想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

父の恋した人

2009-09-17 01:30:54 | Weblog


困っている人がそばにいて、それを放っておくのは面倒見るより難しい。
父は引揚者であったので無一文から身を立て、いや立てようとしながら
わたしたちを育ててくれたのだが、そのさなかに他人の世話をやいていた。
幼いながらに頼ってくる人と面倒見る側の関係はわかっていたように思う。
父自身は人に頼るのを嫌ったのか、家の中では子供といえどもようしゃなく
叱られ自立を促された。歳の離れた若い妻にも厳しかった。
だが、その一方で他人の相談事を断らない。
少し物事がわかるくらいの年齢になって、わたしは母の愚痴をきくともなく
耳にすることがあって、母の当時の年齢を超えた今、それを思い出すことがある。

母は忘れてしまったかもしれないが、そういう母にしてもわたしから見れば
近隣のどの大人より他人に優しかった。
断らない父と、それをあてに訪ねてきた人を迎える母なのだから。

ぜんぜん似ていない、性格も違う二人だったが、なにが共通なのかといえば、
おもいやりの深いところなのであったわけだ。
それがお互いに向けられなかった、諍いはどうしてか、と考えてしまうと残念な
ことだと言わなくてはならなくなる。
でも、そうではないとこのごろわかってきた。
歳はとるものだ。こういうことがじわりじわりとわかってくるから。

やはり父は母へ、母はもちろん大好きな父へ、思い合っていただろう。
度が超すほどに思っていたことだろう。
ただ、それを言葉にすることが難しかった。
行動すると、その説明がまた言葉だ。言葉だと違ってくる。
もしも、ふたりの間に、ふたりの生活にあれほど他人がいなかったら、貧しい台所から
子供のミルクを分けてあげたりしなくてよい暮らしぶりであったなら、と考えてみた。
母は黙って父のそばにいただけかもしれないし、父は母が出かけた先の心配など
しなくてよかっただろうし、と思ってみる。

父は満州で暮らしていたときのように、絹の服を母にも買って着せたかったのだろう。
でもそばにいれば、困っている人の面倒のほうが先になってしまう。
それをわかってくれる人と知って一緒になったのだろうなあ。
ふたりが鉄道のスイッチバックのある駅で顔見知りになって、つまり恋に落ちて一緒に
なったという話が、悲しい思い出は溶かして、わたしを幸せにしてくれる。

今年最後のバラと庭の花を、父へ。
(母さんの気持ちに代わって)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする