サンシュウという木に赤い大粒の実がつくことを知った。
春にいただいて移植したとき黄色い花をつけていたが、まだ若い木である。
今年、赤い実がついていたかどうか気にもとめていなかったのだが、急に
大事に思えてきてしまって、ゲンキンなようで申し訳ないここちである。
なんだか、うちの子才能あるんだって、と襖の陰でささやく親の気持ちである。
「心が大事、大事、魂を込めて、って言うなあ、よく聞くなあ。
でもそれって言わぬがなんとかで、形に込めるってことだから
形を示さねばなんにもならない、って言う。
すると、だからですね、形だけじゃ儀礼とかのギがついてしまうから心が大事、って
また言うんだな、これが。
この繰り返しでこの応酬で、振り出しに戻ってしまう。
ちっとも進まないままに、魂も心もどこにあるのか定かでないけど、確かにあるような
気がしてるんだから、それが困るのよね。
ないないない、それはない。
心がって言い出したときにもうそこには「無い」ってことだけは
はっきりしてるよな気がします、ね、わたくし(今日はわたくしって言っちゃう)
形というのは意外に難しく、パッとできませんね。
形は面の上に立っていくものなので、パッとは立たないね。
順順にあっち支えこっち支えしながら立っていくもので、あちらを立てればこちらが
立たずってのも乗り越えたところに形ができて両端がきれいにそろったらようやく
出来上がり。これがパッとはいくわけないから、形あるところにおのずと心ありって
ことかしら。無作法はだからもうハナからダメってこと。
あたいなんか、いや、わたくしなんかぶきっちょのうえにぶさいくでぶさほうと心得
てますけんね。おずおずお辞儀してしばらくはおつむをあげないでおくようにします。
おつむあげるのを忘れたわけじゃないんですよ、1、2、3、4、5、4、3、2、1
って数えてるうち、他のこと思いついたりしてはいますけど。
勇気をふるったり、はりきったりできません、おずおずです。
そういう自分を好きではないです、嫌いです、でもぶきっちょですからね、嘘もダメだし。
まあこれを理屈でいえば義とか仁とか智とかになっていくんでしょうけど、
あたいの場合は、もうダメと知ってますから、おずおずとやるんですね。
おずおずとでも、世間ではパパパパッとやってるように見えたりしますから。
心って見えませんから。
いつもそっとしずかにおずおずです、それで乗り遅れてるかもしれませんけどね。
心がいつも誰にも見えないかというと、そうではない。醜いと見えますね。
醜さと悪意だけは誰の眼にも、はっきりと映っています。変でしょ。
いえ、バレてない? それはバレてないんじゃなくて、一致しているだけです。
一致すれば見逃すように脳が判断してくれてます、事挙げされないってことです。
だけど気が変わったときには、脳は利害の判断を開始しますからちょっと困るかな。
そういうことがたくさんあって、心って一口に言ってしまったりするのは、
遠慮したい気がする。
木や花を撮ると、見えてない心が切り取れたみたいで、うれしい。
ほっとして、心のありかがちゃんとわかっている安心感って言うんでしょうかね。
ディティールなんですね、人生の。」
(うさこ談/聞き手黒犬 場所 サロン・ド・ソーフーにて)
春にいただいて移植したとき黄色い花をつけていたが、まだ若い木である。
今年、赤い実がついていたかどうか気にもとめていなかったのだが、急に
大事に思えてきてしまって、ゲンキンなようで申し訳ないここちである。
なんだか、うちの子才能あるんだって、と襖の陰でささやく親の気持ちである。
「心が大事、大事、魂を込めて、って言うなあ、よく聞くなあ。
でもそれって言わぬがなんとかで、形に込めるってことだから
形を示さねばなんにもならない、って言う。
すると、だからですね、形だけじゃ儀礼とかのギがついてしまうから心が大事、って
また言うんだな、これが。
この繰り返しでこの応酬で、振り出しに戻ってしまう。
ちっとも進まないままに、魂も心もどこにあるのか定かでないけど、確かにあるような
気がしてるんだから、それが困るのよね。
ないないない、それはない。
心がって言い出したときにもうそこには「無い」ってことだけは
はっきりしてるよな気がします、ね、わたくし(今日はわたくしって言っちゃう)
形というのは意外に難しく、パッとできませんね。
形は面の上に立っていくものなので、パッとは立たないね。
順順にあっち支えこっち支えしながら立っていくもので、あちらを立てればこちらが
立たずってのも乗り越えたところに形ができて両端がきれいにそろったらようやく
出来上がり。これがパッとはいくわけないから、形あるところにおのずと心ありって
ことかしら。無作法はだからもうハナからダメってこと。
あたいなんか、いや、わたくしなんかぶきっちょのうえにぶさいくでぶさほうと心得
てますけんね。おずおずお辞儀してしばらくはおつむをあげないでおくようにします。
おつむあげるのを忘れたわけじゃないんですよ、1、2、3、4、5、4、3、2、1
って数えてるうち、他のこと思いついたりしてはいますけど。
勇気をふるったり、はりきったりできません、おずおずです。
そういう自分を好きではないです、嫌いです、でもぶきっちょですからね、嘘もダメだし。
まあこれを理屈でいえば義とか仁とか智とかになっていくんでしょうけど、
あたいの場合は、もうダメと知ってますから、おずおずとやるんですね。
おずおずとでも、世間ではパパパパッとやってるように見えたりしますから。
心って見えませんから。
いつもそっとしずかにおずおずです、それで乗り遅れてるかもしれませんけどね。
心がいつも誰にも見えないかというと、そうではない。醜いと見えますね。
醜さと悪意だけは誰の眼にも、はっきりと映っています。変でしょ。
いえ、バレてない? それはバレてないんじゃなくて、一致しているだけです。
一致すれば見逃すように脳が判断してくれてます、事挙げされないってことです。
だけど気が変わったときには、脳は利害の判断を開始しますからちょっと困るかな。
そういうことがたくさんあって、心って一口に言ってしまったりするのは、
遠慮したい気がする。
木や花を撮ると、見えてない心が切り取れたみたいで、うれしい。
ほっとして、心のありかがちゃんとわかっている安心感って言うんでしょうかね。
ディティールなんですね、人生の。」
(うさこ談/聞き手黒犬 場所 サロン・ド・ソーフーにて)