久々の再演となる。もう初演から10年になるらしい。今回は上田一軒演出ではなく、横山拓也自身による演出だ。iaku初期作『流れんな』を全編広島弁に改稿して描く2024年版。とても繊細な芝居である。横山さんはそれを丁寧に描く。
先日見た劇団未来の『パレードを待ちながら』はオリジナルを全編大阪弁として上演したが、敢えて地方語への変更が作品にどういう変化をもたらしたか。気になるところである。
なんて思いながら見始めたのだが、全く気にならなかった。この作品はとても自然に広島弁に収まっている。
そんなことより気になったことがある。昨日見た劇団大阪UK企画の『エダニク』を見ながらも同じことを思った。最初に見た時ほど作品にインパクトがないのだ。こんなにもさらりとした作品だったのか、と意外だった。いや、さらりとした、というのは語弊がある。以前はもっと強烈な印象があった気がする。それは初見と再見の違いだとは一概に言えない。もちろんつまらないという事ではない。思った以上にさらっとしていることが意外なのだ。
きっとこの芝居は、もともとこんなにもさりげなく小さな話だったのである。それを僕があんなにも大きなものとして受け止めていた、ということなのだ。今回はきっと客観的に見ているのだろう。なんだか不思議な気分。
彼らが置かれた状況を真摯に受け止め、今と今からの自分と、さらには自分たちと向き合う。置かれた次元はそれぞれ違うけど、みんなが自分と周囲のことをしっかり見つめる。これは傷ましい話である。それをこんなにもあっさりしたタッチで見せていた。だけど、それは強烈なインパクトを与える。初演も今回も同じだ。適切な描写で丁寧に描く。横山さんらしいこの繊細な作品に魅了される。