駒場東大前、 学生に混じって小雨の中を急いだ。 目指すは日本民藝館。
河井寛次郎 -生誕120年記念展-
栄誉等に対して無欲であった河井寛次郎の卓抜した芸術性。 簡素で重厚な形をした筥、鉢、扁壺、壺、皿など(パンフレット参照)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/d5/12a588cada695f2fbaeb19fd586c86f2.jpg)
・辰砂丸文角瓶 辰砂釉の紅い色に惹かれる
モダンな丸文 陶芸を彫塑や絵画のようにみてしまう
京都の記念館でたくさんの作品にであったばかりだ
![柳邸で](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/c4/83aa09b5ff3843c28b78fe3fa3f07a00.jpg)
ほか 柳宗悦が起こした民藝運動、 蒐集品を鑑賞。
1階 第1室 丹波の古陶
丹波焼 質素の美 模様に 流した線 用の器
大甕
第2室 西洋の陶器
花喰鳥文スリップウェア (1754 イギリス)
オーブンから食卓へ
第3室 日本の絣
絣は、 模様を決め、 寸法を計り、絣の部分を一々糸でくくり、藍甕に漬ける。 捺染でやったら楽なものを、わざわざ絣に織るのは、織れあがったものが、まるで違う持味になるから
二重三重の工程、 模様のズレ。 この不自由さが美しさを生む、工藝の神秘な法則がここにも読まれる… (織と染 柳宗悦)
2階 朝鮮時代 (1392-1910)の諸工芸
柳が集めたもの
李朝の陶磁器はじめ 木工品 金・石工品 民画など
濱田庄司 バーナード・リーチの陶器。 棟方志功の板画作品。
河井家に現れた若き日の棟方志功は、 家族に猫の「熊助」二代目と思われた。 寛次郎のユーモアと民藝の仲間、 お互いを尊重し切磋琢磨する交遊。
工芸的文字 -仏教絵画を中心に-
書として書かれたものが繰り返し書かれ模様のようになる。
画のような味わいになる文字 ゆっくりかみしめたい。
仏教絵画、 牛玉宝印ゴオウホウイン(神社や寺院が発行するお札、厄除けの護符のこと)など展示
つづいて 西館 柳宗悦邸 見学
愉しいエッセイも浮かんでくる。 浮世絵を贈ったお礼にロダンの彫刻が届いた日。 夢のようなできごとは、 当時21歳の柳が横浜まで迎えに行くようすから
ここにいると 歓喜のさまが踊り出す。 書斎には白樺派の作品が並んでいる、 ほのぼのとなった。
撮影できなくて残念。 断ればできたのでしょうか。
ほかのblogに たくさん載っています。
-☆-
河井寛次郎作品 パンフレットより
上段 左から
辰砂筒描角筥 シンシャツツガキカクバコ
練上手鶉文角鉢 ネリアゲウズラモンカクバチ
鉄呉須丸文隅切鉢 テツゴスマルモンスミキリバチ
呉須筒描扁壺 ゴスツツガキヘンコ
鉄釉白流蓋付壺 テツユウシロナガシフタツキツボ
鉛釉象嵌皿 ナマリユウゾウガンザラ
日本近代文学館もすぐ傍ですし、駒場一体は面白い街歩きが楽しめますね。
この記事と、105歳のお母さんの記事を見落していました。私の姑も可愛いおばあさんでした。いつもニコニコ顔で、感謝の言葉を述べてみんなに愛されていました。ご長寿も、体に故障を抱えてでは、ご本人も周りの人も、おめでたいとばかりはいえませんが、痛みが何もないとは羨ましい幸せなお方ですね。最高齢まで長生きされることでしょう。
モチーフにもいえそうです。高価な物を並べなくても、ふだんの暮らしの中にあるおもしろい形や色などに驚いて。
「何の役も果たせぬ絵を画いて喜んで」お描きになるかたが、そのことでこころが躍り輝いていれば良いのではありませんか。プロではありません。段階を踏んで得てきたものこそ尊い気がします。 と偉そうに
ひとには言いますが、自分では叶いません。生涯に 一点でもと思います。
母には自分のこれからをかさねています。ありがとうございます。