心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

生き物とのコミュニケーション

2006-11-19 17:23:50 | 愛犬ゴンタ

 小雨舞う秋の休日ですが、きょうは午前中、職場に出かける用事がありました。その帰り道、ペットショップに立ち寄って、熱帯魚用の蛍光灯とグロー球を買ってきました。数日前から水槽の蛍光灯がちかちかしていたからです。帰ると早速、大きな水槽を掃除して、水を入れ替え、新しい蛍光灯をセットしました。
 いま、我が家の水槽で暮らしているのは、12㌢ほどのゴールデン・セベラムが一匹、8㌢ほどのゴールデン・グラミーが数匹。圧巻は20数㌢のセイルフィン・プレコで、背ビレを大きく広げた時の雄姿はなかなかのものです。時々、好物の乾燥赤虫、糸ミミズを与えるものだから、わたしの顔をよく覚えていて、水槽の前を通ると、さっと寄ってきて挨拶をしてくれます。以心伝心、コミュニケーションができているのでしょう。そんなわけで、休日ともなれば動物園の飼育係さんよろしく、愛犬ゴンタの散歩の次は、熱帯魚のお世話、その次は亀五郎夫妻のお世話と続きます。
 さすがに寒くなると、亀五郎夫妻も食事が進みません。そろそろ冬眠の準備です。きょうは飼育箱を掃除して、砂を入れ替え、枯れ葉を積み、水辺も綺麗にしてあげました。さっそく、枯れ葉の中に隠れてしまいました。温かくなるまで、静かにお休みなのでしょう。でも、不思議ですね。夏の暑い季節は食欲旺盛で、野菜や鶏肉をパクパク食べるのに、冬の数ヶ月間は何も食べないで過ごします。安上がり?ひょっとして仮死状態?。それとも、人間が座禅を組むように、じっとして「無」の境地にいて考え込んでいるのでしょうか。とにかく不思議な生き物です。こんな亀五郎夫妻も、飼育係はよく知っています。飼育ケースの蓋を開けると、わたしの手元にやってきます。おねだりをします。甲羅を洗ってやると、嬉しそうにしています。そこには、言葉ではない何かのコミュニケーションが働いています。
 もちろん、愛犬ゴンタ君も、そう。話すことはできないけれど、目を見つめれば、彼が何を考えているのか手にとるように判ります。撫でてやると、わたしに何かを伝えようと妙な声(言葉?)を発します。そんなときのゴンタは、「犬」という生き物ではなく人格をもった存在として、わたしの目の前に存在します。それによって、逆に「癒されている」。そんな関係を思います。
 考えてみると、彼らはみな、ストレートに感情を表現します。素直に自分の気持ちを伝えようとします。なのに人間さまは、どうして回りくどいことを言うのでしょう。なぜ正直に自分の気持ちを表そうとしないのでしょう。上や下や、右や左や、そんなことは少し横に置いて、虚勢を張らず、もっと正直に生きたいものです。
 いったい、誰に言っているのかい(^^♪。休日の安らぎのなかで、1週間を振り返ると様々な人間模様が浮かんできます。

コメント