想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

育ってます、みんな

2009-09-14 09:28:55 | Weblog
危機を脱したシマコ母さんと子猫たち。4匹全部育っています。
(一匹はシャッター音に驚いて隠れてるけど)
まだママのお乳を飲んでる子と乳児用フードを食べる子と分かれたけど
夜になると縁側へぞろぞろとやってくるのです。
そうなることを期待してか、予感してか、あらかじめカメは縁側に板をたてかけ
子猫専用階段を作っていたわけです。
カメは思惑通りなのに、なんだか困ったようなうれしいような複雑な様子。
あまりに夢に見た通りなもんだから、正夢に困惑。


がくちゃんも育ってます。
ステージのライトの下ばかりいるとヘタってしまうという危機感から
森で力仕事しているのだー。
10年前を思い出しながら、だんだんコツがわかってきて気持ちいいらしい。



黙々とではなく、話しながらする作業は呼吸が合って早く進む。
黙っていてもわかるなんて気取らない、玄人じゃないんだもん。
話して確認したほうが楽しい。楽しくないと、ここにいる意味がない。

肉体を酷使(ということでもないが)した後は料理で気分転換。
男性ホルモン過多気味の人は料理を女子の仕事と勘違いしているけど
頭をクリアーにしていないと料理はできない。
料理していると、偏ってしまった脳内が整理整頓され落ち着いていく。
「聡明な女性は料理がうまい」が流行ったのはずいぶん若い頃だった。
その頃は意味不明だったけど、うまいタイトルをつけたものだと思う。
人生と言わずに料理と言ったのが桐島洋子の聡明というより普通でない
ところであるなあ。
この本を手にしていた男子、その後もよくみかけた。
今、料理ができるというのはカッコいいと同義であるからなあ。

追記/晩ご飯、失敗作の八宝菜をみんなで食べました。うさこは
モンクを言いました。次また八宝菜でリベンジしなさいよ!と。
昔クックドウを使ってた過去を隠して言いたい放題である。
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高いところがお好き?

2009-09-13 12:09:43 | Weblog

土曜日は朝から雨で小降りになっても靄がかかっていた。
予定通り、高く伸びたどんぐりの木に挑戦。枝下ろしと芯詰めの作業をする。
10年前の写真と比べると、ほんとうによく伸びた。
惜しい気もするが、ええ加減に眺めてばかりいないで手入れしないと木も弱るのである。
突風時には枝は折れて飛んでくることもある。
この秋はすべての高木を手入れする予定だ。



木にかけたロープをユンボで引っ張る準備をして。



この長い長いはしごは金属製で丈夫だ。小林ペイントの社長さんが屋根の塗装をしてくれた時、
置いていってくれたものだ。ありがたや、ありがたや、この日のために。



高所作業の時はU氏の出番である。すいすい昇り降りするので
「高いところ、よく大丈夫だねえ」と言うと「バカですから、ヘヘヘへ」と笑うので
じゃあ、そう書いておくわと言うと、「え、小さくですね、小さく書いてください」と言った。
小さく書くと読めないので、はっきりと書いておこう。
バカというよりアホかもしらん。
この日みたいに高いところだとスイスイだけど、二月ほど前2メートル弱のところから落ちた
のも彼である。ドンと音がしたので、したたかに背中を打ったはずである。
そのときも「ヘヘヘヘへ」とすぐに笑った。
ビミョウに笑顔が違うので、高ければ高いほどいいらしい。
といってもはしごが届く範囲しか昇れない。チェーンソーを片手に昇り、ささっと切って
ささっと降りてくる。
下でがくちゃんとカメが心配そうに見ているが、彼はヘーゼンとしていた。
U氏は今朝、昨晩はよく眠れなかった、あんなに眠れなかったのは初めて、と言ってたそうな。

そういえば、晩ご飯を食べた後、がくちゃんとカメがギターの練習をするそばで
彼も混ざってずっとしゃべっていた。
疲れているだろうにと思ったのだが、なんだかみんな楽しんでいたなあ。
うさこはそのそばで、干したタラの葉っぱをむしっていた。
Mちゃんに「そろそろ葉っぱ、どうっすか?」と聞かれそうだからな。
桜の葉がいち早く赤く色づいて、秋はもう来たよと告げている。

今朝は晴れ。
森はとても静か、そしてやさしい時間が流れている。
次は子猫の近況です。


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モンクを聴く

2009-09-11 10:59:19 | Weblog
明け方に目が覚めた。
モンクを、FUNCTIONAL を聴きたいと思ってすぐにおきだした。
夢の続きのようにごく自然に。
CDをセットするとまたベッドに戻って聴いた。

モンク、文句あっか。
親爺みたいなことが頭に浮かび、うとうとと聴いた。



モンクありそうなシマコだが、文句はないはず。
だって食欲モリモリでまんまるじゃないの。

不快なのは、民主新議員の過去経歴についてのニュース。
何が不快かって、もちろんリークすること書かれることについてだ。
当人はノーコメントで応じているが、こういうことで出端を挫かれてヘタって
もらっては困る。
働いてもらいたい。
いや、働かなければならない、票の重みと期待に応えて。
これは同情とか感傷で思うのではなく、かつて我が国は敗戦直後GHQの占領下に
あって、戦意昂揚に一役も二役も買っていた論壇はひっくりかえった。
そして日和見と処世術のうまいやつだけが生き残った。
元海軍将校の反省会の録音というとんでもない史料が公表さた。
どんでもない話を平然とし、責任回避に汲々としている声を聴いているのは堪え難い。
彼らの過去はどう問われたか?
若い命を無辜の命を特攻などと言い死なせたことは、どう償われたか。
風俗ライターやってましたなんて、それに比べれば過去と呼ぶほどのことでもない。
風俗で稼いでアメリカ留学しMBA取りましたなんてキャリアウーマンは少なくないのに
国会議員だったらどうして悪いのか、そこんとこも書くなら書かないか?
垂れ流しは風俗記事と五十歩百歩だ。

代議士は無私でなければ務まらない。
だから過去も未来も私なく、働いていく覚悟をとむしろエールを送りたい。
かつてSM女王の写真を週刊誌にすっぱ抜かれた山田詠美女史はいまや文壇の女王様だかんな。





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靄のかかった朝、10年前の景色

2009-09-10 15:11:18 | Weblog
10年後のことなど想像もつかない。
今、玄関前の小さな花壇に囲まれて立っている桜の木がかつて
こういう姿をしていたことをすっかり忘れていた。
まだ一号棟しか完成していなくて2つめの棟を造っている最中、
造りかけの建物にみんなして泊まっていた朝。



奥に丸太の積んであるあたりに今は想風亭が建っている。
今週末に枝下ろしをする予定の木はまだこんなに若かったんだと
あたりまえだけど、木の成長に歳月を感じる。
10年なんてあっという間だと思うけれど、その10年後を想像する
のは難しい。
ただ継続していたら辿りつくところ(地点)がある。
それを最初から目指して目標にしているか否かは関係なく、
積み重ねていれば、おのずと成っていく。
「できちゃいました」みたいな~。

継続している間入れ替わり立ち替り訪れ、そして去った人たちは
この朝、何を思っていただろうか。
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安心感と道理

2009-09-09 10:40:13 | Weblog

左上、ナショジオの本日のアイドルはヒョウアザラシ君。ドアップに堪える逸材。
そこで、うちで時々トド化するベイビー(室内では親分をやめている)の姿態を並べて
みた。



どう、一頭いれば家内安全平和確実。
南極にアザラシ君が暮らしていければ、地球も安心である。

映画「地球が静止する日」をDVDで観た。
キアヌ・リーブスはマトリックスの最後でどこへ行ったのかと思っていたら、
高度文明を持つ宇宙人になって地球の生命を救いにやってきた。
「地球を救いたい、話し合いを」というが「愚かで暴力的な人間」が地球を破滅
させる前に手を打とうというその意味が意外(でもないけど)という話。
この場合、愚かで暴力的な人間とは山奥や田園、あるいは市井で地味に安月給で暮らす
人々のことではなく大企業とそのお抱え政府をさすことはいうまでもない。
そして地球と言っているがアメリカが主犯であると暗に言っていることも
誉めてあげたい、ちょっとおおざっぱな作りだったがわかりやすい。
子供に見せたい映画。

このところうさこはやぶ医者にかかって疑心暗鬼に陥り、二軒目の医者に診てもらった。
そこで安心はしたが、その医師の言ったことは「わからない」だった。
わからないと言われはしたが、道理が通っている。
最初の医者は患者の病気に対する不安につけ込んで検査をバンバンするよ~という方針
のようである。
検査しなきゃわからんという大学病院的研究機関的体質は信用しませーん。
医師は臨床で得た経験が豊富なほど的確な診断をしてくれるものである。

医師団5名、4対1で4がクロ、1が?という意見だったとき、?は主治医で
あったので、うさこはオッパイを切られずに済んだという経験が過去にある。
疑惑、だから検査手術をするという判断を4名の医師が主張して、1名の医師が反対
した。そのわけは、触診をもう一度してみたいからということだったらしい。
そして、反対した1名が結果として正しかったのである。
その先生は予約の取りにくい行列のできる医師であることを知ったのはずっと後のことであった。

実地、実践、実感、体感、指先に魂の入っていない医師に診てもらうことが
多くなって先進技術の機械に体を任せることが多くなった。
不安は増すばかりである。
こういうとき、うさこはカメの教えを思い出している。





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セージの庭

2009-09-07 12:25:36 | Weblog

赤もいろいろなアカがあるが、チェリーセージの赤が好きで2種類植えてある。
青もいろいろあるが、ブルーセージの青に惹かれて5株植えたら繁り放題になった。
摘んでも刈っても引き抜いても、繁るのである。
バラの木を覆い隠して、ロウバイの高さを越えて、フェンスを昇っていく。
どこへ行くのだよ、セージ君。いや、セージちゃんか?
否、セージ様か? 



そろそろ間引きしようと思うのでその前に激写して、この夏の思い出に。
イギリスの庭園が好きなのは種別で区切ったりしないで混在させてあるところだ。
そのほうが自然に近く見える。一つの花だけが個性を主張するのではなく全体の
雰囲気を楽しむ。
それにしても、ということで刈り取ることにした。
全体から少しはみ出しすぎて、ブルーセージが征服欲を発揮しすぎているのが楽しくない。
なんだか不安をそそるし、バラがかわいそうなので間引きする。
しかし、間引きなんて生易しいことではすぐにまた繁るのである。
夏も終わったしそう長くはない命、と思いきや、セージは強いので寒くなるまで
咲いている。
真冬に花がない頃、この庭に目をやると赤いチェリー色が咲いていてうれしい。
だからなくてはならない存在ではあるが。

セージはシソ科である。
昨日、遠来の人からシソジュースをいただいた。
手作りのジュースは鮮烈な濃い紫色で甘酸っぱい味がした。
20年来の知人は長い歳月のあいだに幾度か贈り物をしてくれたけど、今回が一番うれしかった。
重い液体を遠くから持ち運んできてくれたという彼女に一番似合わないことだったから。
都心でスーツを着て働き、稼ぎのいいことが身上、表向きも当人もそう振る舞っていた。

ほんとうはそういう人ではないことを知っていたけど、だけど当人がそのことを隠しているうちは、
ウワベの親しみに甘んじるしかないのだった。
ずっしりと重い気持ちが籠っていて、おろそかには受け取れないものをいただいて
どう暮らしているか、何を思っているか、よく伝わってきた。

明るく地道に行こうぜ、こちらも元気にやっていくよ、どうもありがとう。




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写真消えたその後

2009-09-05 23:49:03 | Weblog

下は3月末にケータイで撮ったもの、ここに落ち着いてくれるかしらと心配していた。
夏にはどの木もたくさんの葉が繁り、根元周辺に植えたバラの苗木もハーブも咲いた。



写真ソフト(iphoto)の中の撮り貯めた写真を時系列でみていると、その時々の出来事や
人のことを思い出す。記憶の扉をあける鍵みたいだと思ったりした。
このたびハードディスクを取り替えたのでmacの中は新品になった。つまり写真は消えた。
バックアップしていない数千枚の写真、約1年半分だ。
ところが、その期間に撮った景色、光景を、意外に思い起こすことができる。
親分が10歳時分の森の景色。
ブログ掲載の写真だけが無事で、その写真をみていると他に撮った光景が思い出される。
フォルダの中にあった写真をスライドショーでみていたときよりも、より覚えている気が
する。失ってしまったので脳が再生を試みているのか、別に頼んでいないのに。

データは救出不可能と知ったとき、デジャブのような感じがして秋葉原の街を歩きながら、
これは何だろう?と考えていた。
ああ、電車にバッグを置き忘れて手帳やら仕事道具やらパスポートやら免許証やら
財布やら一度に無くしたあのときと似ている。その夜、一晩だけ妙にサバサバして
いたことなどを思い出した。
執着から自ら解き放たれるのは難しい、捨てよう捨てよう、捨てなきゃと思うと
できない。でも一発で全部無いぞー、無くても歩いているじゃないか、なんて思ったり
してた。かなりうろたえた後のことだが、夜にはそういう心境だった。

翌朝、メトロの忘れ物回収所のようなところへ連絡して見に行くと、ほぼそのまま発見。
サバサバは一晩だけだったので、凝りずに再びでかいバッグを持ち歩く日々に戻った。
今回はサルベージ依頼し一週間待って、何もかも消えました、という結末である。
なんだかよかった気もしている。
あまり、なんでも溜め込むとろくなことはない。

物事、終わるときは終わる。
ダラダラとけじめをつけないのはよくないのである。
季節が過ぎて枯木が潤い若葉が繁り、色づき、ふたたび木枯らしの季節となる。
めぐる歳月とともに物事も移ろっていくので、性急なのはいけないと戒めてきた。
けれども歳とともに、緩急のあんばいを見定めることもわかってきた。
(清原がよく我慢したねと誉められるCMは好きだ、でも猫相手じゃないよ)

ダラダラとどっちつかずで流されているように見えても、当事者に流れる意思が
あるわけではない。たいていは自己中だから流されているだけだ。
たとえば、木の葉の舟が川を流れていく。
岸辺に立てば木の葉が流れているのが見える。
舟から見れば、岸辺に立つものが後ろへ去っていくように見える。
どちらが正しいかと考えるのが自己中の思考パターンで、己が正しいと思うだろう。

見えるものをそのまま見る。現実の事実を捉え、いったん受容する。
それができないと、自己の立ち位置が見えない。自分の行く方も見えない。
もちろん相手も周囲も見ていない。
正確には見えないではなくて、見ようという気持ちがないから見えない。
あるのは、自分が思うことだけである。それっきり考えないから目先のことだけだ。
で、流される。

ハードディスク新品だと、とてもサクサクとしてて具合がいい。
そろそろ次のOSへ乗り換えるいい機会なんだが。
明日からまた写真を撮って、季節の変わり目を記録していこう。
次々に思いがけないことが起きるからなあ、撮ろう。
でも起きたことがどこかでわかっていたような気もする。
それを証明するには、今思っていることを日記に書いておくことだな。
ブログに書けないことを日記に手書きで書いておこう。
消えちまわないように、万年筆で。

とりあえず…、
今日、ブロック塀の上を歩いていたグレーシマシマの猫に、トラちゃんと呼びかけたら
立ち止まった。目が綺麗!
あれは事務所付近の猫おばさんが捜索中の「トラ」だ、きっと、まちがいない。
野良猫一族には見えんなあ。
シマコを美人と思ってたことが瞬間揺らいだが、シマコはカメ基準だからな、うん。
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お礼のお礼

2009-09-04 09:49:10 | Weblog

シマコが順調によくなってきて一安心したところで、
Dr.高木に電話をした。
処方していただいた薬が効いたことを話して感謝の気持ちを
伝えたかったからだった。

高木先生は「おー、それはよかった、よかったなあ。
わざわざご丁寧に。
よかった、よかった、ありがとうございます。こちらこそ」
とおっしゃって、お礼にお礼を返されました。

カメのところにいてさまざまな問題を抱えて相談に訪れる人を
みるが、その後の話、ましてやお礼を言いにくる人は意外に
少ない。
それどころか、舌の根もの乾かぬうちにというか、喉元過ぎれば
なんとやら、次の問題を持ち込んできたりする。
つまりケジメをつけて先へ進むということができない人が多い。
カメはその後を気にかけ続けているというのに、当事者は勝手な
ものだ。たまに礼節を尽くす人がいて、そのときはdr.高木と同じ
ように、「そう、よかった、よかった、がんばれよ。どうもね」
とか「ご丁寧にありがとうございます」と返されるのである。
電話の前でお辞儀されている。


高木先生とは親分が生まれて最初の予防注射の時からのつきあい
なので11年になるけれど、趣味のバラ栽培のころを世間話でする
くらいで医者と患者の垣根を越えたことはない。
でも人柄というのは短い会話のなかでも伝わってくるものである。
離れて住んでいる今でも渋谷区にある病院へわざわざ行くのも
東北の山ん中にいて病気になった野良猫の相談をするのも、その
お人柄を頼みにしてのことなのだった。
薬代は300円だった。
安心料はプライスレス。
お礼にお礼を返されて、笑みのこもった声を聞かせてもらって今の
ところまた借りが残っただけである。
こちらがお返しできることはないので、先生の好物を年の暮れに贈る
くらいだ。
恩は返せない。
だから背負って、感謝していく。
そのまま。


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2009-09-02 14:08:21 | Weblog
(風の谷の主要道路、修復してもらって走りやすくなりました)

ジェルソミーナ!
道と書いてこの名前がときどき思い出される。
言わずと知れたフェリーニの代表作である映画「道」のヒロインだ。

横暴な主人ザンバノの犠牲となった女は哀れで時に滑稽だが、
ガラス玉のように周囲を映し出す存在で純真の塊なのだ。
ラストの激しく重い悔いに号泣するザンバノに人は何を見るか。
フェリーニは強いていないけれど、突き刺さる刃のように迫ってくる。
涙しながら人は何を思うだろうか。
この映画、10回は観たよという人はザラにいるだろうな。
歳を重ねるとともに観たあとの感慨は深くなる、そんな映画だ。

フェリーニ夫人でもある女優ジュリエッタ・マシーナの演じた
ジェルソミーナは白痴というよりわたしには神の賜物としか
映らなかった。
キリスト教も神道も神の世界では純真なものがもっとも愛される
ことに変わりはない。
そして人を癒し救うのもまた純真である。
智恵でも力でもないということだ。

愛らしく優しいものと、力強いものと、賢いものとが共にあり
何かが欠けて何かが突出したりしない。
それがいかに困難か、困難ゆえに求め続けていく。
求め続けていく、道が伸びて続いてつながっているように。

(えー、風の谷のこの道はうちの近くで行き止まりですけどね
あたいは行き止まってなどいられないっす)



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長い留守番

2009-09-02 02:46:15 | Weblog
おっかあが帰ってきたなーと思って喜んでたら、すぐに寝てしまった。
待ってたのに遊んであげようと思ってたのに、すぐに寝てしまった。

しかたがないので眠っているおっかあをじっとみていることにした。
留守番の次は見張り番だ。
おいらはけっこう忙しくて遊んでるヒマはないのである。

おっかあが悪い夢をみないよう、時々顔をのぞきにそばまでいく。
息をしているか、くんくんしてみる。
ついでにちょっと舐めてみる。

あっ、イテッ。眠りながらおいらを手で払いのけた。
あわてて下がろうとしたけど、おっかあは目を覚ましてしまった。
「あー、ぷーちゃんだったのぉ」と言った。

また寝てしまった。
おっかあ、どうしてそんなに寝てるの?

(おい、おい、あんたは留守番の時、ずっと寝てるでしょ?)
ハハは野暮用で疲れてしまったのだよ。
ズルイヤツを一匹退治してきただけなんだけどね。
ま、寝れば疲れはとれるというわけだ。その程度さ。
明日遊ぼうね。


朝寝坊したので、遅いさんぽになってしまった。
晴れの日はお日様が上がるとまだまだ暑い。
涼しい森と違って、都会のさんぽはイマイチだなー。
今日は雨が降らないうちに、と忙しい。森の中なら自由なのになあ。
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細腕のパン職人

2009-09-01 14:26:48 | Weblog
福島県南部には白河の関くらいしか名の通った観光名所もなく
素通りされる場所であったが、会津へ抜ける甲子トンネルが開通
してからはちょっと賑やかになってきたらしい。
郡山までいかなくても福島の太平洋側、あるいは茨城北部から
会津、只見地方の温泉場まで一本で走り抜ける。
途中には昔の宿場の古いたたずまいがそっくり保存され大人気の
大内宿などがある。

その甲子道路(国道289号)へ続く道の途中、ぽつぽつと住宅や
田畑が並ぶ道沿いに一軒のパン屋、桜香oukaさんがある。
一年ぶりくらいに立ち寄ってみた。



店主の泉さんはアラフォー世代。趣味のパン作りを商売にして
しまった細腕なのになかなかしっかり者の女性である。
けれど店の雰囲気やパンそのものに表れているように、彼女は
商売っ気よりどちらかというとメルヘンのなかの女主人である。
押し付けがましくもなく、かと言って殿様商売しているでもなく
懸命なのだがそれが嫌味でもなく、誰彼がなんとなく応援したく
なってしまうような人なのだ。

わたしはハードなしっかりと熟成させた生地を焼いたものが好み
なのだが、ここではふわふわ、もちもちっとした甘いスイーツの
ようなパンを買う。
このあたりにはパティシエのいるような洋菓子店はないから、
スイーツ代わりになる菓子パンは喜ばれるのだろう、大人気らしい。
店のたたずまいは少しも変わっていなくて、そのことがかえって
時間が止まったようで不思議な安心感をおぼえたものだが、
店内のショーケースの中は、種類が増えて賑やかだった。



すごい女性、できる女性はけっこうたくさんいるが、こういう
タイプのやるなあ~という人がわたしは好きなのである。
地方の名も無いところほど、こういう人がいる。そのうち女性誌が
無理やり企画と広告タイアップを組んでやってこないとも限らない。
会津と那須に挟まれたこのあたりは絵になるしな。

メディアが送り出す「生きがい」「ライフスタイル」とは別物で、
生活することと生きること、夢みることを一つにして励んでいる
人は他の人にも勇気を与えるものだ。
この店の人気の秘密はパンの味もさることながら、女学生のように
真面目な顔をしている店主、泉さんのたたずまいにあるような気がする。

(ノーギャラです、広告文ではありませーん)
近くに来られましたらママのパン屋さん桜香
でマンゴーと小さなフルールを買ってきてもらうと、うさこは極上の
珈琲を淹れますよ~。
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不意の出来事に

2009-09-01 01:35:51 | Weblog
夜中にこんばんは。
昨晩は開票速報で夜更かししていた人がたくさんいたことだろうね。
民主党の議席が伸びていくなか、新党日本のヤッシーの当選が
なかなか決まらなくて気をもんだりしたけど、やったーと手を叩いて
喜んだそのあと、うさこのデスクでは悲劇が!

ま、macが動かん…。

壊れた? ブログ更新しながら横目でテレビをみていたのでバチが
当たったか。くるくる回りつづけるレインボーサークルが止まらない。



このとうもろこし畑と牧草地の景色をみながら投票所から帰った途中の
ことを書こうとしていたけど動かないmacのせいで更新できないのでした。
それで今日はアップルのサポートに電話し、かなり重症らしいことを知り
しばし呆然と時を過ごし、たぶん意外にレーセーな態度なのは、オノレに
呆れてショックを通り越しているからだろうな。
そして、ゴソゴソと古いPC(win,VAIO)をひっぱりだしてきたんだけれど、
またまた深夜となってしまった。

どうにかネットにつなげることができたので、更新してみることにした。
未だケータイで投稿したことはなく、PCの方がまだ楽だろうと思って
あまりに久々使用するvaioに不安がなくはないが、どうにか動いた。
ただし、めちゃめちゃ遅いのである。

記事を開くと、もう一枚写真をアップしていたのに消えている。
肝心の話題にするはずのパン屋さんの写真だった。
なくては盛り上がらないのでまた今度。
バックアップを取ろうとしていた矢先の故障に思うのは、異変は突然やって
くるなあ、だから異変というのであるなあということなのだった。
まめにとらねば痛い目にあうと後悔しても遅いんだなあ。
(macのiPhotoに入れた写真が使えないので)

追記:シマコは順調に回復しつつあり、生意気な魔女に戻る予感。
それでもいいわ、生きててくれれば。
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