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映画・演劇のレビュー

ブルーシャトルプロデュース『零式』

2014-08-22 20:55:30 | 演劇
 最初『ゼロ』を見た時、思いきったことをするなぁ、と感心した。かなり微妙な問題を扱いながら、エンタメとしてきちんと消化した大塚雅史さんの作劇があざといと思う人も多々あったはずだ。敢えて「反戦」を前面には押し出さない覚悟は彼らしい。そういうわかりやすい作り方は、ただの逃げ道になってしまうからだ。彼は、子供たちが空に託した夢を純粋に追いかけることを何よりも大事にすることで、戦争を描くことができると考えた。というか、彼はことさら戦争を前面に出す気はなかったのだ。だが、そこは避けては通れないし、その事実にちゃんとぶつかることは必至だ。

 それでいい。そこに彼の覚悟があった。『ゼロ・ファイター』は再演だが、前作以上に飛ぶことを前面に押し出したエンタメになった。それは彼なりの必然だったはずだ。悲惨な事実は描かなくてもよい。描くまでもなく悲惨なのだから。そこから目を背けるのではなく、現実の前にある夢こそを、語ろうとした。甘いと叱られてもいい。とことんまで、若い肉体を虐め抜き、過酷な戦闘に駆り立てる。飛ぶことは生きることだ。死に直面しても、最後まで飛行機に乗りたい。そういうスタンスであろうとも、いい。

 『風立ちぬ』や『永遠のゼロ』を経て、もう一度、ゼロ戦に挑む。シリーズ第3弾である。今回は完全新作で、ラバウル航空隊を描く。また同じことをやっている、と思われたなら失敗になる。だが、まるで違うことをしても意味はない。前2作を踏まえて、新たな挑戦に挑む。

 現地の人たちの視点も交えたドラマになる。ハワイのオアフ島。真珠湾奇襲直前の何でもない平和が描かれる。敵側の日常を書きこむことで、相互のドラマにもなる。この後、日本がB29の爆撃に恐怖し、たくさんの死者を出す。描かれないそういうドラマすらそこには見えてくる。

 事実をしっかりと描きこむ。それは、青年飛行士たちの姿を描く部分にも言える。大塚さんは前作以上にドラマ部分を重視したようだ。しかし、全体からみるとこれでも圧倒的に少ないのは、これがあくまでも、ダンスシーンを中心にしたパフォーマンスだからだ。それだけで、不謹慎だ、なんていうバカな人はいないだろうけど、全体のバランスのとり方は難しい。彼らがカッコいいだけでは意味はない。だが、そうじゃなくては、もっと意味がない。そういう意味でもこれはバランスの取れた作品である。これだけ何度となく空中戦のシーンを見せるにも関わらず、飽きさせないものも凄い。2時間10分が長くはない。

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