雑な事情だ。自分たちが彼から離れた後、残った兄のその後も悲惨だ。木下恵介が許せなかったのは自分の兄嫁への想いで、自分は踏み込めなかったところへ足を踏み入れた弟が許せなかったのだろう。
ここに描かれるのは映画監督木下恵介の姿では、ない。でも彼はあの映画監督木下恵介なのだ。そんな彼の『家族の肖像』がここには描かれている。これは木下恵介の母親への想いを描いた原恵一監督『はじまりのみち』の続編としても読める。人間木下恵介に迫る一作。