心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

暑い夏に消えた定年

2008-07-20 10:26:34 | Weblog
 午前の3時頃、カチッという音で目覚めます。そうです。足元の扇風機が止まる時間です。この時間になると、いくら熱帯夜といっても、ひんやりとした微風が身体全身を覆います。少しうとうとして朝を迎える日もあれば、そっと電気をつけて読みかけの本に手を差し伸べることも。そうこうするうちに、夏蝉の大合唱で街全体がお目覚めになるのです。
 そんな目覚めの良い日曜日の朝は、青空に白い雲が浮かぶ夏特有の風景が目の前に広がります。近所の子供たちは先日から夏休みですが、やはり少子化の時代でしょうか。子供たちの歓声は、あまり聞こえてきません。勉強中?ゲーム遊び?どうなんでしょうね。夏は、お外に出て思いっきり汗をかく習慣を身につける必要はないのでしょうか。お母さんに叱られても、泥んこになって原っぱを駆け抜ける経験って、人間の成長にとって必要ではないでしょうか。昨今の殺伐とした事件を思うと、心配でなりません。夏休みの頃の思い出って、とにかく遊んで、寝て、食べて、思い出したように「夏休みの友」を開く。縁側で良く冷えた西瓜を皆で頬張りながら、夜は夏祭りやら花火やら、とにかく毎日が楽しくてしようがなかった。.....そんな思い出があります。
 そう、私は今夏、58回目の誕生日を迎えます。まだ定年まで6年あります。いや、ありました。職場でのポジションの変化で、実は今月末で社員の職を辞することになりました。来月からは経営責任が問われる立場に変わります。目の前から急に定年という言葉が消えていったことに一抹の寂しさを思います。相応の足跡を残しながら、めでたく定年を迎えてリタイアすることを夢見ていましたから、何とも複雑な思いがしています。
 35年間、勤めたことになります。若い頃は、どちらかといえば広報関係の仕事をしていました。何の準備もなく配属命令が下りましたから、新聞社主催の社内報作成講座に出かけたり、広告関係のセミナーに顔を出したりしながら、右往左往しながら仕事をしました。その頃に知り合った同業他社の方々とは、いまも公私にわたってお付き合いが続いています。はっきりいって、文章を書くことが最も苦手だった私にとっては場違いな職場でした。上司から常に辞書を横において仕事をするようにとのアドバイスを受けました。それがいま、こうしてブログを書いているのですから、人間ってどうにもなるのだと改めて思います。
 40代になると人事労務関係の部署に変わりました。こういう仕事は私に向いていないと思いました。でも10数年いたでしょうか。一人ひとりの顔を見過ぎると、私情が入ったり、こちらがめげてしまいそうになりますから、がむしゃらに本を読んだ時期です。小説、思想、哲学、歴史、芸術など手あた次第に読み漁りました。それによって心の冷静さを保ちました。その後、いったん現場に異動になりました。それまで上から眺めていた仕事を皆と同じ目線で考えることの重要性に気づかされた、私にとっては非常に貴重な経験をしました。現場に活力がなければ、組織は成り立たないことを実感しました。もっと長く、できれば定年まで、そんな職場で頑張りたかったのに、昨年の4月に、再び人事労務部門に引き戻されてしまいました....。
 ふと、目の前に広がる空を見上げると、さきほどまで浮かんでいた白い雲が消え、一面、真っ青な夏の空に変わっていました。浜辺で眺める夏の空、山頂から眺める夏の空。その下に輝く夏の海、夏の山肌。砂浜に寝そべって、トーマス・マンの「魔の山」を読んだ大学時代のことを思い出します。夏生まれの私にとって、夏には様々な思い出があります。...今日は、あっちに揺れたり、こっちに揺れたり、留まるところを知らない私の生きざまを不安に振り替えることになりました。きょうは、先週に引き続いて本田奈美子さのCDを聴きながらの更新作業です。そうそう、最近、夏目漱石に傾注しています。「草枕」に続いて「こころ」。いまは「行人」を読んでいます。この夏にあと何冊かに目を通します。
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