習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『さいはてにて』

2015-03-11 20:09:34 | 映画

この春いちばんの期待作だった。どうして、どういう経緯でこういう映画がうまれたか、そこもまた、気になるところだが、問題はそれではなく、僕がもともとこういう隠れ里を描く映画が好きなのだ。登場人物は5人。ほかは、点景の域を出ない、というのもいい。「やさしい香りと待ちながら」というサブタイトルは作り手(というよりも宣伝部か)の自信のなさを感じさせて、なんだかなぁ、だが、悪くはない。

主人公の女性(永作博美)は都会を離れて、能登半島の「さいはて」の地にやってくる。そこで珈琲屋を営む。父の残した(廃墟と化した)物置小屋を改造して、店舗にする。喫茶店ではない。だいたい、こんな海辺で、突端にあるような場所には誰も来ない。

豆を輸入して焙煎してネットで、あるいは電話で注文を取って、通販する。だから、店はどこででもいい。だが、よりによってこんなさいはてに場所でなくてもよかろう。彼女はここにいて、漁に出たまま帰らない父を待つのだ。30年になる。それが彼女が家を出てからの年数なのか、父が漁に出てからなのか、わからない。いや、父が消息を絶ってから6年だ。確か。どこかでそんなことを言っていたような気がする。ぼんやり見ていたから曖昧だが、そんなことはどうでもいい。彼女はもう、すくなくとも30年以上父に会ってない。別れてから30年になる。両親の離婚で、彼女は母親とともにこの港町を去った。

ある日、弁護士がやってきた。彼が父親の借金の催促をする場面から始まる。まだ死んだことが確認できてないから、債務を引き継ぐ必要はない。だが、彼女は引き継ぐ。父とのつながりだからか。

たったひとりで、こんなさびしい場所で、もう帰ってこない父の帰りを待つ。映画はそんな彼女の日々を描くばかりだ。向かいの民宿の2人の子ども(姉と弟)との交流が描かれる。その姉の小学校の若い担任である女先生とも親しくなる。やがて、2人の若い母親(佐々木希)とも親しくなる。だから登場人物はこの5人。

佐々木のやくざな恋人(永瀬正敏だ!)にレイプされそうになるエピソードもはさむが、基本的には何のお話もない。こんなにも何もない映画で大丈夫かと心配になるほどだ。だが、これでもまだ、いらない話を削ぎ落としていない。もっと何もない話でよかった。ただ、海の音を聞くだけの映画であるべきだった。

だが、それでは商業映画にはならない。というか、この映画が東映系で全国公開されるというのがおかしい。こんな地味な映画が作られるというだけでも不思議なのに、しかも台湾人監督、姜秀瓊(チアン・ショウチョン)を単身で招聘して、彼女に任せる。

もっともっと点綴させるときっとすばらしい映画になったのかもしれない。なんだか中途半端でもどかしい。ロケーションがすばらしいし、主人公である永作の佇まいが素敵だ。何も言わないでただそこにいるだけ。さらには2人の子供たち。小学3年の姉が、まるで大人のようだ。彼女と永作がオーバーラップしていく。そこに不在の彼女たちの父親が重なる。村上淳の演じる弱い永作の父親と、佐々木のところのやってくる悪魔のような永瀬正敏の男のイメージが重なる。父親への幻想と現実は両者によって2分されるのではなく、融合するのだ。理屈でなく、感覚的に、である。この映画の魅力はそういうところにあるのだが、いかんせん徹底してないから、スタイルとして確立しない。その結果もの足りない中途半端な映画になる。惜しい。

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