古本屋さんを舞台にした話を、古本屋さん(FOLK)で演じる。Neutralの大沢秋生さんとmeyouの諏訪いつみさんが共同演出する。劇場はこの芝居の舞台そのもの。この本屋を使って、本を巡る冒険をする。
芝居は必ずしも劇場でするものではない。カフェでしたっていいじゃないか、と、最近ではカフェ公演なんてものも、増えた。で、これはおしゃれな古本屋さん。まるで、自宅の本棚のような趣味で並べられた配架。でも、それが独りよがりではない。とても趣味がいい。手に取りたくなる。そんな本屋さんをそのまま劇場に仕立てた。ここで本を手に取る3人の女たち。そして、ひとりの男。彼らがアクターだ。演出の大沢さんもキャストや、案内人となり、芝居の中に登場する。3人の女たちは特定の誰かではない。それは、男も、だ。彼らは彼らであり、誰でもいい存在。ある種の普遍だ。そんな本を読む人たちそのものが、主人公。それぞれが手にする本が読まれたりもする。でも、それがどんな本でどんなお話なのかが大事なのではない。
本を生きることは読書の喜び。人はひとつの人生しか生きられないけど、本の中ではいくつもの人生を生きることができる。人の人生を自分のことのように体験できる。映画や演劇だって同じだ。いや、だが、少し違う。だって小説は自分の脳内の出来事なのだから。描かれてあることは、自分の頭の中で再現する。それは客観的なものではなく、自分の主観を通した世界なのだ。そこが、本の魅力。
この芝居はそんな抽象度の高い「本を読むという行為」を巡る考察を、ドラマ仕立てではなく、もっと抽象的なものとして見せる。小難しいものではない。それはまるで本を巡るエッセイのような芝居なのだ。観客は役者と共に店内を移動する。地下室に行くと、そこでは、自由に本を読む3人の姿が描かれる。それはまるで、人が自宅で本と供にくつろぐ姿のようだ。それは芝居の内側に入り込んだようで、楽しい体験だ。この65分間の本を巡る冒険の旅に酔う。
芝居は必ずしも劇場でするものではない。カフェでしたっていいじゃないか、と、最近ではカフェ公演なんてものも、増えた。で、これはおしゃれな古本屋さん。まるで、自宅の本棚のような趣味で並べられた配架。でも、それが独りよがりではない。とても趣味がいい。手に取りたくなる。そんな本屋さんをそのまま劇場に仕立てた。ここで本を手に取る3人の女たち。そして、ひとりの男。彼らがアクターだ。演出の大沢さんもキャストや、案内人となり、芝居の中に登場する。3人の女たちは特定の誰かではない。それは、男も、だ。彼らは彼らであり、誰でもいい存在。ある種の普遍だ。そんな本を読む人たちそのものが、主人公。それぞれが手にする本が読まれたりもする。でも、それがどんな本でどんなお話なのかが大事なのではない。
本を生きることは読書の喜び。人はひとつの人生しか生きられないけど、本の中ではいくつもの人生を生きることができる。人の人生を自分のことのように体験できる。映画や演劇だって同じだ。いや、だが、少し違う。だって小説は自分の脳内の出来事なのだから。描かれてあることは、自分の頭の中で再現する。それは客観的なものではなく、自分の主観を通した世界なのだ。そこが、本の魅力。
この芝居はそんな抽象度の高い「本を読むという行為」を巡る考察を、ドラマ仕立てではなく、もっと抽象的なものとして見せる。小難しいものではない。それはまるで本を巡るエッセイのような芝居なのだ。観客は役者と共に店内を移動する。地下室に行くと、そこでは、自由に本を読む3人の姿が描かれる。それはまるで、人が自宅で本と供にくつろぐ姿のようだ。それは芝居の内側に入り込んだようで、楽しい体験だ。この65分間の本を巡る冒険の旅に酔う。