心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

ベルマンのリスト「巡礼の年」を聴く

2013-06-09 09:01:46 | Weblog

 先週は、経済団体主宰のCSR研究会に顔を出した後、広島に向かいました。夜、宿舎に到着すると、気になるのはやはり鳩の雛の成長です。1週間ごとに成長を確かめるのは楽しいものです。でも、親鳥はたいへんです。朝早くから、何度も餌を運んでは飛び立って行きます。そんな風景をカーテン越しに眺めながら、温かいコーヒーをいただきました。
 さて、この出張で村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を読み終えました。4月に新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が発売されたのをきっかけに、その本自体は文庫本に登場するまで待つとして、とりあえず中断していた過去の作品を再び読み始めました。「羊をめぐる冒険」を読み、その続編とも言われる「ダンス・ダンス・ダンス」を読みました。出張の合間ですからずいぶん日にちがかかりましたが、これで上下に分かれた文庫本の長編はすべて読み終えたことになります。
 読後感って?いつも思いますが、なんとなく漠としています。そんな作品を60を過ぎたオジサンが読み耽る。疲労感があるわけではありません。宙に放り出されたような感覚、なんとなく子供の頃や若い頃を思い出してみたり....。別に教訓を得ようなんて思いません。不思議な世界を行ったり来たりしながら、そこに楽しさを感じる。なんとも不思議な風景です。
 仕事帰りに、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」に登場すると言われるフランツ・リストのピアノ独奏曲集「巡礼の年」(輸入盤CD3枚組)を買って帰りました。ロシアのピアニスト、ラザール・ベルマンが演奏する「巡礼の年」は、「第1年:スイス」「第2年:イタリア」「ヴェネツィアとナポリ」「第3年」で構成されています。リストが20代から60代までに作曲したものを集めたもので、訪れたスイスやイタリアの印象をピアノ曲にしました。晩年の作にはやや宗教的な雰囲気も漂っています。
 20代から60代.....。かのダニエル・レビンソンは「ライフサイクルの心理学」の中で、人の成長を四つに分けました。22歳までを「児童期と青年期」、17歳から45歳までを「青年前期」、40歳から65歳までを「中年期」、60歳以上を「老年期」に区分しています。重なり合いながら、人は次のステージに移っていく意です。青年期から老年期に向かうライフサイクルとリストのピアノ曲、それを村上春樹はひとつのモチーフとして取り入れたのではないかと思いました。いや、そうなんだろうと思いつつ、いつの日にか手にするだろう新作が待ち遠しくなりました。
 先週は、広島、呉、東広島を回って帰阪したその足で、荷物を天王寺駅のロッカーに預けると阪和線に乗り換えて岸和田に向かいました。知人の親族のお通夜があったからです。この歳になると、こうした儀式に参列する機会が増えますが、その都度、人の人生を思います。読経を聞きながらお亡くなりなった方の長い長い人生と私の歩みを重ねあわせてしまいます。
 そんなとき、ふっと思うことがあります。「私って、いったいどこに落ち着くんだろう」と。幼少の頃の居場所は田舎にあった。学生の頃の居場所は京都、そして40数年、大阪の地でなんとなく生きてきた。そして、最後はどこ?、と。村上春樹流にいえば、壁の向こう側かもしれない。人生なんて儚いものです。その場その場で、自分の座標軸をきちんと持って、波間に漂う。自分を信じて生きていくしかありません。
 レビンソンは、人生半ばの個性化の項で、四つの両極性(対立)の解決が主要課題になるのだと言います。それは「若さと老い」「破壊と創造」「男らしさと女らしさ」「愛着と分離」です。では、それぞれのステージで私は何をどう解決してきたのだろうか。.....帰りの電車の中で、ぼんやりとそんなことを考えていました。
 さあ、きょうはこれから職場のOB会にお出かけです。 

 

 

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