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映画・演劇のレビュー

『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』

2014-08-23 19:32:30 | 映画
 こういう地味な映画がちゃんと劇場公開されるのは、うれしいことだが、公開から消えるまでがあまりに速すぎて、誰にも知られずに、いつのまにか劇場から姿を消すのはどうだかなぁ、と思う。まぁ、きっと見たい人はちゃんと見ただろうから、これでいいのかもしれないけど。

 実は、手帳を見ていて、この夏見た映画で、まだ、ここ(このブログね)に記載していない作品が多数あることを発見した。これはそんな中の1本だ。7月の終わりに見ている。

 天才を描くのは、そのアプローチをどこに定めるのかがなかなか難しい。単純に褒め称えるのでは、なんだか芸がない。というか、つまらない。かといって批判的に描くのなら、わざわざそれを映画にする必要はないし、でも、それでも描きたいものがあるのなら、それは何なのか。そこが気になるところだ。今回の映画もまた、そういう姿勢で描かれる。なぜ、パガニーニなのか。そして、彼はどういう男だったのか。

 それを天才と凡人という比較から、相互の物語を見せていくのはパターンで、『アマデウス』がその最たるものだろう。『不滅の恋 ベートーヴェン』のバーナード・ローズ監督が描くパガニーニは天才だが最低の男だ。「極端」は、音楽家を描く場合のある種のパターンで、それがあるから描き易いのだろうが、そこを通り一遍に描くとつまらない映画にしかならない。

 この映画は指揮者のワトソンがロンドンにパガニーニを呼んで演奏会を企画するが、パガニーニが様々な条件を付けてきて、公演がなかなか成立しないさまが描かれる。途中から視点はワトソンの側に移る。このへんは『アマデウス』、だが話はそこに止まらない。さらには彼の娘にパガニーニが惚れて彼女を追い回す話へと。結構盛りだくさんで飽きさせない。

 だが、なんだかパガニーニという男がつまらない。これでいいのか、と思う。演奏は凄いのだろうが、それも僕にはよくわからないし。結局のところ、これは無茶苦茶な男の話でしかない。見た時にはなかなかおもしろかったけど、書くのを忘れてしまうくらいに、印象に残らない映画だったということか。  

 主人公のパガニーニを演じるのは「欧米で圧倒的人気を誇る天才バイオリニスト」のデイヴィッド・ギャレットという人。現役の天才が歴史上の人物を演じる。だから演奏のシーンには確かに迫力はある。雰囲気はあるけど、なんだかなぁ、とも思う。映画としての魅力が中途半端なのだ。

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