4月も半ば、今朝はウグイスの囀りで目を覚ましました。春陽の季節、到来です。ムスカリの花が咲き、ヤマブキの花が咲き、畑では1カ月ほど前に植えたジャガイモが小さな芽を出していました。そうそう、きのう、筍をいただきました。二人では食べきれない量でしたから、家内がご近所にもお裾わけです。我が家では、筍の天婦羅が食卓に登場しました。春をおいしくいただきました。
ところで先週、京都・祇園で車が暴走して何人もの方が亡くなるという痛ましい事件がありました。実は、その4日前の日曜日、私は、事件のあった白川沿いを長女や孫たちと桜を愛でていました。いま考えてみるとぞっとします。
その日は、初節句のお祝いの品を探しに京都にでかけることにしていたのですが、出がけに長女からお花見に行こうという電話があり、急遽合流することにしました。四条通りを八坂神社に向かう歩道は、人、人、人の波です。大勢のお花見客で賑わっていました。
円山公園を散策したあと、久しぶりに知恩院にもお参りをしました。身重の長女を案じて、無料マイクロバスを利用して境内にあがりましたが、なんと御影堂は修理工事中でした。案内矢印に沿って、まず阿弥陀堂にお参りをしました。仏前にはたくさんの木魚が置いてあって、皆さんぽくぽくと叩きながら拝んでいらっしゃる。隣にいた孫君も、楽しそうに木魚を叩いては手をあわせて拝んでいました。
次に向かったのは法然上人御堂でした。御影堂の工事が終わるまでは、ここが本堂の役割を果たすようでした。たくさんの仏像が鎮座する大広間では、この日、潅仏会(花まつり)が催されていました。4月8日は、お釈迦様がルンビニーの花園でお生まれになった日なのだそうで、花を飾った花御堂のなかに立つ、右手で天を左手で地をさす誕生仏に、甘茶を注いでご誕生をお祝いをします。私たちも甘茶をいただきました。
この日、「納骨」の仕組みについてお話を聞きました。あの世に行くにもお値段がありました。3万円以上から200万円以上とランクがあり、各ランクとも「以上」と記されているのが、なんとも現世風ではありますが、信心の度合いということなんでしょうよ。きっと。
日頃、子どもたちには、「核家族化が進むご時世だから、お墓を作っても子どもたちが全国各地、海外にまで散らばってしまえば、お墓も淋しい。知恩院に納骨してくれれば、京都を訪ねたとき気軽に寄り道もできよう。だからお墓は要らない。我が家の菩提寺の総本山である知恩院に納骨してくれれば、それでいい」と言っています。これが私の自論です。子どもに迷惑がかかろうから、納骨冥加料は私が用意しておきましょう。この日はなぜかほっとした一日でもありました。
ところで先週、京都・祇園で車が暴走して何人もの方が亡くなるという痛ましい事件がありました。実は、その4日前の日曜日、私は、事件のあった白川沿いを長女や孫たちと桜を愛でていました。いま考えてみるとぞっとします。
その日は、初節句のお祝いの品を探しに京都にでかけることにしていたのですが、出がけに長女からお花見に行こうという電話があり、急遽合流することにしました。四条通りを八坂神社に向かう歩道は、人、人、人の波です。大勢のお花見客で賑わっていました。
円山公園を散策したあと、久しぶりに知恩院にもお参りをしました。身重の長女を案じて、無料マイクロバスを利用して境内にあがりましたが、なんと御影堂は修理工事中でした。案内矢印に沿って、まず阿弥陀堂にお参りをしました。仏前にはたくさんの木魚が置いてあって、皆さんぽくぽくと叩きながら拝んでいらっしゃる。隣にいた孫君も、楽しそうに木魚を叩いては手をあわせて拝んでいました。
次に向かったのは法然上人御堂でした。御影堂の工事が終わるまでは、ここが本堂の役割を果たすようでした。たくさんの仏像が鎮座する大広間では、この日、潅仏会(花まつり)が催されていました。4月8日は、お釈迦様がルンビニーの花園でお生まれになった日なのだそうで、花を飾った花御堂のなかに立つ、右手で天を左手で地をさす誕生仏に、甘茶を注いでご誕生をお祝いをします。私たちも甘茶をいただきました。
この日、「納骨」の仕組みについてお話を聞きました。あの世に行くにもお値段がありました。3万円以上から200万円以上とランクがあり、各ランクとも「以上」と記されているのが、なんとも現世風ではありますが、信心の度合いということなんでしょうよ。きっと。
日頃、子どもたちには、「核家族化が進むご時世だから、お墓を作っても子どもたちが全国各地、海外にまで散らばってしまえば、お墓も淋しい。知恩院に納骨してくれれば、京都を訪ねたとき気軽に寄り道もできよう。だからお墓は要らない。我が家の菩提寺の総本山である知恩院に納骨してくれれば、それでいい」と言っています。これが私の自論です。子どもに迷惑がかかろうから、納骨冥加料は私が用意しておきましょう。この日はなぜかほっとした一日でもありました。