年末年始休暇も、あっという間に終わろうとしています。年末27日は予定どおり京都国立近代美術館で開催中のボルゲーゼ美術館展に行き、印刷物では伺い知れない絵画の醍醐味を味わうことができましたし、翌28日には宝塚の清荒神さんに1年ぶりのお参りもしました。
我が家に最も花を添えたのは、やはり孫君の登場でしょうか。たどたどしくはあっても、自分の心を言葉で表現できる初期段階に成長した孫君からは、自分の思い・感情を素直に表現できることの大切さを、改めて思い知らされました。逆に言えば、私たちは成長するとともに、こうした「素直な心」を失っていってはいないか、とも思いました。「ありがとうございました」「ごちそうさまでした」。時間になると決まって階下から「おじいちゃあん、ご飯ですよぉ」と呼んでくれる孫君。帰りがけには、玄関口まで見送ってやろうとした私たちに、「また来るね」「おじいちゃん、おばあちゃん。寒いでしゅから早くお家に入ってください」とも。孫が可愛いということ以上に、自己と他者の区別ができる心の成長ぶりに驚き、また感心もいたしました。D.レビンソンの「ライフスタイルの心理学」で言えば、「幼児への過渡期」に位置づけられる孫君の、見るもの聞くものすべてをスポンジのよう吸収できる生命力に、若干の嫉妬さえ覚えたものです。
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「思う事、思うがままに なしとげて 思う事なき 家の内哉」。孫君と初詣をした際にひいた御神籤で、私は、初めて「大吉」を手にしました。これは良い年になりそうだと意気揚々と引き揚げようとしたとき、今年の運命を支配する星表を知らせる案内板が目に留まりました。なんと、私の星は「計都星・大凶・五黄」とあって、「迷いやすく、万事意の如くならない凶年」とあるではありませんか。これってどういうこと??気を取り戻して冷静に考えてみると、「大吉」であろうと「厄年」であろうと、要するに日々の営みに手抜かりのないよう諭す、人の知恵であろうことに気づきました。浮かれるでもなく、落ち込むでもなく、まっすぐに前を向いて歩む。これが今年、私に課せられた課題なんでしょう。きっと。
さてさて、言葉の美しさという意味では、やはり最近読み進んでいる須賀敦子さんのエッセイにすぐるものはありません。お正月にBS朝日で再放送中の「須賀敦子 静かなる魂の旅」三部作も素敵でした。映像のなかに須賀さんの言葉が輝いて見えました。
気になったのは、元旦の新聞全面広告で知った塩野七生さんの新シリーズ「十字軍物語」。今夏から刊行予定だそうです。塩野さんは「21世紀の今なお、世界情勢の多くは、キリスト教世界とイスラム世界の対立によって動いている。しかし日本は、このどれにも属していない。にもかかわらず、影響を避けることはできない状態にある」と言います。そして、「もしあなたに、これらを読みつづける好奇心と忍耐があるとしたら、そのときにはあなたも考えると思う。この二つの一神教の世界に比べれば、わが日本の多神教の文明も捨てたものでもない」と。
ここでふっと現実の世界に立ち戻ることになります。一神教と一党独裁、人類はさまざまな歴史を経て、いまなお悶々とした時代を生き続けています。何をもって「正」といい、何をもって「邪」というのか。理屈だけが先行してはいないか。私自身の宗教観を含めて、残された人生の生きざまを考える1年になりそうな予感がします。
厄年にして還暦を迎える2010年。さあ、明日の新年互礼会から今年の仕事が始まります。そのあと、徐々に日常の現実世界に舞い戻っていくことになります。
【写真】
上段:京都国立近代美術館から平安神宮の鳥居と京都市美術館、遠くに東山を望む
下段:今年も多くの参拝者が押し寄せた近所のお寺の本堂前
我が家に最も花を添えたのは、やはり孫君の登場でしょうか。たどたどしくはあっても、自分の心を言葉で表現できる初期段階に成長した孫君からは、自分の思い・感情を素直に表現できることの大切さを、改めて思い知らされました。逆に言えば、私たちは成長するとともに、こうした「素直な心」を失っていってはいないか、とも思いました。「ありがとうございました」「ごちそうさまでした」。時間になると決まって階下から「おじいちゃあん、ご飯ですよぉ」と呼んでくれる孫君。帰りがけには、玄関口まで見送ってやろうとした私たちに、「また来るね」「おじいちゃん、おばあちゃん。寒いでしゅから早くお家に入ってください」とも。孫が可愛いということ以上に、自己と他者の区別ができる心の成長ぶりに驚き、また感心もいたしました。D.レビンソンの「ライフスタイルの心理学」で言えば、「幼児への過渡期」に位置づけられる孫君の、見るもの聞くものすべてをスポンジのよう吸収できる生命力に、若干の嫉妬さえ覚えたものです。
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「思う事、思うがままに なしとげて 思う事なき 家の内哉」。孫君と初詣をした際にひいた御神籤で、私は、初めて「大吉」を手にしました。これは良い年になりそうだと意気揚々と引き揚げようとしたとき、今年の運命を支配する星表を知らせる案内板が目に留まりました。なんと、私の星は「計都星・大凶・五黄」とあって、「迷いやすく、万事意の如くならない凶年」とあるではありませんか。これってどういうこと??気を取り戻して冷静に考えてみると、「大吉」であろうと「厄年」であろうと、要するに日々の営みに手抜かりのないよう諭す、人の知恵であろうことに気づきました。浮かれるでもなく、落ち込むでもなく、まっすぐに前を向いて歩む。これが今年、私に課せられた課題なんでしょう。きっと。
さてさて、言葉の美しさという意味では、やはり最近読み進んでいる須賀敦子さんのエッセイにすぐるものはありません。お正月にBS朝日で再放送中の「須賀敦子 静かなる魂の旅」三部作も素敵でした。映像のなかに須賀さんの言葉が輝いて見えました。
気になったのは、元旦の新聞全面広告で知った塩野七生さんの新シリーズ「十字軍物語」。今夏から刊行予定だそうです。塩野さんは「21世紀の今なお、世界情勢の多くは、キリスト教世界とイスラム世界の対立によって動いている。しかし日本は、このどれにも属していない。にもかかわらず、影響を避けることはできない状態にある」と言います。そして、「もしあなたに、これらを読みつづける好奇心と忍耐があるとしたら、そのときにはあなたも考えると思う。この二つの一神教の世界に比べれば、わが日本の多神教の文明も捨てたものでもない」と。
ここでふっと現実の世界に立ち戻ることになります。一神教と一党独裁、人類はさまざまな歴史を経て、いまなお悶々とした時代を生き続けています。何をもって「正」といい、何をもって「邪」というのか。理屈だけが先行してはいないか。私自身の宗教観を含めて、残された人生の生きざまを考える1年になりそうな予感がします。
厄年にして還暦を迎える2010年。さあ、明日の新年互礼会から今年の仕事が始まります。そのあと、徐々に日常の現実世界に舞い戻っていくことになります。
【写真】
上段:京都国立近代美術館から平安神宮の鳥居と京都市美術館、遠くに東山を望む
下段:今年も多くの参拝者が押し寄せた近所のお寺の本堂前