あちこち、寝場所があるシマコさん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/da/00a6d11b7524d6f5d1177a6ad68710db.jpg)
定位置はこの縁側で、ひがな一日ここにいたりする。そこへ昨年の子、コブチャが
混ざりにきたりもして、あんみん場所となっている。
信頼、猫に信じてもらえて嬉しい。
しかし人と信頼しあうのはむずかしいようだ。こちらは思っていても相手は
なんのその、約束も忘れてしまってる人、違える人、いろいろだ。
若かったころ、約束を守らなかったことが何度もあったろうと、もう記憶も
おぼろげだけど、ないわけがないと思う。思い出そうとするだけで胸が痛い。
嘘をつかなくなったのは30になってから。できなくなったという方が近いかな。
怖くてできなくなった。
嘘も方便という言葉があるが、人間がこなれていないとほんとの嘘になってしまう
から難しい。不器用なので、結果嘘にならない方法を選ぶのである。
自分と似た人と親しくなるので、友を裏切らないですんでいる。
また友に裏切られる心配もないのだが、結果として友にはなれなかったなと
思うことは多々ある。多々あるから、なんだか寂しい気持ちにもなる。
人を信じたいという気持ちの方がわたしは強いのだと思い知る。
閻魔様に舌を抜かれるぞという子どもの頃の教え、仏教説話の方便が懐かしい。
閻魔様なんかいないと思っていても、忘れなかった。
なんか妙な恐怖感があったりして。でもだから嘘をつかないというのではなく、
自分を汚すようでいやなのだ。
嘘をつくくらいなら黙っていたいと思う。そういうとき、しばしば黙ったりする。
それが顔に出てしまい、問われ、結局のところほんとのことを言ってしまう。
狎れて平気で嘘をつく人は、嘘の反対の本当も失ってしまうらしい。境界がない。
そういう人と話していると虚しい。とりつくしまもない感じ。恐ろしい気さえする。
シマコは嘘も方便の達人、っていうか魔女とわたしに呼ばれている。
おなかすいた~おなかすいた~と甘えて、お皿に追加させといてコブチャに合図
して食べさせるのである。もらっちゃえばスマした顔してもう甘えない。
なんだ、シマコが食べるんじゃなかったの?と話しかけると、ツンとしている。
シマコは山道を登ってくる車の音を聞きつけ、門のすぐそばまで駆け寄ってくる。
離れていても忘れないでいてくれる。
それがシマコの礼儀であるような、ないような。
犬猫のほうがよほど仁義を知っているような気がする。