帰りみち、夕陽に染まる山の端を鳥がゆくのが見えた。
車を止めて、カメラを構えた。
東京にも夕陽に染まる空はある。
けれど、ここで味わう開放感は格別だ。
この場所に帰ってくるのがあたりまえになって、でも
いつでも見れるとは限らないと以前も今も変わらず思う。
空の色は見るたびに違う。
夕陽をつかまえるのは、それはそれは根気のいることらしい。
完璧な夕陽、日没の瞬間を見たのは数えるほどしかない。
いつでもそこにあると思えば、ま、いいかって通りすぎる。
明日も夕暮れはあるから、って信じているのだ。
たしかに明日、太陽は西に沈むだろうけれど、その眼で必ず
見ることができるといえようか。
明日のことも一瞬先のこともわからない。
だから、あっという間につるべ落としのように消える赤い光を
見逃さないように。
二十代から三十代前半くらいまで夕暮れはビルの窓からたまに
見るくらいで、夕暮れの空気を味わうことはできなかった。
仕事を終えて外に出るころには、人工の明りで照らされた街路。
闇でもなく陽の光でもないところを歩いて帰った。
だから、こうして夕暮れを眺めていると今でも嬉しくなる。
夕暮れの自由時間が好きである。
車を止めて、カメラを構えた。
東京にも夕陽に染まる空はある。
けれど、ここで味わう開放感は格別だ。
この場所に帰ってくるのがあたりまえになって、でも
いつでも見れるとは限らないと以前も今も変わらず思う。
空の色は見るたびに違う。
夕陽をつかまえるのは、それはそれは根気のいることらしい。
完璧な夕陽、日没の瞬間を見たのは数えるほどしかない。
いつでもそこにあると思えば、ま、いいかって通りすぎる。
明日も夕暮れはあるから、って信じているのだ。
たしかに明日、太陽は西に沈むだろうけれど、その眼で必ず
見ることができるといえようか。
明日のことも一瞬先のこともわからない。
だから、あっという間につるべ落としのように消える赤い光を
見逃さないように。
二十代から三十代前半くらいまで夕暮れはビルの窓からたまに
見るくらいで、夕暮れの空気を味わうことはできなかった。
仕事を終えて外に出るころには、人工の明りで照らされた街路。
闇でもなく陽の光でもないところを歩いて帰った。
だから、こうして夕暮れを眺めていると今でも嬉しくなる。
夕暮れの自由時間が好きである。