君は銀河の青い風  八木真由美 岡山

自然に沿って、自分につながって、
心地のよい光とともに。
竪琴ライア 自然農 ライトワーク ヒンメリ

  

川口由一さんインタビュー 絵を描く時の在り方と想いと喜び  

2019年07月09日 | 自然農川口由一の世界

   「絵を描く時の在り方と想いと喜び」 

川口由一さんインタビュー 2019.6

 

八木 川口さん、こんにちは。

今回は川口さんのスケッチブックを拝見させていただきながら芸術に関するお話しをお願いいたします。川口さんは現在80歳になられ、2015年、76歳の頃から描き始められて四年、スケッチブックが日々の絵日記のようですね。どのページを拝見いたしましても描くことの楽しさや喜びが伝わってきます。その中からまず、畑のズッキーニやタンポポ、ムラサキツユクサ、いずれも自然界の美しいいのちたちですが、描かれている時の川口さんの在り方や想いなどを聞かせてくださいますか。

 

川口さん 外の世界も秋、僕の内なるいのちも秋、そしてズッキーニのいのちも秋になっています。このツルのところが黄色がかっています。ところがまだ幼い少年時代のズッキーニが実を結んでいて、ああ、いいなぁと思いました。なお生きている間は、次のいのちをつくる営みを休まずに営んでいるのだなぁ。その小さなズッキーニは秋なのに新鮮なのです。その初々しさに心ひかれ、若々しく幼げな姿が綺麗に見えたので、今ここにとどめたいと思い座って描き始めたのです。内から描きたくなるのです。

 

 
 ところでズッキーニの綺麗さに心惹かれている時は、ズッキーニはズッキーニで僕は僕で、それでいて隔たりなくその美しさが観えています。それをそのまま一枚の紙にとどめることができたらいいわけです。描いた絵を後日にいつ見てもその時の喜びと同じ喜びとなり、ズッキーニの新鮮で美しい姿が今のこととして観えてきて幸福を得ることができます。描く時は、ズッキーニはズッキーニ、僕は僕、個々別々でありながら同時に一体である絶対の境地で相対する美しいズッキーニを空間である紙の上に美しく表現出来たらいいわけですが、その境地で美しい姿を描出するのはなかなか難しいです。この時はズッキーニの若々しさに心ひかれていますので、その若々しさを見失わないようにとの想いで、緑一色で新鮮さをあらわしてゆきました。茎の方は少し秋の気配があり黄色、茶色を帯びていますが、明と暗、光と影の相対的な描き方に落ちずにシンプルに描きました。

 そして「なお輝くズッキーニ」という言葉を描き終えてから浮かんできたので入れています。秋の終わろうとしている時に、なお若きいのちの実を結びつつズッキーニの親である本体はやがて終わりに至るのだ。この若いズッキーニは完全ないのちには育つことはできないだろう。完全ないのちに育つとズッキーニの中に次の子孫の種を結んでの成熟ですが、そこまでは生きられない。でも生き続け、親が生きている間は育ち続けるのだなぁ、そして親と子の別なき営みのなかで親と子の別となる営みなのだ、との思いが浮かんできました。ズッキーニの新鮮さに感動して描こうとしたこととはちょっと別で、僕の智の働きによる分別した言葉です。
 


 ただ、描き方でこの絵は僕の方へ少し引っ張り過ぎているのだなとも思うのです。このズッキーニとのあいだに空間が不足しているのです。一体で在りながら別々も極めている澄んだ状態でズッキーニを描けたらいいのですが、別である在り方に偏ると少し向こうにいってしまい、別であることがあらわれます。一体が薄れて別が顕著になると淋しさをも覚えて親しみが薄くなるゆえに、自分の方に情で少し引っ張って一体であろうとしたのですね。けれども若々しくて新鮮なズッキーニを前に複雑でなくシンプルにズッキーニに添って描いています。この時の僕はその存在に確かさを覚えながら、初々しい状態で楽しく描いています。現象界における確かなる物質を有す宇宙自然界のすごさを覚えつつ、幼いいのちに愛おしい思いで愛おしく描けるのは本当に楽しいです。 

 タンポポの絵は、自分の方へ引っ張り過ぎてなくて、周囲にも手前にも空間がある。その描きだした周囲の空間が澄んでいるでしょう。茎も葉も花も澄んでいる空間に濁ることなく澄んだ状態でとどめられています。一体でありながら別々も少し極められています。それゆえに安定した姿として彩りや優しさも描けています。小さな草花ですので目の中に入るので描き易いゆえです。空や広がる雲や雨の気配等々の場合は、姿・形は定まらず常に揺らいで変化していますし、アウトラインがない。無辺無窮の果てなき宇宙と相似ていますので何れも描き難しです。姿形ないものや大きなものは、肉眼の中に入れて観ることが出来ないですので、描き表すのに事情が異なります。相対する現象世界を超えて絶対の世界に立ち人間性の成長を成さないと、相対界に存在するすべてをさらに優れた全き絵には描けないことをある時に知りました。
 

 
 ムサキツユクサは生命力があるので、勢いに圧倒されないように執らわれないように誇張しないように、その強さを描いています。「黙して放開」というのは、黙して語らず解き放つという、自分になりきってツユクサを生きているという意味です。露草は逞しく露草を生きて自由。我を語ることなく主張することなく意識することなく今、今、今を生きています。

 

 
 自然界は真そのもの善そのもの美そのものであり、自ずから然らしむるものです。花も草も木も実も美しい。山も空も雲もそれぞれの性があり色あり姿形あって美しい。静かに確かなる存在です。同様に人間もしかり、自然なる存在です。それがそのままなんとも言えず美しい豊かな生命体です。人間の存在が摩訶不思議でもあります。特別な生き物でもあります。特別と言えばそれぞれに皆特別ですが、特に人間の姿形を現わし智恵と能力を宿し、いのちが営む人間には別格を覚えます。その中でも男性の僕からすれば女性は特別に豊かで柔軟で美しい、女性からすればもちろん男性はやはり特別に美しくたくましいすごい存在であるはずです。

 

 少し前からこの美しい人間の身体を描きたくなって描き始めています。女性の裸体像は男性である僕にとっては特に魅力が深くて強く惹かれます。このこと自ずからです。この女性の価値と位置づけと意味と意義の正しい認識、そしてその女体の位置づけを是非にと絵で描き現わすことにしました。描き始めると次々と深く尊く大切な存在として描き、認識し、位置づけ、価値づけが湧き出で誕生してくるようになりました。そして正しい位置づけ、正しい認識、正しく女性を知ることの大切さを深く静かに強く覚え感じ思うようになっています。人生の全うに、幸福裡の日々に欠かせない認識であり自覚です。

 

 10代の後半から30代に入る頃までの約10年余り美術研究所で裸婦像を描き、塑像を造る期間があり、その時期のスケッチブックを取り出して観つめながら、今の思いで、今に感じてくることを描いています。やはり他にはない特別な深い想いで描くようになっています。楽しいです。今を意義深く生きることができる喜びです。人間として生まれてきたこと、人として男性として80年生きてきたことのありがたさ、そして人として男性として生まれ、人として男性として生きてきたことの意味と意義を悟り知ってくることにもなっています。 

 

 

 

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 数十万年、数百万年前、目的なく、自然に男女に産み分けられて、この宇宙に、この地球に、人類が誕生してきたことの意味と意義をも悟り知ってくることにもなっています。80歳に入り、老年期の後半であり人としての成熟期にも入りました。死ぬまでのいのちある間は、今、今、今を幸せのうちに生き、喜び多く、豊かに美しく成熟してゆきたいです。 

 

お話し 絵 文章 
自然農実践家指導者 
川口由一さん

インタビュー 編集 八木真由美

 

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