この6つの作品からなる短編集の描く「もしも」は、今の僕には重くて痛い。人生の半分以上を過ぎて、なんとなくもう先が見えたような気になっていたけど、本当はそうじゃない。いつ何が起こるかなんてわからない。母親のけがから介護問題に至る一連の流れの中で、受けたショックが一段落ついたところに、さらなる問題が浮上する。人生なんてそんなものだ。ただ言えることは、自分に正直になり、誠実に生きるしかない、ということだ。失敗した事実は求める。その上で、今可能な全力を尽くす。それしかないだろう。
角田光代はこの短編集の中で、さまざまなケースを提示する。「わたしの人生ぜんぜん違ったんじゃないかな。」という想いを通して描く「もしも」は、ほろ苦くて切ない。人生にないものねだりをしているようだ。いつもいつも「うまくいく」はずもいない。立ち止まる。こんなはずじゃなかった、と。
結婚をめぐるお話が多い。テーマとしては妥当だろう。そこからお話は紡ぎやすい。まだ何者でもない若い男女のラブストーリーはない。そんな2人なら「もしも」なんて重い意味を持たないからだ。失敗した後、あるいは、今失敗した瞬間、これって失敗なのかも、と思う時。そんなときに「もしも」は顔を出す。答えはもうわかっている。「もしも」なんてない。そんなことを考えても意味はない。みんなわかっている。でも、そこで逡巡する。ばかだ、と思う。
最初の話(『もうひとつ』)は、ある夫婦の夏のバカンス(ギリシャ、アテネ、サントリーニ島6泊8日)に不倫カップルである彼らの友人が同行する話だ。不倫の2人はそれぞれ自分の配偶者に嫌気がさしている。じゃぁ、離婚すればいいのに、と思うが、そうもいかないのが大人の事情らしい。そんなふたりに振り回される夫婦のほうも、なんだか彼らのせいでぎくしゃくしてくる。自分たちと彼らはまるで違う。そんなことはわかっているけど、もしかしたら、微妙な違いかもしれない、と思う。絶対なんてものはない。幸せなふたりであっても、実は危うい。男と女であるだけでなく、夫婦であっても自分と他者である。安心そうに見えても、お互い綱渡りをしながら、生きている。どこで、なにがあるか、なんてわからない。
ある日突然、離婚を突きつけられる男を描く2つ目のお話(『月が笑う』)もそうだ。この小説はそういう「バカたち」のお話なのだ。彼らのお話を通して、今ある平凡な人生に想いを馳せる。「平凡」というつまらないことばが、胸に沁みてくるのはそういう瞬間だ。1編ずつ、読みながら、たちどまる。これでいいと、噛みしめる。いや、この幸福を噛みしめる。これ以上を望むと神さまに叱られる。もっともっと大切にしなくては、と思う。