想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

美味しい夏櫨(ナツハゼ)の実

2009-09-23 23:02:09 | Weblog
今年の春にたくさんの庭木をいただいて植えたうちの一本、
夏櫨(ナツハゼ)が早々と紅葉し、実が生った。
ツツジ科スノキ属、ブルーベリーとよく似ていているので和製
ブルーベリーと呼ばれているそうな。葉色が綺麗で生け花にも
使います。
実は夏場は赤、秋になると次第に黒紫へと変化し熟していく。
そろそろかなと摘んで口に入れてみたら、まだ酸っぱかった。
それが先週の日曜日。



そしてまた今日、そろそろ熟してきたかな、もういいかなと
摘んでみた。そばで興味津々の親分に、ささ、どうぞと味見させる。
毒見ではない、味見。お先にどうぞという気配りでもある。
目ぢからで催促されてのことではない。
で、食べた。ぶどうが好きだもんね君はね、味はいっしょかな?
お、だいじょうぶだな、旨いんだな?

で、うさこも食べてみる。
おおおおおおお、ブルーベリーじゃないすか!(櫨の実です)
さっそく摘み取ってジャムにしましょう、しましょう。
農薬を使ってなくてよかったよかった、野生児みたいに摘んで
すぐに食べてもだいじょうぶだかんな。
(ドウダンツウジの根元に生えたミョウガは採ってすぐに川で
洗ってむしゃむしゃと食べた。キャンプ気分、ただの散歩なのに)



全部取ってしまうと楽しみがなくなるので、7割がた残しておく。
カメは熟したものをまだ見ていないから。
アレがコレです、と全部ジャムにしてみせてもナンだからな、
木に生ったまま残しておくことにした。
夏櫨は花も可憐でよかったが、どんな実が生るか待っていたのだ。
期待以上の収穫と味、実が生るのって嬉しい。
単にイヤシイだけじゃないかとつっこまれそうだが……。

花よりぞ木の実とはなる、これ六根清浄(ムツノネキヨラカ)なり。
ムツノネキヨラカなるがゆえに、ワガミナカヌシ安らかなり。
ワガミナカヌシ安らかなるがゆえに、アメツチノカミと同じなり。

神様とつながっている木の、その実をいただいて、何よりの
ごちそうさまです。食べたらわたしも親分もみな一つになって
つながって安らかであります。
豊穣の祭り、お供えの原点でありますなあ。
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饒舌な森

2009-09-23 01:31:34 | Weblog
森の奥のつきあたりを登ってゆくと、広大な試験場と牧草地が広が
っている。
雨水は地面を這い、あるいは土中にもぐり濾過されて地表に再び
湧き上がってくる。
大雨の後に水があふれて流れた後にできた亀裂や隆起になにやら
白いものが付着している。裏山の道を歩いていて気づいたのだ。
牧草地の真下にあたる場所だ。以前にもそこから大量の水が落ちて
くるのを見て訝しく思ったことがあった。
それは森に幾筋もある沢の一つに流れ込んでいくのであるが地面が
えぐられむきだしになったヒューム管も途中で切れている。
水はそこらじゅうに溢れ、土をえぐっているのだった。
そして一帯は赤いはずの山土が白カビに覆われているように見えた。
うちの小川への経路と1本ずれた脇の沢に続いていることを確かめ
そのときは考えるのを止めたことを思い出した。今また白い地表が
以前より増えているのを見たのである。

残留農薬のような類ではないか? 心配性のうさこは検査せねばと
考え考えしながら残りの山道を歩いてもはや楽しい散歩ではなくなった。
親分はちと脚にきたか、同じく必死の表情であった。
心配性の杞憂に終わればコレ幸いであるなあ。
 


おしゃべりが聞こえているときにはわからなかった。
それがいったん沈黙にかわると、とたんに懐かしくはっきりと
思い出される快活だった時のこと。

敷地内に農薬を使わないできたのに、夏の前に一度だけ粒状の
殺虫剤を使ってみた。若葉がことごとく幼虫の餌になってしまう
のを憎悪してのことだった。
その薬は園芸や野菜の専門農家や業者が用いているものである。
地中に浸透し茎や葉に虫をよせつけなくなる。

二ヶ月ほど様子をみていたが、施した花木に虫は減った。
全然いないというのではないが、葉という葉にまとわりついていた
糸状の幼虫や黒い豆粒のような虫がみえなくなった。
幾度か見回りしているうちに気づいた。静かでビミョウな気配なのだ。
つまり、生きているモノの発してくる気配が希薄。無いに近い。
ああ、ダメだと強く思った。
花はよく咲いた、虫はついていない、よかった、とはならなかった。
虫除けにニームオイルを使ってきた時は同時に虫取りもする。
面倒だし絶対に欠かせない。
それが面倒であっても騒がしい虫たちと花木の攻防やおしゃべりが
聞こえていた時のほうがよかった。嫌な感じがする。

農家にしても最近は極力農薬を控え、できれば使用しない方法を選択
する時代だ。それはそれなりの理由あってのこと。
その理由を肌で感じた一時であった。悪いことをした。



自然界では淘汰され強い者が生き残るのが法則と言うが、
でもそれはちょっと短絡的ではないだろうか。
弱い者は弱いなりの居場所がある。
強い者が全てを支配し覆いつくすというような強さなど自然には
存在しないはずだ。し得ないからだ。
(スサノオとアマテラスの神話に然り)
それでは偏りとなる。自然は調和し均衡がとれているゆえに自然だ。
強者が生き残るというのは、ごく一握りの亡者、権力に取憑かれた者の
考えにすぎない。つまり人間の思慮を欠いた営みが均衡を破る原因と
なっている。だがそのことも含めて、自然は均衡を取り戻そうと働く。
盛者必衰、驕る者久しからず。

仕事から戻ると、森はまだ饒舌にわたしたちを迎えてくれた。
ほっと安心し、そして感謝している。
(仔猫、今夜は二匹ひっついてきて、縁側でわっしょいしていた
シマコはすました顔をし、わたしはニヤケ、親分は寝ている)
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