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映画・演劇のレビュー

『ほとぼりメルトサウンズ』

2024-07-31 16:27:00 | 映画

東かほり監督は作家で歌人の東直子の娘だと昨日知った。テアトル梅田で手に入れた映画のチラシを見て。それは彼女の劇場用映画第二作だ。小泉今日子が出る。とても面白そう。

予習を兼ねてこの映画を見た。というか、先日この映画がAmazonプライム・ビデオに入っているのを見つけたのでマイリストに入れていた。これは劇場公開時に見ようと思っていた作品である。昨年これもテアトル梅田で上映されていたけど、時間が合わず見逃している。ただ監督が東直子さんの娘さんだなんて知らなかった。知っていたなら、絶対劇場で見たはず。

昨日見たのは『時々、私は考える』という作品だが、偶然にもこの2本の映画は似ているところがある。どちらも何の説明もせず、主人公の姿を追いかけるだけで見せていく。90分前後の尺。町(村)が舞台で、お話はほとんどない。

主人公のコトを演じるのはアーティスト・xiangyu(シャンユー)という人で、僕はまるで知らなかったが、とてもいい。相手役の老人を鈴木慶一が演じる。ふたりのミュージシャンが自然体の芝居でこの作品世界を徘徊する。ふたりは音の採集して村を歩いている。集めてきた音を「音の墓場」に埋める。音の墓場っていったい何なのか。もちろん説明はない。

老人ばかりが住む終わった町。そこに帰ってきたコト。祖母が住んでいた家に戻ると庭で老人が暮らしてきた。それが鈴木慶一。そこに都会からこの村の再開発のためにやってきてコトに立ち退きを迫る男女が加わる。いつの間にか4人の共同生活が始まる。(町というか村というか、微妙だからここには適当に気分で村町と書いている)

そんな4人の話は『悪は存在しない』にもちょっと似ている。電気、ガス、水道が止まり、やがてはここから出ていくことになる。鈴木老人はある日いきなりいなくなる。音の埋葬は終わったからだ。コトもここから出て行くだろう。この短い休暇明けには何があるのか。80分の映画はあっけなく終わった。

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