(風の谷の主要道路、修復してもらって走りやすくなりました)
ジェルソミーナ!
道と書いてこの名前がときどき思い出される。
言わずと知れたフェリーニの代表作である映画「道」のヒロインだ。
横暴な主人ザンバノの犠牲となった女は哀れで時に滑稽だが、
ガラス玉のように周囲を映し出す存在で純真の塊なのだ。
ラストの激しく重い悔いに号泣するザンバノに人は何を見るか。
フェリーニは強いていないけれど、突き刺さる刃のように迫ってくる。
涙しながら人は何を思うだろうか。
この映画、10回は観たよという人はザラにいるだろうな。
歳を重ねるとともに観たあとの感慨は深くなる、そんな映画だ。
フェリーニ夫人でもある女優ジュリエッタ・マシーナの演じた
ジェルソミーナは白痴というよりわたしには神の賜物としか
映らなかった。
キリスト教も神道も神の世界では純真なものがもっとも愛される
ことに変わりはない。
そして人を癒し救うのもまた純真である。
智恵でも力でもないということだ。
愛らしく優しいものと、力強いものと、賢いものとが共にあり
何かが欠けて何かが突出したりしない。
それがいかに困難か、困難ゆえに求め続けていく。
求め続けていく、道が伸びて続いてつながっているように。
(えー、風の谷のこの道はうちの近くで行き止まりですけどね
あたいは行き止まってなどいられないっす)
ジェルソミーナ!
道と書いてこの名前がときどき思い出される。
言わずと知れたフェリーニの代表作である映画「道」のヒロインだ。
横暴な主人ザンバノの犠牲となった女は哀れで時に滑稽だが、
ガラス玉のように周囲を映し出す存在で純真の塊なのだ。
ラストの激しく重い悔いに号泣するザンバノに人は何を見るか。
フェリーニは強いていないけれど、突き刺さる刃のように迫ってくる。
涙しながら人は何を思うだろうか。
この映画、10回は観たよという人はザラにいるだろうな。
歳を重ねるとともに観たあとの感慨は深くなる、そんな映画だ。
フェリーニ夫人でもある女優ジュリエッタ・マシーナの演じた
ジェルソミーナは白痴というよりわたしには神の賜物としか
映らなかった。
キリスト教も神道も神の世界では純真なものがもっとも愛される
ことに変わりはない。
そして人を癒し救うのもまた純真である。
智恵でも力でもないということだ。
愛らしく優しいものと、力強いものと、賢いものとが共にあり
何かが欠けて何かが突出したりしない。
それがいかに困難か、困難ゆえに求め続けていく。
求め続けていく、道が伸びて続いてつながっているように。
(えー、風の谷のこの道はうちの近くで行き止まりですけどね
あたいは行き止まってなどいられないっす)