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どうしようもないことが起きてしまって、もう戻ることはできない。取り返しのつかないことをしてしまった後悔の中、現実を受け入れることなんて出来ないまま、それでも生きて行かなくてはならない。そんな中、父は心を閉ざしてしまう。
娘(絵里奈)の死という現実を受け入れられない。自分よりも大切なものがある。そのためなら命なんか惜しくないと思っている。しかし、彼女はもうこの世にはいない。帰ってくることはない。永遠に。
そんな中、彼は生き残った息子と妻と、そしてまもなく生まれてくる新しい命を守って強く生きて行かなくてはならない。そんなことは解っている。わかっているけど、無理だ。絵里奈の名前すら口にすることができない。食事も満足に摂れないで、無為に日々を重ねてしまう。傷ついているのは自分だけではない。妻や息子がどれだけ心細くて、辛いか。そんな事言われなくてもわかっている。なのに何も出来ない。
竹野内豊演じる父親のあまりの痛ましさに言葉を失う。でも、そんな彼に「いいかげんにしろ」と腹を立ててしまう。彼は怒る気も失くすくらいに打ちひしがれてしまい、何も見えなくなっている。
映画は事故から生き残った息子の視点から綴られていく。だから、主人公は広田亮介演じる少年である。クレジットでの主人公である竹野内豊はその存在感がない。というか、ほとんど出てこない。しかし、スクリーンにはあまり登場しないにも関わらず彼がこの映画の主人公だ。この映画には、何よりもまず、このあまりに弱い男の姿が描かれているからだ。
この映画の3人は完全に打ちひしがれている。3人が3人とも相手の事を思いやる前に、まず自分が立っているだけで精一杯だ。こんなにもひたすら萎れている人間をずっとただひたすら見つめ続ける映画ってない。元気なふりなんかも出来ない。事故に遭って瀕死の重傷にあった息子のほうが健気にも元気を装う。
冨樫森監督は前作『天使の卵』でも大切な人の死を描いた。彼にとっては得意のジャンルであったはずの素材だったのに、あの作品で思いもかけない失敗をする。
死んでしまった人をひたすら思い続ける男女の姿を描き、それが綺麗ごとにしかならなかったのだ。彼ほどの才能をしても、死者への想いを描くことが出来ないでいたことに驚いた。感情をそのまま映像として見せることは困難を窮める。ストーリーに逃げると簡単なのだが、そんなことをしたら、安いTVドラマになる。
彼はあの失敗を忘れない。今回は前作のリターンマッチである。同じテーマを継承し、あの時に足りなかったものをこの映画ではっきり見せる。人はずっと死者の影を追い続けて生きていくことは出来ない。いつかそこから立ち直って自分の人生を生きて行かなくてはならない。だが、それは死んでしまったものを忘れてしまうことではない。死者はいつも、どこにいても自分のすぐそこにいる。死んでしまったもののことを片時も忘れることはない。これはきれいごとではない。これからもいっしょに生きていくのだ。その覚悟とともに、人はここにいる。あの空をおぼえている。その事実を理解するまでの長い長い時間がここには描かれる。こんなにも単調に、暗い表情のまま、何も起こらない(この映画には、その「何か」が起きてしまった後の時間が描かれているのだ。)時間を静かに描くばかりだ。それって凄い。回想として過去の楽しかった時間が何度となく繰り返されていく。それすら痛ましい。
この映画は『非/バランス』からずっと冨樫監督が描き続けてきたことのひとつの到達点である。感動の押し売りにはならない。デビュー作『非/バランス』で主演した小日向文世演じるスクールカウンセラーの情けない顔が象徴する無力感。そこには監督の熱い想いが込められている。
娘(絵里奈)の死という現実を受け入れられない。自分よりも大切なものがある。そのためなら命なんか惜しくないと思っている。しかし、彼女はもうこの世にはいない。帰ってくることはない。永遠に。
そんな中、彼は生き残った息子と妻と、そしてまもなく生まれてくる新しい命を守って強く生きて行かなくてはならない。そんなことは解っている。わかっているけど、無理だ。絵里奈の名前すら口にすることができない。食事も満足に摂れないで、無為に日々を重ねてしまう。傷ついているのは自分だけではない。妻や息子がどれだけ心細くて、辛いか。そんな事言われなくてもわかっている。なのに何も出来ない。
竹野内豊演じる父親のあまりの痛ましさに言葉を失う。でも、そんな彼に「いいかげんにしろ」と腹を立ててしまう。彼は怒る気も失くすくらいに打ちひしがれてしまい、何も見えなくなっている。
映画は事故から生き残った息子の視点から綴られていく。だから、主人公は広田亮介演じる少年である。クレジットでの主人公である竹野内豊はその存在感がない。というか、ほとんど出てこない。しかし、スクリーンにはあまり登場しないにも関わらず彼がこの映画の主人公だ。この映画には、何よりもまず、このあまりに弱い男の姿が描かれているからだ。
この映画の3人は完全に打ちひしがれている。3人が3人とも相手の事を思いやる前に、まず自分が立っているだけで精一杯だ。こんなにもひたすら萎れている人間をずっとただひたすら見つめ続ける映画ってない。元気なふりなんかも出来ない。事故に遭って瀕死の重傷にあった息子のほうが健気にも元気を装う。
冨樫森監督は前作『天使の卵』でも大切な人の死を描いた。彼にとっては得意のジャンルであったはずの素材だったのに、あの作品で思いもかけない失敗をする。
死んでしまった人をひたすら思い続ける男女の姿を描き、それが綺麗ごとにしかならなかったのだ。彼ほどの才能をしても、死者への想いを描くことが出来ないでいたことに驚いた。感情をそのまま映像として見せることは困難を窮める。ストーリーに逃げると簡単なのだが、そんなことをしたら、安いTVドラマになる。
彼はあの失敗を忘れない。今回は前作のリターンマッチである。同じテーマを継承し、あの時に足りなかったものをこの映画ではっきり見せる。人はずっと死者の影を追い続けて生きていくことは出来ない。いつかそこから立ち直って自分の人生を生きて行かなくてはならない。だが、それは死んでしまったものを忘れてしまうことではない。死者はいつも、どこにいても自分のすぐそこにいる。死んでしまったもののことを片時も忘れることはない。これはきれいごとではない。これからもいっしょに生きていくのだ。その覚悟とともに、人はここにいる。あの空をおぼえている。その事実を理解するまでの長い長い時間がここには描かれる。こんなにも単調に、暗い表情のまま、何も起こらない(この映画には、その「何か」が起きてしまった後の時間が描かれているのだ。)時間を静かに描くばかりだ。それって凄い。回想として過去の楽しかった時間が何度となく繰り返されていく。それすら痛ましい。
この映画は『非/バランス』からずっと冨樫監督が描き続けてきたことのひとつの到達点である。感動の押し売りにはならない。デビュー作『非/バランス』で主演した小日向文世演じるスクールカウンセラーの情けない顔が象徴する無力感。そこには監督の熱い想いが込められている。
とても感動的でした。
家族を持つものとしては他人事でないので
とても考えさせられる映画でした。