想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

ミトコンドリア喜ぶ

2010-07-11 00:03:37 | Weblog
夕べの大雨がウソのように朝から陽射しが降りそそぐお天気。
今日の予定は脇の道路上を走る電線に襲いかかる木の枝を伐る
作業なんだけど、ベイビーとあたしはおよびでない。
よってみなさんを激励したり、ちょちょっと労ったりしたら
小川へゴー、涼みます。





母と甘い水の話をしたあとだから、ちょっと飲んでみたくなった。
でもベイビーが大きな図体でバシャバシャやるから水は濁ってしまう。
すぐにまた澄みきってくるけど、彼と一緒にゴクゴクやるのは気が
ひけて、っつうか、迫力に負けてどうぞお先にと引き下がった。


明日は下ろした枝の片付け作業。
晴れるといいなあ…、あ、晩御飯は「ばらちらし」みたいなご飯。
がくちゃんのママが北海道からやってきておみやげの「いくら」が
主役でそれにジャスコで買ったまぐろの切落としを添えた。
錦糸玉子と海苔も忘れずにトッピングして、簡単かつ豪華なご飯。
ひじきの煮物もあってバランスはオーケー。
最近、「ミトコンドリアご接待メニュー」とか言ってバランス重視
の献立を考えるのがマイブームである。

食べることに執着してこない人生だったので、新鮮で面白い。
カロリーだけくらいなら以前から了解していたが、栄養素と組合せ
も考えて吸収効率と脂肪燃焼に配慮する。
これが予想以上に即効で身体に表れるわけで、肉体は物質として
精神と対比させることに実感として妙な納得をする。
精神はこう簡単にいかないからなあ。
「やったつもり」と「やったのに」が常態化しているのとは対照的
に肉体は真実を語ってくれる。
医者がかんちがいに威張るのもわかる気がしたりして…。





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ふしぎな水はいらんかね

2010-07-08 17:01:34 | Weblog

梅雨時期、犬はかけまわれないから迷惑である。
夏の雨ならサーっと降って上がるから遊べるけど、昼のあいだじゅうじめじめと
降り続いて、いい加減寝そべるのも飽きてくるようだ。

それでもおとなしく待っている親分はめったに吠えない性質なんだが、散歩の
したくを始めると、すばやく立ち上がって堰を切ったように、素っ頓狂な大音量
で吠えるのである。
い、い、いきやしょうぜーーー、と力みすぎ、何言ってんの? と手で制止され、
それを避けようとしたはずみでエズイてしまうアホである。
ヘンな声になったのが自分でわかるのか、犬も照れる。照れ隠しのために
すり寄って親愛の情でごまかそうとしているのがミエミエすぎてさらにヘン。

最近はプーちゃんではなくプージィと呼んでいる。あまりお気に召さないのか
知らんふりしている。お、おまえだよ、そこのプージィ、と言っても顔も向けない。
改めてプーちゃんと言うと、な~に?と流し眼をくれる。
決して無駄吠えはしないのに、態度で示す饒舌な犬である。
彼が犬語であって幸いだ。

母が「ふしぎな水」を送ってあげようかと電話してきた。
即座にいらんいらん、そんなものいらんとお断りしたのでがっくりしているのが
電話越しに伝わってきた。
カメにどういうふうに言えばよかったのだろうかと相談したら、
「こころをおくれ、こころしかいらんばいと言ってやれ。そんならどうすればいい
んかい、と聞いてきたら勉強しなっせと言ってやれ、以上」と言われた。
この通りのことをすぐに電話して言ったら、ガハハハハハ、オモシローイと
大受けだった。カメの話なら即効、素直に聞く母である。

そこで、ふしぎな水とはいかなるものか詳細を聞いたら、水素水らしい。
コレステロールが下がったとか、身体のサビ落とし、とかいいことがたくさん
書いてあるパンフレットを読み上げて、だからあんたにいいかと思ってと言う。

「身体に入るものはよく考えて採るようにしてるからだいじょうぶだよ、それに
山の水はとてもおいしいし、天然成分いっぱいだしね」と答えた。
おまけに水だけで健康なるというのは誇大広告だよと付け加えて。
「あ、そうか、その山の水はそうだったね、母さんが育った山と同じ、甘い水ね?」
そうそう甘い水だよ、と言うと、雑木がいっぱいあるからなんだねえと懐かしそうに
古里の山の話を、湧き水場で涼んだ、こどもだった頃の話を始めた。
ふしぎな水はとりあえずどうでもよくなったようで、ほっとした。

親分は甘い水で炊いた人参と舞茸のスープで奇跡を狙っています。
なんとなくな効果、劇的変化はないけど、なんとなく元気なら成功ですから。






















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あんみんの場所

2010-07-06 01:26:30 | Weblog

あちこち、寝場所があるシマコさん。


定位置はこの縁側で、ひがな一日ここにいたりする。そこへ昨年の子、コブチャが
混ざりにきたりもして、あんみん場所となっている。
信頼、猫に信じてもらえて嬉しい。

しかし人と信頼しあうのはむずかしいようだ。こちらは思っていても相手は
なんのその、約束も忘れてしまってる人、違える人、いろいろだ。
若かったころ、約束を守らなかったことが何度もあったろうと、もう記憶も
おぼろげだけど、ないわけがないと思う。思い出そうとするだけで胸が痛い。

嘘をつかなくなったのは30になってから。できなくなったという方が近いかな。
怖くてできなくなった。
嘘も方便という言葉があるが、人間がこなれていないとほんとの嘘になってしまう
から難しい。不器用なので、結果嘘にならない方法を選ぶのである。

自分と似た人と親しくなるので、友を裏切らないですんでいる。
また友に裏切られる心配もないのだが、結果として友にはなれなかったなと
思うことは多々ある。多々あるから、なんだか寂しい気持ちにもなる。
人を信じたいという気持ちの方がわたしは強いのだと思い知る。

閻魔様に舌を抜かれるぞという子どもの頃の教え、仏教説話の方便が懐かしい。
閻魔様なんかいないと思っていても、忘れなかった。
なんか妙な恐怖感があったりして。でもだから嘘をつかないというのではなく、
自分を汚すようでいやなのだ。
嘘をつくくらいなら黙っていたいと思う。そういうとき、しばしば黙ったりする。
それが顔に出てしまい、問われ、結局のところほんとのことを言ってしまう。

狎れて平気で嘘をつく人は、嘘の反対の本当も失ってしまうらしい。境界がない。
そういう人と話していると虚しい。とりつくしまもない感じ。恐ろしい気さえする。

シマコは嘘も方便の達人、っていうか魔女とわたしに呼ばれている。
おなかすいた~おなかすいた~と甘えて、お皿に追加させといてコブチャに合図
して食べさせるのである。もらっちゃえばスマした顔してもう甘えない。
なんだ、シマコが食べるんじゃなかったの?と話しかけると、ツンとしている。

シマコは山道を登ってくる車の音を聞きつけ、門のすぐそばまで駆け寄ってくる。
離れていても忘れないでいてくれる。
それがシマコの礼儀であるような、ないような。
犬猫のほうがよほど仁義を知っているような気がする。


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饅頭オタクの失敗

2010-07-04 04:12:03 | Weblog
旅の最後に飯の話。
うさこの饅頭好きを知らずして友と名乗るはモグリであると常々言いふらして
あちこちの饅頭を手に入れ、その姿も日に日に饅頭化して大いに反省している
このごろであるが、カメよりたびたび聞いている天ぷらまんじゅうなるものを
食する機会がとうとう巡ってきた。

強清水、こわしみずと読み全国あちこちにこの名の土地がある。湧水のある処
を指しているのかと思うが、ここは猪苗代湖から会津へ向かう途中の国道から
少しそれたところだ。湧水のそばに蕎麦屋。なんと説得力のあることか。
いい水があるところで蕎麦を打って、おまけに饅頭を味方につけて最強である。
名前も強清水、元祖清水屋。



注文を取りにきたアネサンが、すごいきれいなおばちゃんであった。
昔は舞台女優だったのよ~今は蕎麦屋でバイトしてるけど~とは言わなかったけど
言われたら信じてしまいそうな美貌に見とれながら「て、天ぷらまんじゅう蕎麦
ください」と言ったら、「ないよ~」と返された。
「そばと別に天ぷら取ってくださ~い」と顔に似合わず早口で言って去ってゆく。
メニューをよくよく読んで確かめると、ない。天ぷらまんじゅうはあるが、蕎麦に
天ぷらが乗っている写真はないのである。

言われた通りに注文して、うさこは揚げた饅頭をさっそく熱いかけ蕎麦の上に
乗せた。そしてフーフーしながら食べようとしたのだが、これがムリ。
考えればわかることなのだろうが、考えないのである。饅頭のことだもの、
考えたりはしない。結果、饅頭のアンコは蕩けて蕎麦つゆにどんどん一体化して
いくのであった。
キレイなおばちゃん、いやアネサンがやってきたので「ざる一枚ください」と
頼み直して、旨そうな蕎麦屋で食する時の王道、冷たい蕎麦に切り替えた。
天ぷらまんじゅうはおかずにしてつゆにつけながら食べるんだそうである。
先に言ってくれよと思ったが、最初から乗っていると思い込んでいたうさこの
はやとちりであった。

とても美味しい、びっくりするくらい美味しい蕎麦、でもなんだか当たり前の
ようにも思ったりした。だって湧水を囲んで数軒蕎麦屋が建っていて、これが
みな古びていて、むかーしからここで商売やってんのよ、悪い?ってな雰囲気
で堂々としている。悪くない悪くない、ぜんぜんいいですと聞かれもしないのに
言いながら湧水を汲んで味見をした。
水はうちの天然水と似た味で、やわらかなやさしい水。日本の森の樹々と土に
抱かれた水って感じでした。ベイビーがごくごく飲んだからマチガイない。
(彼は美味しい水のみ慣れてしまってPAの水道水を汲んであげても首を横に振る
犬なのである)



水汲み場でも先に来ていた若いあんちゃんに「水、直接それ入れたらダメです」
と何もアクションしてないのに言われた。500mlのペットボトルを手にして
突っ立っているうさこのマヌケっぷりを見抜いて思わず口にしたのであろうと
推察し、す、すみませんと謝ってしまう。

そしてこのようなときにうさこはすぐに続けてほんとに知らないフリをして
しまうのである。「どうやって汲めばいいの?」なんて聞いたりしちゃって。
そんなこと見りゃわかるのであるが、これは一応尋ねておこうという気にさせる
真剣なまなざしのあんちゃんなのであった。
ひしゃくと漏斗が置いてあるのでそれを使用せよ、ってなことをあんちゃんは
指差しながらキッパリと言って立ち去ったけど、見送っていたらバイカーだった。
バイカーには隠れ温泉とか天然水の在処とかに詳しい人がいると知っていたが、
ひょろっとした青年と天然水とバイクは妙に似合っていなくて、かつリアルで
よかった。

ぜんたいに、のどかな雰囲気の一角に立って、ここはなんかいいぞーと思った。
国道沿いは大内宿へと向かう車で土日混雑し、どこの田舎も同じな風景になって
趣向にかけてつまらないと思いつつ走ってきたが‥。
ちょっと道をそれてみるとそこはそこの生活感があり、通りすがりのヨソモンには
関係ない時間が流れているのであった。
茶店が肩を寄せ合うように並ぶ路地であるのに、媚びた感じがまったくなかった。
変に田舎を売り物にしてツッパってもいないし、あのキレイなアネさんが
「食べたいなら食べなさーい、来たいなら来なさーい」とちょっと訛りながら
言う声が聴こえる気がした。







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小旅4 湖畔を歩いた、檜原湖

2010-07-03 01:39:38 | Weblog

広い湖の端っこで撮っているのは例によって人ごみを写したくなかったから。
向かって左側にはたった今モーターボートから降りてきたばかりの団体さん、
小学生の集団が休憩所へ向かって列をなしワッセワッセと歩いていくところなのだ。
水辺がどこも美しいのでゆっくりしてたいけど、コソコソと写真を撮ってすぐに立ち去った。

艀は足元が不安定なので親分はへっぴり腰でカメに引かれてようやく歩いていた。
みなにからかわれても、もうG3だからヘーキである。用心、用心、ってマイペース。
ここに君と一緒にいられることがあたしも嬉しいし、なんでもゆっくりでいいさ。

うつろう時のなかの一瞬、いっときをしっかりと感じたくて、シャッターを押した。
君と過ごした時間を何度でも味わいたいと。
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小旅3 つばくろ谷とサッカー

2010-07-02 09:05:52 | Weblog
深さ80メートルの渓谷をイワツバメが飛び交うそうだ、それが名前の由来。
そう書いてあるのだが、ツバメはどこへ行った?
つばめをつばくろって言うんだな、つばくろってなんだか可愛い語感‥。
子どものまんまの若造ツバメがいきがって飛んでますってのを見たいもんだ。



フィガロ的ファッションだば、と言うとそりゃなんだ? とカメが言った。
ブブレテキって何だ? と返ってきた、ダメだこりゃ(と昭和なオチでスマン‥‥)
たぶんW杯のブブゼラが頭にこびりついているね、音と一緒に。

いやー、ブブゼラはすごかったけど試合が熱くてそのうち気にならなくなった。
終わったらまた気になるけど、集中するとよけいなものは入らなくなるの典型。
でも慣れて気づいたら難聴になってた、なんてことにならないようにブブゼラ使用は
アフリカだけにしてほしい。渋谷の町中でサポーターなのかミーハーなのか吹き鳴ら
してた人がいたね、さっそくって感じで。

サッカーの総括、岡田監督の弁が「連綿と続いてきた日本人の魂」ってのが良かった。
なんとなく日本軍って感じ、青年将校と現場指揮官、岡田大尉って印象だったから。
昭和なイメージの日本や日本軍っていうと敗戦と抑圧とファシズムの暗いイメージが
どうしても強くて否定されてきた。当然、愛国なんて言葉もタブーだった。
日の丸背負うなんてスポーツ選手が堂々と言わない、言えばエラソーとバッシングと
捩じれた歳月が続いて、あげくオリンピックでもなんでも国際試合に楽しんできます、
なんてアホなことを言うのでまたバッシングして、で、どうするのどうなるのの混乱で
スポーツは見たくもなかったが、今回はそこが大いに違った2010W杯。
それは日本だけでなく他国にも共感をもって受け入れられたようで、純粋に国を愛す
という誇りは尊ばれることなのであるなあとしみじみした。
そういう自覚がとことん足りない国になってしまっているが、そうでもないぞという
のがとても嬉しいのである。

ブッチーが四角い白い紙に書かれた平成の書を掲げてテレビカメラの前で披露した日
あたりからぼろぼろと崩れてきた日本という気がして情けなかったが、俄かサッカー
ファンになって(録画であるが)過ごし、コレはなんだ?と考えていたが。

個人主義を昇華させ、一致団結して和を作れば強い。私を滅す、である。
個々の才能がさらに効率よく発揮される。
行動と姿と言葉にそれは表われていて、ボロを出しようがなく、つまり嘘がなく、フリ
ではなく、最後まで謙虚だったのが気持よかった。岡ちゃんの勝利であった。
強い意志があるから謙虚になれる。日本代表って名にふさわしい戦士と指導者たちだった。

モノカキ商売で「サッカーなんて」観ないという人が案外多い気がするけど、今回は
どうだったろうか?
後追いでも観たのかもしれないけど、これは後追いとか録画じゃないほうが興奮したろう
なあ。うさこはハラハラするのが嫌だからと体がついていかない、もっと言えば気が弱い、
だから録画でちら見であったが、カメルーン戦だけは偶然観ることができて、ほんとに
ドキドキいたしました!
ドキドキのあとは嬉しくて新鮮でした!

「高い志は精神を美しく鍛える」のだよん、カメからパクリました。





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