整備された遊歩道とは違う落ち葉のたまったままのフカフカの道。
道路との境界線に続く細長いコミチ。カメが数年がかりで造った。
この春、榊の植え込みをみんなしてやったとき、丸太を積み直した。
ずっと前からこうしてここにあったような風情の道になっている。
どんな手で、どうやって、どのくらいの時をかけて、それが造られた
のか、そういうことを考えて物事を見るのはいい。
素通りしていかず、ユエンやユイショ(所以、由緒)を思うことが
できる時、そういう時間は「旅」であるな。
いつもいるところであっても、旅している気がする。
だいたいにおいて、今ここにこうしているのがあたりまえ、みたいな
感覚のほうがわたしにはぎこちない。
めったにそんな感じのときは来ない。
それはずっと以前、子どもの頃から今に至るまでそうなのである。
ほかの人はどうなのだろうか。
そんなこたああるめえ、って言ってるそこの人、ほんとかしら?
あなたは自分のアシでそこに来たのかしら?自分のイシで。
旅もできないとき、具合が悪い。調子くるってる感じ。医学的に言うと
自律神経が不調なわけだが、ザワザワするので脳が勝手にシャッターを
下ろして本日休業と張り紙してしまっている。
閉店されてしまって、出勤した店員が(あたしね)うろうろしている。
フカフカの道を歩いていると、めまぐるしく回転する脳とほどよく疲れる
身体のつりあいが取れてきて、旅の途中の充実を感じるのである。
旅人のお方、遊びに来たならこの道をご案内しませう。