1972年
セ・リーグの打撃ベスト・テン上位に見なれない名前が乗っている。広島の久保祥次捕手(20)だ。二十日現在当り屋ロペスについで二位。プロ入り十一年目、一度もベスト・テンに顔を出したことがなかった男。春の珍事か、本物か。突如とびだしてきた久保祥とはどんな男か。
「ボールがよく見える。ストライクをのがさず打っている。タイミングがうまく合っている」ここまではスラスラといえた。しかし、なぜこんなにヒットが出るのか「自分でも信じられない。不思議だ」と首をひねって考えこんでしまう。開幕してから七試合、ヒットが出なかったのは十四日の阪神戦だけ。根本監督や森永コーチは「けっしてフロックではないこれが彼の実力なんだよ」とこのチャンスに一本立ちさせようと、少々オーバーに表現をしながら、シリをたたく。だが本人はくすぐったそうに「あとは野となれ山となれ。もう数試合もすればおさまるところにおさまる」と、いまの好成績が、むしろ迷惑とでもいいたげだ。別名「ホトケのショウちゃん」入団のいきさつがおもしろい。高校時代(広陵)は試合に出場したことのない遊撃手。十四人のメンバーにもはいれなかった。人をおしのけてでもという気性の激しさがなく、三年生になっても一年生を助けて球拾いをしていた。就職先は広島大学病院の事務員。ここで草野球チームのメンバーがたりないということからかり出され、初めて捕手をやった。だがそこでもとくに目立った存在ではなかった。ただ肩が強いというのがとりえ。事務員の一人が冗談をいった。「その肩の強さを、カープのキャッチャーに見せてやれ」ひやかしでテストを受けた。世の中、わからない。そのときカープはちょうどブルペン捕手の数がたりなかった。ただボールをうけるだけの通称・カベだ。いたずらにうけたテストに合格して本人が驚いた。広島首脳陣も「久保」という捕手がはいったことなど別に気にもとめていなかった。二、三年いては消えていくブルペン捕手のひとりくらいの軽い気持ちだった。ところが、二か月たち三か月たって、ヒョンなことで首脳陣の目にとまった。「ブルペンでただ球を受けつづけるというのは、単調でつらい仕事なんだ。ところがヤツときたら、いやな顔をするどころか、いつもうれしくてたまらないといったニコニコ顔で朝早くから夜になるまで球を受けつづけている」熱心なやつだ、といつか首脳陣やベテラン投手が目をつけるようになった。一軍のベンチにはいるようになっても自分から志願してファームの試合でマスクをかぶる熱心さ。ことしもオープン戦から捕手は水沼にきまっていた。ドラフト一位で道原もはいってきた。「控えで十分」と久保祥は相変わらずのんびりかまえていた。水沼がもしオープン戦でケガをしていなければ「まあ、ぼくはベンチかブルペンにいたでしょう」といまでもひとごとのようにいう。しかし、こうまで打てればいかに「ホトケのショウちゃん」でも欲が出てこないはずはない。これまで遠征先の宿舎でバットも振ったことがなかった。だが、いまではヒマさえあれば部屋にとじこもり、こっそり振りつづけている。中止の決まった二十日も、パンツひとつのあられもない格好でなんと三時間のバット・スイング。十九日の対中日戦、ショウちゃんの強気のリードが光った。徹底的にストレートで押し通し、これまでカーブにたよっていた外木場をよみがえらせた。負けはしたがまた首脳陣は目をみはった。消極さが消え、ベテラン投手を積極的にひっぱっていく。ホトケのショウちゃんは、やっとオニのショウちゃんになるつもりでいる。
セ・リーグの打撃ベスト・テン上位に見なれない名前が乗っている。広島の久保祥次捕手(20)だ。二十日現在当り屋ロペスについで二位。プロ入り十一年目、一度もベスト・テンに顔を出したことがなかった男。春の珍事か、本物か。突如とびだしてきた久保祥とはどんな男か。
「ボールがよく見える。ストライクをのがさず打っている。タイミングがうまく合っている」ここまではスラスラといえた。しかし、なぜこんなにヒットが出るのか「自分でも信じられない。不思議だ」と首をひねって考えこんでしまう。開幕してから七試合、ヒットが出なかったのは十四日の阪神戦だけ。根本監督や森永コーチは「けっしてフロックではないこれが彼の実力なんだよ」とこのチャンスに一本立ちさせようと、少々オーバーに表現をしながら、シリをたたく。だが本人はくすぐったそうに「あとは野となれ山となれ。もう数試合もすればおさまるところにおさまる」と、いまの好成績が、むしろ迷惑とでもいいたげだ。別名「ホトケのショウちゃん」入団のいきさつがおもしろい。高校時代(広陵)は試合に出場したことのない遊撃手。十四人のメンバーにもはいれなかった。人をおしのけてでもという気性の激しさがなく、三年生になっても一年生を助けて球拾いをしていた。就職先は広島大学病院の事務員。ここで草野球チームのメンバーがたりないということからかり出され、初めて捕手をやった。だがそこでもとくに目立った存在ではなかった。ただ肩が強いというのがとりえ。事務員の一人が冗談をいった。「その肩の強さを、カープのキャッチャーに見せてやれ」ひやかしでテストを受けた。世の中、わからない。そのときカープはちょうどブルペン捕手の数がたりなかった。ただボールをうけるだけの通称・カベだ。いたずらにうけたテストに合格して本人が驚いた。広島首脳陣も「久保」という捕手がはいったことなど別に気にもとめていなかった。二、三年いては消えていくブルペン捕手のひとりくらいの軽い気持ちだった。ところが、二か月たち三か月たって、ヒョンなことで首脳陣の目にとまった。「ブルペンでただ球を受けつづけるというのは、単調でつらい仕事なんだ。ところがヤツときたら、いやな顔をするどころか、いつもうれしくてたまらないといったニコニコ顔で朝早くから夜になるまで球を受けつづけている」熱心なやつだ、といつか首脳陣やベテラン投手が目をつけるようになった。一軍のベンチにはいるようになっても自分から志願してファームの試合でマスクをかぶる熱心さ。ことしもオープン戦から捕手は水沼にきまっていた。ドラフト一位で道原もはいってきた。「控えで十分」と久保祥は相変わらずのんびりかまえていた。水沼がもしオープン戦でケガをしていなければ「まあ、ぼくはベンチかブルペンにいたでしょう」といまでもひとごとのようにいう。しかし、こうまで打てればいかに「ホトケのショウちゃん」でも欲が出てこないはずはない。これまで遠征先の宿舎でバットも振ったことがなかった。だが、いまではヒマさえあれば部屋にとじこもり、こっそり振りつづけている。中止の決まった二十日も、パンツひとつのあられもない格好でなんと三時間のバット・スイング。十九日の対中日戦、ショウちゃんの強気のリードが光った。徹底的にストレートで押し通し、これまでカーブにたよっていた外木場をよみがえらせた。負けはしたがまた首脳陣は目をみはった。消極さが消え、ベテラン投手を積極的にひっぱっていく。ホトケのショウちゃんは、やっとオニのショウちゃんになるつもりでいる。