想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

素粒子的記憶

2010-07-20 10:34:18 | Weblog
早朝の光。郵便配達は一部だけ赤く塗った原付バイクでやってくる。
いらっしゃーい。
散歩帰りのベイビーが門の外に立つおじさんに向かって笑っている。
おじさんはとても無愛想で、一度クレームをつけたからかと思って
いるが、もう6、7年も経つけどまだ笑ったところを見たことがない。
ありがとうございますと言っても、おつかれさまですと言っても、
表情筋に変化はなくて眼鏡の向こうの目も動かないのである。

留守じゃないのにちゃんと届けてくれなくて、山道の途中の家に預け
てあったりするから苦情を言ったときは、平謝りだったんだけど、
苦情を上に言わないでくれと、くどくどと謝りまくっていた。
これからはちゃんと持って行くからと言われたのだった。

猛暑のせいで考え事などゴメンという人は以下は読まないで(笑)。
さて、詫びることを不始末をした自分の将来のため、近い未来が過ごし
やすくするためにやるのと勘違い、大間違いしている人が多いようだ。

相手に対して行った己の非はどっかへ放りやってどうでもいいような
詫びの言葉だけが空中で繰り返される始末である。
政治や社会にユースの話ではなくて身近なところにころがってる話。

非という事実をそうやってもみ消して、すっきりしたいからすみません
と言うのだろうと取られても仕方がないくらい、過ちは繰り返される。
世間ではすみません、もうしわけござーませーんというのが軽く軽く
なって、口癖のようにさえなって、中身は空っぽである。学習しない。

失敗は己と相手と詫びを入れることによってさらに共有され、学習する
のは失敗した側だけではないはずだのに、すみませんと言ったほうが
逃げていくという構図は卑劣なことだ。

郵便配達のおじさんのことをなんとも思っていないけど、無愛想な顔と
放り投げていく姿は、多々いるあの手の人を連想させてしまった。
朝の光が鮮やかに照らして、ここでは善のほうが強いのですぐに気分
を変えることができるけれど。

消臭剤で匂い菌を消し、そこで何事もなかったように跡形を消す方法を
手に入れた今日である。
しかし、犬の嗅覚には消臭剤では太刀打ちできんぞ。
ファブリーズを撒いても、犬は覚えている。

犬と暮らして素粒子レベルの記憶で呼吸しているうさこは言葉の上っ面
でかき回されると軽くめまいなどするが、でもなあ、あったことをなかった
ことにはできない。
許すことはもちろんできる。許されたくもある。
けれど、挽回しようとするのは言い換えると上塗りなんだからと思う。
事実は単に上積みされるだけで前あったことが消えたりはしないのである。

この事実、信にするには消そうと思わず、認めることしかない。
認めるということが、すっきりすることである。
理明しかり。整理して風通しよくしないと人の中身も腐ってゆくからなあ。



コメント
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