今時こういうプロレタリア文学みたいな貧乏話を小説に書いて、誰が読むのだろうか。しかも、難しい漢字をいっぱい使って、わざと読みにくい文体にして、読者を煙に巻く。おまえらとオレとは住む世界が違うから、おまえらにはオレの気持ちなんかわかるまい、と言われているみたいで、なんかムカつく。こういう挑発的な作り方をわざとしているのだが、そうすることに何の意味があるのだろうか。口当たりのいいサービス精神旺盛な小説ばかりが横行しているから、たまにこういうのを読むとイライラする。もちろんそこも作者のねらいだろう。あまりにあざといから、途中で、やめたろか、と思ったが、なんか最後まで読んでしまった。144回芥川賞受賞作品とオビにあった。選考委員はこの時代錯誤が新しいとか思ったのか。
昭和の終わりを舞台にして、港湾労働にいそしむ19歳の青年貫多(明らかに作者の分身だ!)を主人公にした私小説だ。中卒で一人暮らし。なかなか仕事にはありつけない。お金を得る手段は日雇いの肉体労働しかない。だが、それさえ堅実に続けられない。そんな彼のどん底の日々が描かれる。
同時収録の短編『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』は、40歳になったその後の貫多を描く。彼は作家となり、それなりの評価を受けているらしい。そんな彼の日常を描いている。19歳、まだ何ものでもなかった頃、と、40歳、作家として生きている頃。2つの時代の自分を主人公にした連作である。2つの時間を通して、この世界からオチこぼれてしまった男が、自分の信念を貫いて「立派」に、というよりも、「それでも生きている」という感じの姿をここに描き出している。
何が正しくて、何が間違っているかなんかわからない。きっとほとんどの人から受け入れられることもなく、自己満足スレスレのところで生きている限りなく作者に限りなく近いこの主人公は、こんな時代を生き抜いていくためのひとつの在り方をしっかりと示してくれる。これはこれでいいんじゃないか、と思わされる。
ここからはちょっと話が外れる。
こうしてブログを書いて一応は一般公開もしているけど、これはあくまでも僕の備忘録だと思っている。誰にも宣伝してないのに、けっこうたくさんの人がわざわざ読んでくださり、恐縮している。僕は忙しくて、時間がないから(まぁ、そんなこと誰でも同じだと思うが)思ったことをつらつらと一瞬で書いて、見直すこともほとんどなくアップしている。時々、かなりいいかげんな印象だけで書いているから間違いも多い。大体は、見て(読んで)しばらくしたら細部は忘れてしまう。でも、調べて書くことはない。憶えている範囲内で書いている。まぁ、それでいいと思う。本質については間違いはない。些末についてはミスがたくさんあるかもしれないが、ご容赦願いたい。
世の中にはいろんな見方がある。そう思ってもらえたらいいのだが、僕のような姿勢は許せないという人もいるみたいだ。まぁ、そんな人には心からごめんなさいというしかない。なぜこんなことを唐突に書いたかと言うと、この小説の我関せずの姿勢が面白かったからだ。それって僕にも通じるものがある、なんて思ったのだ。
この小説を読みながら、気持ちがよかったのは、作者があくまでも「自分の道を行く」という姿勢を崩さないところだ。正直言っておもしろかったとは思わないけど、やっぱりこれはこれでありだ、と思う。最初に、こんな小説をいったい誰が読むのか、と書いたが、少なくとも僕は最後まで読み切ってしまった。
昭和の終わりを舞台にして、港湾労働にいそしむ19歳の青年貫多(明らかに作者の分身だ!)を主人公にした私小説だ。中卒で一人暮らし。なかなか仕事にはありつけない。お金を得る手段は日雇いの肉体労働しかない。だが、それさえ堅実に続けられない。そんな彼のどん底の日々が描かれる。
同時収録の短編『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』は、40歳になったその後の貫多を描く。彼は作家となり、それなりの評価を受けているらしい。そんな彼の日常を描いている。19歳、まだ何ものでもなかった頃、と、40歳、作家として生きている頃。2つの時代の自分を主人公にした連作である。2つの時間を通して、この世界からオチこぼれてしまった男が、自分の信念を貫いて「立派」に、というよりも、「それでも生きている」という感じの姿をここに描き出している。
何が正しくて、何が間違っているかなんかわからない。きっとほとんどの人から受け入れられることもなく、自己満足スレスレのところで生きている限りなく作者に限りなく近いこの主人公は、こんな時代を生き抜いていくためのひとつの在り方をしっかりと示してくれる。これはこれでいいんじゃないか、と思わされる。
ここからはちょっと話が外れる。
こうしてブログを書いて一応は一般公開もしているけど、これはあくまでも僕の備忘録だと思っている。誰にも宣伝してないのに、けっこうたくさんの人がわざわざ読んでくださり、恐縮している。僕は忙しくて、時間がないから(まぁ、そんなこと誰でも同じだと思うが)思ったことをつらつらと一瞬で書いて、見直すこともほとんどなくアップしている。時々、かなりいいかげんな印象だけで書いているから間違いも多い。大体は、見て(読んで)しばらくしたら細部は忘れてしまう。でも、調べて書くことはない。憶えている範囲内で書いている。まぁ、それでいいと思う。本質については間違いはない。些末についてはミスがたくさんあるかもしれないが、ご容赦願いたい。
世の中にはいろんな見方がある。そう思ってもらえたらいいのだが、僕のような姿勢は許せないという人もいるみたいだ。まぁ、そんな人には心からごめんなさいというしかない。なぜこんなことを唐突に書いたかと言うと、この小説の我関せずの姿勢が面白かったからだ。それって僕にも通じるものがある、なんて思ったのだ。
この小説を読みながら、気持ちがよかったのは、作者があくまでも「自分の道を行く」という姿勢を崩さないところだ。正直言っておもしろかったとは思わないけど、やっぱりこれはこれでありだ、と思う。最初に、こんな小説をいったい誰が読むのか、と書いたが、少なくとも僕は最後まで読み切ってしまった。
文藝春秋で。
きことわはまだ読めてません。
なんとも言えない、ってのが感想ですが。
私小説っていうフィクションとノンフィクションの境目っぽいのが今の時代によかったのですかね‥
ありきたりなフィクションより。
血肉の通ったノンフィクション。
でも痛いのは嫌みたいな。
今の演劇もそうかもですね。
読んでよかったと思いました。
でも人には薦めない。
そんか作品でした。